こんな方にオススメの内容!
- なぜ「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に登録されたのか理由が気になる!
- 日本の近代化の歴史を理解したい!
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- 次の旅行先の候補地を探している!


遺産ポイント
- 8つの都道府県に遺産が点在するシリアル・ノミネーション・サイト
- 主要産業は「製鉄・製鋼」「造船」「石炭」
- 積極的なヨーロッパの技術・知識導入により短期間で先進国並みの経済発展を遂げた!
- 世界遺産としては珍しく廃墟となった遺産と現役で稼働中の施設が混在して登録されている!
「明治日本の産業革命遺産」のプロフィール
登録名称 | 明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業 |
---|---|
登録年 | 2015年 |
所在国 | 日本(長崎県 / 福岡県 / 佐賀県 / 熊本県 / 鹿児島県 / 山口県 / 静岡県 / 岩手県) |
登録ジャンル | 文化遺産 |
登録基準 | (ii)(iv) |
備考 | シリアル・ノミネーション・サイト |
世界遺産が遺産が8の都道府県にまたがっている理由




「明治日本の産業革命遺産」という登録名称の通り、明治時代の日本で産業発展に大きく貢献した施設が世界遺産に登録されています。
(いわゆる”産業遺産”というものです)
つまり産業発展に関わった全ての施設が世界遺産に該当するため、特定の場所に限らず施設が置かれている全ての都道府県が対象になるわけです。

その中でも特に明治時代の近代化政策において大きく貢献した産業施設が世界遺産に登録されています。
このように特定の地域ではなく、その国の複数の地域で世界遺産登録が認められることを「シリアル・ノミネーション・サイト」と言います!

なお、「シリアル・ノミネーション・サイト」や「トランスバウンダリー・サイト」については下記の記事で詳細に解説してます。
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日本の近代化の歴史



島津斉彬と吉田松蔭による日本近代化政策の始まり

江戸時代の末期に日本は海外からの脅威に対抗すべく、国力をつけるために対策を練り始めました。
この時に指揮を取ったのが薩摩藩のリーダーである島津斉彬(しまづなりあきら)です。
彼は主に下記の産業を発展させるために西洋風の工場を建設することにしました。
- 製鉄大砲の鋳造
- ガラス製造
- 活版印刷
また吉田松陰(よしだしょういん)によって「私塾(松下村塾)」という教育機関がつくられました。
私塾では主に今後の近代化産業を担う人材を育てるための訓練が行われます。

明治政府による本格的な西洋技術の導入


明治時代に入って明治政府ができると、政府は既に近代化が進んでいたヨーロッパから積極的に技術者を日本に招きました。
目的は当然ながらヨーロッパの技術・知識を取り入れて日本近代化の基礎を築くことです。
ちなみに別の日本の世界遺産である「富岡製糸場」も、この明治政府の近代化政策の影響を受けヨーロッパの技術が導入されて本格的に製糸産業が動き始めました!
なお「富岡製糸場」についてはこちらの記事で詳しく解説しています。
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本格的な炭坑開発・製鉄所の建設の開始

そして日本が「鎖国 → 開国」に体制を変えたことにより、次は「炭坑」や「製鉄」を中心に産業が大きく伸びていくことになりました!

まず開国後にヨーロッパから連れてこられたトーマス・グラバーとともに「高島炭坑」が開発されました。
この高島炭坑は「日本初の蒸気機関を用いた採掘」として大きな注目を集めます!
1890〜1910年の期間ではただヨーロッパの技術・知識を使った近代化をするのではなく、日本の文化・伝統に合わせた発展をさせていく形が取られ始めました!

