こんな方にオススメの内容!
- 世界遺産として法隆寺にはどんな価値があるのかを知りたい!
- 法隆寺を含む奈良県への旅行を計画しているため事前情報を得たい!
- 世界遺産検定の受験を考えている!
- 教養として世界遺産に関する知識を身につけたい!
遺産ポイント
- 世界遺産に登録されているのは「法隆寺西院伽藍」「法隆寺東院伽藍」「法起寺」の3つ!
- 法隆寺は日本最古の仏教寺院&世界最古の木造建造物!
- 「エンタシス」や「雲形組物」など海外の技術が大いに採用されて建てられている!
「法隆寺地域の仏教建造物」のプロフィール
登録名称 | 法隆寺地域の仏教建造物 |
---|---|
登録年 | 1993年 |
所在国 | 日本(奈良県) |
登録ジャンル | 文化遺産 |
登録基準 | (i)(ii)(iv)(vi) |
備考 | 構成資産:法隆寺(西院伽藍・東院伽藍)、法起寺 |
世界遺産の登録範囲
世界遺産に登録されている建造物は下記の2つに分けられます。
- 法隆寺(ほうりゅうじ)
- 法起寺(ほっきじ)
今回の登録名称のようにメインとなる建造物(法隆寺)の名前が入っているだけで、他にも世界遺産に登録されている建造物がいくつかあるケースはよくあります。
(今回の場合だと「メイン:法隆寺」「他の建造物:法起寺」)
日本の他の世界遺産だと下記などが挙げられますね。
このように登録名称の中に「◯◯遺産群」などと書かれていると、「主要な建造物+他の建造物」といった構成で世界遺産登録されている可能性が高いです。
ちなみに法起寺で世界遺産に登録されている建造物は、「三重塔」のみです。
三重塔だけしか世界遺産登録されなかった理由に関しては、後述の「仏教寺院の先駆けとなった法隆寺と法起寺」で詳しく解説します。
また法隆寺は、さらに細かく分けると2つのエリアで構成されています。
- 法隆寺西院伽藍(ほうりゅうじさいいんがらん)
- 法隆寺東院伽藍(ほうりゅうじとういんがらん)
よく旅行雑誌や世界史の教科書などで見る五重塔などがあるのが、「西院伽藍」の方です。
これらの建造物群は、同じ歴史の流れの中で建造された木造建築であるため1つの世界遺産として登録されています。
しかしもし歴史的な背景が異なっていたり、全く関連が無い時代に建てられた建造物である場合は、別々の世界遺産として登録されることもあります。
歴史からたどる法隆寺地域の魅力
仏教寺院の先駆けとなった法隆寺と法起寺
現在の法隆寺西院伽藍にはかつて、7世紀前半に推古天皇と聖徳太子によって築かれた「若草伽藍(わかくさがらん)」という寺がありました。
この若草伽藍から場所を移して再建された寺院が、法隆寺西院伽藍であるとされています。
ちなみに若草伽藍は焼失したものの、現在でも法隆寺の敷地の地下に遺構が残っています。
また法隆寺東院伽藍は、「斑鳩宮跡(いかるがのみやあと)」という聖徳太子の霊をまつるために建造された寺院跡が起源とされています。
そしてこの法隆寺こそ、日本の仏教寺院建設の先駆けとなっているのです!
実際に現在建っている法隆寺は、日本で最も古い仏教寺院となっており、さらには世界最古の木造建造物と言われています。
また法起寺は、聖徳太子の死後に息子の「山背大兄王(やましろのおおえのおう)」が聖徳太子の宮殿だった「岡本宮の跡」に建立した寺が起源とされています。
しかし法起寺は戦乱によってほとんどの建造物が焼失してしまったため現在見られるのは「三重塔」のみとなっています。
法隆寺地域の手厚い保護や栄枯盛衰の歴史
古くから法隆寺地域の仏教建造物は、「国家を守護・安定させる力がある」という思想である「鎮護国家(ちんごこっか)の寺」として天皇によって手厚い保護を受けていました。
そして12世紀になると「聖徳太子信仰」が広まり、次第に一般の人たちも法隆寺を訪れるようになりました!
