こんな方にオススメの内容!
- なぜ姫路城が世界遺産に登録されたのか理由が気になる!
- 教養として世界遺産に関する知識を身につけたい!
- 世界遺産検定の受験を考えている!
- 次の旅行先の候補地を探している!


遺産ポイント
- 「豊臣秀吉⇨池田輝政⇨本多忠政」歴代武将の整備によって進化を遂げていった!
- 「昭和の大修理 & 平成の大修理」と2度に渡る大規模修理を経て輝きを放つ名城!
- 評価ポイント:とにかく美しいデザイン&日本独自の城郭構成が他に類を見ない!
「姫路城」のプロフィール
登録名称 | 姫路城 |
---|---|
登録年 | 1993年 |
所在国 | 日本(兵庫県) |
登録ジャンル | 文化遺産 |
登録基準 | (i)(iv) |
備考 | 日本の世界遺産登録第一号! |
歴代武将の整備によって進化を遂げていった!



豊臣秀吉による姫路城建設の決意

当時の秀吉は、中国地方を治めていた毛利家に対抗すべく、交通の要衝になっていた姫路に壮大な城を立てること決意しました。
そこでまず秀吉は下記のような決意をしたのです。
「よし!まずは3層の天守閣を造って近代的な城を目指そう!」
ここから様々な武将に引き継がれて、姫路城はどんどん現在の姿のような壮大で美しい城へとなっていきます。
池田輝政によるシンボルの大天守の建設

関ヶ原の戦いが終わり、亡くなった秀吉の後を引き継いで、徳川家康の娘婿の池田輝政が大規模な改修を実施しました!
そこでまずは、姫路城のシンボルとなる「大天守」の建造に取り掛かります。
その他にも、2重の濠を作って内郭と外郭を区別する構成にしようと決断し、さらなる増築に取り掛かりました。

本多忠政による西の丸&城下町の整備

増築はまだまだ続きます!
池田輝政の後は、本多忠政が「西の丸」という城の敷地内の居住エリアを造りました。
この西の丸の特徴は下記になります。
- 城の中から外に向けて鉄砲や弓を打てるように城壁に丸・三角・四角形の穴を造った!
- 石を落としたりするために開閉が可能な蓋も造った!

城の増築だけにおさまらない輝政は、城を囲うようにして街をつくり始めました。

そしてこの城下町形成にともなって、姫路の街の人口はどんどん膨れ上がっていきました。


その他にも、敵の侵入対策として、狭い通路を造って螺旋状に区画(曲輪)を巡らせる構造を造るなど、難攻不落な城を造ることに全力を注ぎました。
「昭和の大修理 & 平成の大修理」と2度に渡る修理を経て輝きを放つ名城!



明治以降は「軍用地」としての役割に

歴代の武将の統治下に置かれていた姫路城も、江戸幕府が幕を下ろすと明治時代からは軍用地(自衛隊施設が置かれた敷地)として使われるようになりました。


そこで国は動いて、まずは姫路城を「史蹟名勝(しせきめいしょう)天然記念物保存法(現行の”文化財保護法”)」によって保存する意向を示しました。
さらにその後は「国宝」にも指定して、今もなお守られています。


ちなみに現在の姫路城は、「8軒の国宝+74の重要文化財」で構成されています。
昭和の大修理

「当時の城の姿を復活させるべく、天守群を中心に大改修するぞ!」
このように意気込んで始まったのが、「昭和の大改修」というものです。
しかしここで”とある問題”が生じます。
「当時の建築方法で修復すると、またすぐ傾いてしまう可能性がある!」
そのため昭和の大改修では、下記のような形で修復に取り掛かったのです。
当時の「礎石」 → 現代の「鉄筋コンクリート製の基礎構造物」


確かにユネスコが定める「ヴェネツィア憲章」では、「修復をする際は伝統的な素材や工法を用いること」となっています。
(「ヴェネツィア憲章」についてはこちらの記事をご覧ください)
しかし、姫路城を当時の建築方法で修復してしまうとかえって建物に支障をきたす恐れがあることが判明したのです。
そのような背景から、今のこの美しい姿をとどめるために現代の建築方法を用いることが許されました。

また昭和の大改修により、大天守の解体修理が実行され、姫路城の改修工事史上最も大きいものとなりました。
さらに改修工事中に、建設の際に記された多くの銘文が発見されました!
この発見により、天守の築造過程が明らかになったのです。
平成の大修理

昭和だけではなく、平成にも大きな改修工事がありました。
この平成の大改修では主に下記の点の修復が行われました。
- 白の漆喰(しっくい)の塗り替え
- 全ての瓦の張り替え
メインの修復対象は天守群で、この約5年半に及ぶ改修によって現在のような白く美しい姫路城に生まれ変わりました。
この白く美しい姿こそ、姫路城の別名「白鷺城」と言われるゆえんです。
世界遺産としての価値は「美しいデザイン+日本独自の城郭構成」

姫路城が世界遺産に登録された理由は大きく分けて以下の2点です。
- 「白鷺城」と言われるほどの美しいデザイン!
- 日本独自の建築技術!
まずは美しい城の姿を何百年に渡って保ち続けるために、創建当時の技術や意匠を引き継ぐなど日本の技術力が認められた点です。
さらに石垣や濠などの保存状態が良好である点や、難攻不落な城を築くために、複雑な構造にしたり屋根の積み重ね方が独特であったりと、とりわけ日本独自の防衛システムが高く評価されました!

本日の確認テスト



(「世界遺産検定」の概要についてはこちらの資料を参考にしてください)
3, 4級レベル
姫路城の別名は何か答えなさい。
- 瀬戸内城
- 白亜城
- 関ヶ原城
- 白鷺城
④
答え(タップ)>>2級レベル
城内の住居である「西の丸」を築いた人物を答えなさい。
- 徳川家康
- 本多忠政
- 池田輝政
- 豊臣秀吉
②
答え(タップ)>>1級レベル
「昭和の大改修」の説明として誤っているものを選びなさい。
- 修復工事中に銘文が発見され築造工程が明らかとなった。
- 天守群の全ての瓦が替えられた。
- 建築当時の技法ではなく鉄筋コンクリート製の基礎構造物を用いた改修を行った。
- 大天守の大規模改修工事が実施された。
②
答え(タップ)>>まとめ

- 姫路城は池田輝政・本多忠政ら歴代の武将によってどんどん増築が行われていった!
- 「昭和の大改修」時には例外的に鉄筋コンクリートを用いた建築方法が採用された!
- 「平成の大改修」時に漆喰が塗り替えられて「白鷺城」の名に相応しい白い姿を現した!
- 「美しいデザイン+日本独自の建築方法と防衛システム」が評価されて世界遺産に登録された!
おまけ:「白鷺城」ではなく「白過ぎ城」!?

「平成の大改修」によって漆喰が塗り替えられたことにより、白く美しい姿をした姫路城になりました。
しかしこの改修終了時には、あまりにも白過ぎて従来の城の面影が薄れてしまっていると考えた人々から、非難の声などが上がりました。
ただこの白さも時が経つにつれて再び変色されることが予想されるため、次第に非難の声は薄れていきました。
めでたし。めでたし。
参考文献・注意事項
- 当記事の内容は「世界遺産検定1級公式テキスト<上>」と「世界遺産検定1級公式テキスト<下>」を大いに参考にしています。
- 当記事は100%正しい内容を保証するものではありません。一部誤った記載が存在する可能性があることをあらかじめご了承ください。