その後も主に下記のような施設の建造や生産が行われていきます。
- 高島炭坑の跡を引き継いだ「端島炭坑(現在の軍艦島)」で高品質な石炭を産出
- 「八幡製鉄所」が操業し日本の近代化がさらに進む
- 「三池炭鉱」では港と炭坑を結ぶ鉄道が敷かれて業務効率がアップ

具体的な世界遺産としての価値



積極的な海外との技術・文化交流

前述の「明治政府による本格的な西洋技術の導入」でも出てきましたが、日本の近代化政策はヨーロッパとの文化交流を生むキッカケともなりました!
もちろんヨーロッパの技術を取り入れて産業を飛躍的に発展させたという背景にも価値はあります。
ただそれだけではなく、日本独自の文化・伝統も取り入れて日本独自の産業発展をさせた功績がより世界遺産としての価値を高めたのです!

また実は日本はヨーロッパ以外の諸国とも交流を行っていました。
そのヨーロッパ以外の諸国とは、中国を中心としたアジア圏です!

日本は石炭などを産出した後は、国内で消費するだけでなく主にアジア圏へ輸出を行っていました。
特に石炭は主に「アジア 〜 ヨーロッパ」の間を移動する船舶の燃料として世界中から重宝されていました。
つまり日本の近代化はアジアとヨーロッパとの間における物流交流をうながす役割も果たしていたのです!


欧米諸国以外での貴重な経済発展プロセス

実は日本は、欧米諸国以外の国で初めて経済大国へと発展していった国なのです!

19世紀半ばから始まった日本の近代化は、約50年という短期間で飛躍的な経済発展をさせた貴重な経済モデルとなりました。
このような世界でも類を見ない近代化スピードの過程を見ることができる産業施設に世界遺産としての価値があると評価されたのです!

各産業遺産の詳細



高島炭坑(長崎県長崎市)

- トーマス・グラバーによって開発された海洋炭坑
- 日本初の蒸気機関による採掘の炭坑である「北渓井坑(ほっけいせいこう)」が開坑
- 1881年からは三菱の所有となった
端島炭坑(長崎県長崎市)

独特な世界観を漂わせる廃墟の島「端島(軍艦島)」
- 別名は「軍艦島」
- 高島炭坑の跡を注ぐように開発された島型の炭坑
- 島には多くの従業員が暮らせるために数多くの高層鉄筋アパートが建てられた
- 最盛期には5,000人以上が生活していた

三池炭鉱 [万田坑] (熊本県荒尾市)
![おもしろわかる!世界遺産ユニバーシティ 明治日本の産業革命遺産 三池炭鉱 [万田坑] (熊本県荒尾市)](https://omowaka-sekaiisan.com/wp-content/uploads/2021/06/industrial-revolution-inheritance-5-3-scaled.jpg)
- 「宮原坑」とともに明治から昭和にかけて発展
- 「レンガ造りの巻上機室」や「ポンプ室(旧扇風機室)」などが良好な状態で残る
三池炭鉱 [宮原坑] (福岡県大牟田市)
![おもしろわかる!世界遺産ユニバーシティ 明治日本の産業革命遺産 三池炭鉱 [宮原坑] (福岡県大牟田市)](https://omowaka-sekaiisan.com/wp-content/uploads/2021/06/industrial-revolution-inheritance-5-4-scaled.jpg)
- 「万田坑」とともに明治から昭和にかけて発展
- もともとは囚人が働いていたが政府の意向により囚人を労働力にできなくなり稼働停止になる
旧グラバー住宅(長崎県長崎市)

- 長崎と貿易取引を行う「グラバー商会」を設立したグラバーの住宅
- 「イギリスのコロニアル様式 × 日本の伝統建築様式」が融合している

三菱長崎造船所・旧木型所(長崎県長崎市)

- 鋳物(いもの)の木製模型を製作する作業場
- 長崎造船所に現存する最古の建造物
- 屋根を支える「小屋組」のトラスを備えたレンガ造り

官営八幡製鉄所・旧本事務所(福岡県北九州市)

- 赤レンガ造りの建造物
- 中央にドームを備える左右対称の造り
- 建物内には海外から招聘(しょうへい)した外国人顧問技師室を備える
三菱長崎造船所ジャイアント・カンチレバークレーン(長崎県長崎市)