しかし明治時代の近代化運動により、次第に”神道”が優先されて仏教が軽視される時期が続きました。
その影響で、「神道 >仏教」という考えが高まり仏教は荒廃していくことになったのです。
しかしその後は文化財を保護する重要性を改めて考えた明治政府は、「古社寺保存法」などを制定して再び国家の保護下に置かれました。
こうした取り組みがあった影響で、現在でも美しい法隆寺地域の仏教建造物を見ることができるのです!
世界遺産に登録された理由
日本を代表する優れた木造建築技術
前述の「仏教寺院の先駆けとなった法隆寺と法起寺」でも少し触れましたが、法隆寺は世界最古の木造建築物です。
そんなにも長い歴史を持つ古い木造建築物であるにもかかわらず、現在も立派に建ち続けています!
長い歴史を経て今も建つ理由は大きく分けて2つあります。
- 国が手厚い保護体制を整えていた
- 高い耐震性を持つ造りになっている
特に2つ目の耐震強度に関しては、法隆寺西院伽藍にある「五重塔」で見られる建築技法が注目されます。
五重塔は中心に建物全体を支える軸を立てています。
こうすることで、どの角度から衝撃が加えられても絶対に倒壊しない強度な構造が出来上がるのです!
このような古来から発展している建築技術が、世界遺産としての価値をより高めています。
また法隆寺地域の建造物には、「エンタシス」という太い柱を持つ技法も採用されています。
この建築技法は、古代ギリシャの建造物として有名な「パルテノン神殿」の柱でも使われています!
最大の特徴は、中心部分を少しだけ太くして全体的に見て柱が真っ直ぐに見える錯覚を与えている点です!
このような”建築美”という観点でも法隆寺地域の仏教建造物は高い評価を受けています!
各日本の時代の寺院の発展を見ることができる
今日、日本に仏教が主要な宗教として存在するのは下記の人物による布教活動が大きく影響しています。
- 6世紀半ばの欽明天皇(きんめいてんのう)の時代に仏教が日本に伝えられた
- 7世紀に聖徳太子が自ら仏教に関する書物を書いて日本における仏教の普及活動に勤しんだ
上記のような活動の結果、その後1300年以上も日本で仏教が根付いていくことになりました!
この1300年という長い間に日本全国に仏教建築が伝わり、各地に世界遺産級の仏教建造物が建てられていきました。
このように「時代を超えて」「地域を超えて」発展していった仏教寺院の発展は、日本の歴史を知る上で貴重な資料です。
また法隆寺地域にある仏教建造物は、中国や東アジアから伝わってきた技術の影響ありました。
実際に法隆寺では中国の建築技術・様式を見ることができます。
(中国の建築技術・様式については後述の「法隆寺西院伽藍(ほうりゅうじさいいんがらん)」でも触れます)
このような諸外国との文化交流が存在したこと点も法隆寺地域のポイントです!
つまり、「法隆寺地域の歴史を知ることで日本の仏教建築の歴史を知ることができる」という点に世界遺産の価値があると認められました!
仏教の歴史を知る上で重要な資料
法隆寺は日本で最も古い時代の仏教の建造物を多数抱えています。
主な建造物としては下記が挙げられます。
- 法隆寺の「金堂」
- 法隆寺の「五重塔」
- 法隆寺の「中門」
- 法隆寺の「回廊」
- 法起寺の「三重塔」
加えて世界最古の仏教建造物が存在する点なども踏まえて、宗教の歴史の観点から見て極めて重要な資料が残っている点で世界遺産の価値があると認められました!