- 日本で初めて建設された電動クレーン
- 当時最新だったイギリスの「アップルビー社」のものを採用
- 現役は蒸気タービンを船積みする際などに使用されている
韮山反射炉(静岡県伊豆の国市)
- 江川英龍(えがわひでたつ)によって建造
- 建造目的は欧米に対抗するために鉄製の大砲を鋳造するため
- 実際に稼働していた反射炉としては国内で唯一現存する

なお、韮山反射炉の詳細を知りたい方は、ぜひ下記も併せて読んでみてください!
合わせて読みたい!
関吉の疎水溝(鹿児島県鹿児島市)

- 水車の動力用の水を共有するための水路(全長7km)
- 一部は現在も灌漑用水(かんがいようすい)として利用されている

橋野鉄鉱山(岩手県釜石市)

- 大島高任(おおしまたかとう)によって建造された洋式の高炉(こうろ)&鉄鉱山の跡
- 日本で初めて鉄の連続生産に成功

その他の構成資産

山口県 | 萩反射炉、恵美須ヶ鼻造船所跡、大板山たたら製鉄遺跡、萩城下町、松下村塾 |
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福岡県 | 遠賀川水源地ポンプ室 | 鹿児島県 | 旧集成館、寺山炭窯跡、関吉の疎水溝 |
佐賀県 | 三重津海軍所跡 |
長崎県 | 小菅修船場跡、長崎造船所第三船渠、長崎造船所占勝閣 |
熊本県 | 三角西港 |

特殊な世界遺産登録と異例の保護体制

最盛期には多くの労働者が住んでいた端島(軍艦島)の廃墟となった高層アパート
今回の世界遺産「明治日本の産業革命遺産」は他の日本の世界遺産とは少し変わっている点があります。
- 「文化財保護法」だけでなく別の保護計画も立てられている!
- 「文化庁」による推薦ではなく「内閣官房」による推薦で世界遺産登録を目指した!
まずこのような特殊な登録内容、及び保護方法になった理由は、既に廃墟となった遺産と、現役で稼働している施設が混ざって世界遺産になっている点が大きく影響しています!
通常の世界遺産登録であれば「文化財保護法」だけで推薦ができるものの、現役で稼働している遺産がある場合は下記の2つの保護法にものっとる必要が出てきます(「明治日本の産業革命遺産」の場合)。
- 港湾法
- 景観法

また通常ならば「文化庁」が世界遺産登録の申請をしますが、「景観法」などの法律が適用されているため「内閣官房」が代わりに推薦することになりました。
しかし「廃墟+現役で稼働」の施設が混在しているからこその問題点があります。
- 現役で稼働中の資産の老朽化に伴う建て替えによって世界遺産としての価値が下がってしまう恐れがある
- 廃墟となっている遺産の保護方針が固まっていない
このような問題を早急に解決する必要性が迫られているのです。
問題点:朝鮮人の強制労働の歴史が示されていない!?

「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録時に日本が約束した”訪問者が歴史をわかるような措置を取る”ことが行われていないと指摘されている問題があります。
その最初の指摘国は韓国です!


「明治日本の産業革命遺産」の構成資産である端島(軍艦島)などは、かつて朝鮮人が強制労働をさせられた歴史があります。
つまり、韓国人にとって端島の世界遺産登録は他人事ではないのです。
そんな韓国側は下記のような指摘を日本にしています。
かつて端島などで朝鮮人が強制労働をさせられた歴史が示されていない。
この事実は、「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に登録された当初に日本が約束をしていた、「訪問者が歴史をわかるような措置を取る」ことを実施していないことを証明している。


この歴史の説明の欠如が明らかになった背景としては、2020年に東京に設立された「産業遺産情報センター」での資料展示が大きいです。
実際に韓国の特派員は産業遺産情報センターを訪れ、そこで目にした資料の内容が以下であると伝えています。
- 朝鮮人が強制労働させられた説明が不十分
- 強制労働の犠牲者を記憶する資料がない
- 反対に犠牲者の被害自体を否定する資料が展示されている


以上の件を韓国側はユネスコに報告をし、その報告を受けて調査を行ったユネスコは日本に対して改善を図るよう伝えました。
このように、他国との歴史的つながりのある文化財や自然が世界遺産登録されると、歴史的・政治的・軍事的なトラブルが発生することはよくあります。
しかし視点を変えてみると、遺産の歴史的事実をしっかりと明示することで、世界遺産に関わる国と深い関係を築くことも可能なのです!

本日の確認テスト



(「世界遺産検定」の概要についてはこちらの資料を参考にしてください)
3, 4級レベル
高島炭坑を開発するなど日本の産業革命に大きく貢献した人物として正しいものを選びなさい。
- ブルーノ・タウト
- ル・コルビュジエ
- ピエール・ポール・リケ
- トーマス・グラバー
④
答え(タップ)>>2級レベル
本初の蒸気機関を用いた採掘として大きな注目を集めた炭坑として正しいものを選びなさい。
- 高島炭坑
- 宮原坑
- 万田坑
- 端島炭坑
①
答え(タップ)>>1級レベル
実際に稼働していた反射炉としては国内で唯一現存する「韮山反射炉」を建造した人物として正しいものを選びなさい。
- 神谷寿貞
- 江川英龍
- 島津斉彬
- 大島高任
②
答え(タップ)>>まとめ

- 8都道府県にまたがる「シリアル・ノミネーション・サイト」として登録されている!
- 島津斉彬(しまづなりあきら)によって西洋風工場が建設され、吉田松陰(よしだしょういん)によって「私塾(松下村塾)」がつくられた!
- 開国後にヨーロッパからトーマス・グラバー連れて「高島炭坑」を開発させた!
- 日本は約50年という短期間で欧米諸国以外で初めて飛躍的な経済発展をさせた!
- 現役稼働の施設があるため「文化庁」ではなく「内閣官房」が代理で世界遺産推薦をした!
おまけ:「見え(三重)ない世界遺産!?」として話題の「三重津海軍所跡(みえつかいぐんしょあと)」

「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の一つである「三重津海軍所跡」は、ある特徴を持った世界遺産として話題になっています。
その特徴とは、「世界遺産が見えない」です!


文化財名に「三重津海軍所”跡”」とあるように、あくまでもかつて使われていた産業遺産が世界遺産に登録されています。
つまり、かつて存在した証拠が残っている点に価値があるとみなされたのです!



もちろん産業施設が稼働していた時期は地上に姿がありました。
しかし現役としての稼働が終わると十分な管理がされなくなり、雨風や環境の変化の影響を受けて年数が経つに連れて地中に埋もれていってしまったのです!
ただ地中に埋もれていた時期が長かったため、土が天然の保存材となり経年劣化を遅らせることに繋がりました。
こうして三重津海軍所跡は保存状態が良いまま残り、晴れて世界遺産に登録されたのです!

もちろん観光客にその姿を見せるために掘り起こすことも可能でした。
しかし、良質な状態で保存することを優先させたため世界遺産に登録された現在も地中に埋もれたままなのです!


観光客に世界遺産の姿のイメージをしてもらうために、三重津海軍所跡がある佐賀県の『佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館』に「三重津海軍所跡インフォメーションコーナー」が設置されました。
こちらの施設では、世界遺産に登録された日本最古の乾ドックの原寸大(げんすんだい)模型が展示され、大型スクリーンでは映像が映し出されています!

今回紹介した三重津海軍所跡以外にも、世界遺産に登録されている文化財で”目に見えない世界遺産”は世界各国にいくつも存在します!
国内だと、2021年に世界遺産登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産の一部も見えない世界遺産の一つです。
しかし三重津海軍所跡のように展示方法に工夫を持たせることで、観光客に世界遺産のイメージを与えることは可能です。
むしろ観光客に自由にイメージを描いてもらう方が、各々が違った世界遺産の魅力を感じられる良い機会になるかもしれませんね!
参考文献・注意事項
- 当記事は100%正しい内容を保証するものではありません。一部誤った記載が存在する可能性があることをあらかじめご了承ください。