世界遺産に登録されている構成資産の詳細
法隆寺西院伽藍(ほうりゅうじさいいんがらん)
- 各建造物の配置法は「法隆寺式伽藍配置」が採用されている。
- 金堂内部の「釈迦三尊像」のアルカイク・スマイル(古式の微笑み)に中国文化の影響が見れる。
- 金堂と五重塔には「雲形組物」が用いられている。
- 通路の中央部に柱を置く「四間門(しけんもん)」が採用されている。
- 五重塔は上に行けば行くほど屋根が小さく塔身も細くなる。
(「雲形組物」の詳細についてはこちらの記事をご覧ください)
「法隆寺式伽藍配置」の図解
法隆寺東院伽藍(ほうりゅうじとういんがらん)
法隆寺東院伽藍の中心的な建物である「夢殿」
- 周囲に回廊がめぐる「夢殿」を本堂とする(現存する最古の八角円堂で屋根は”八注造”)
- 夢殿の本尊には聖徳太子の背の高さと同じの「救世観音菩薩立像」が立つ。
ちなみに「救世観音菩薩立像(ぐぜかんのんぼさつりつぞう)」は、明治時代までは白い布に覆われて姿を見ることができませんでした。
しかしアメリカの東洋美術史家「アーネスト・フェノロサ」と美学研究家「岡倉天心」が開示を要求してついに姿が明らかになったのです!
法起寺(ほっきじ)
- 現在は法隆寺を総本山とする聖徳宗の寺院。
- 創建当時の建造物は日本最古かつ日本最大級とされる「三重塔」のみ。
法隆寺と奈良文書の関係
法隆寺の世界遺産登録後に、今後の世界遺産の保護・保全における重要なルールが決定しました。
その重要なルールが示されたものが、奈良文書です!
奈良文書を簡単に解説すると、下記になります。
各々の文化・素材に合わせて文化財の修復を行う
例えば下記のようなイメージです。
- 石造の建造物が多いヨーロッパ ⇨ 石造の修復に適した素材や修復方法を採用
- 木材の建造物が多いアジア ⇨ 木材の修復に適した素材や修復方法を採用
- 土の建造物が多いアフリカ ⇨ 土の修復に適した素材や修復方法を採用
なお、この奈良文書が採用された背景には、「真正性」という文化遺産に求められる概念が深く関係してきます。
奈良文書や真正性に関しては下記の記事で詳しく解説しているので、世界遺産の理解をより深めるためにもぜひ併せて読んでみてください!
合わせて読みたい!【真正性?完全性?】概念の違いを具体的な世界遺産を用いて小学生でもわかるように解説!本日の確認テスト
(「世界遺産検定」の概要についてはこちらの資料を参考にしてください)
3,4級レベル
現在の法隆寺の起源とされる「若草伽藍」を推古天皇とともに建造した人物として正しいものを選びなさい。
- 聖徳太子
- 鑑真
- 空海
- 山背大兄王
①
答え(タップ)>>2級レベル
法隆寺地域の建造物に用いられている建築技術・様式として誤っているものを選びなさい。
- 雲形組物
- 八注造
- エンタシス
- ウスバリ
④
答え(タップ)>>1級レベル
法隆寺地域の説明として正しいものを選びなさい。
- 法隆寺東院は斑鳩宮跡という推古天皇の霊をまつるために建造された寺院跡が起源とされる。
- 法起寺の三重塔は現存する世界最古の木造の塔である。
- 各建造物の配置法は「四天王寺式伽藍配置」が採用されている。
- 法隆寺地域にある仏教建造物は中国や東アジアから伝わってきた建築技術・様式が要所で見られる。
④
答え(タップ)>>まとめ
- 法隆寺地域は「法隆寺西院伽藍」「法隆寺東院伽藍」「法起寺」の3つに大きく分けられる!
- 法隆寺は推古天皇と聖徳太子によって築かれた「若草伽藍(わかくさがらん)」という寺が起源とされる!
- 法起寺は聖徳太子の死後に息子の山背大兄王(やましろのおおえのおう)が聖徳太子の宮殿だった「岡本宮の跡」に建立した寺が起源とされる!
- 法隆寺には「エンタシス」や「雲形組物」といった建築技術・様式が用いられている!
参考文献・注意事項
- 当記事の内容は「世界遺産検定1級公式テキスト<上>」と「世界遺産検定1級公式テキスト<下>」を大いに参考にしています。
- 当記事は100%正しい内容を保証するものではありません。一部誤った記載が存在する可能性があることをあらかじめご了承ください。