こんな方にオススメの内容!
- そもそも「宗像・沖ノ島」が何かわかってない!
- なぜ宗像・沖ノ島と関連遺産群が世界遺産に登録されたのか理由が気になる!
- 教養として世界遺産に関する知識を身につけたい!
- 世界遺産検定の受験を考えている!
- 次の旅行先の候補地を探している!
遺産ポイント
- 沖ノ島での祭祀の始まりはヤマト政権による東アジアとの交流がきっかけ!
- 沖ノ島に宗像退社が建てられた事による祭祀の形態が「露天祭祀 → 社殿を持つ祭祀」へと変わった!
- 現在までに沖ノ島からは約8万もの奉献品が見つかっている!
- 沖ノ島・大島・九州本土にある宗像大社には各宗像三女神がまつられている!
「宗像・沖ノ島と関連遺産群」のプロフィール
登録名称 | 「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群 |
---|---|
登録年 | 2017年 |
所在国 | 日本(福岡県) |
登録ジャンル | 文化遺産 |
登録基準 | (ii)(iii) |
まずは世界遺産登録名称に注目
まずは世界遺産登録名称を分解して一つずつ理解してみましょう!
今回の場合は下記の4つに分解してみます。
- 神宿る島
- 宗像
- 沖ノ島
- 関連遺産群
「神宿る島」とは
「神宿る島」、このワードだけであればなんとなくイメージができるのではないでしょうか。
そしてこの「神宿る島」というワードは、そのすぐ後ろに書いてある「宗像・沖ノ島」のことを指しています。
要するに、宗像・沖ノ島に神様がいることに世界遺産としての価値がある、というイメージがなんとなくできるかと思います!
「宗像(むなかた)」とは
「宗像」という何だか難しそうなワードがありますが、こちらのワードをシンプルにググって検索してみると下記のように2パターン出てきます。
- 宗像(むなかた)とは、福岡県の宗像市郡とその郊外の事を指す地名。郊外の範囲も明確ではないが、飛鳥時代の宗像郡に鞍手郡北西部(宮若市西部・鞍手町)の範囲が古代の広域宗像である。
- 宗像(むなかた)とは、筑前国の古族である。また、上代より宗像の地を支配した海洋豪族、宗像大社を奉じる一族も「宗像氏」を冠する事があり、併せて記す。
この2つから推測できることは、宗像氏という一族が支配していた地域が現在の「福岡県宗像市」という自治体の名前に由来していているといった感じですかね。
要するに「宗像」とは福岡県の地名です。
そしてこの「宗像」というワードは、直後の「沖ノ島」というワードを指しています。
つまり、「宗像氏に由来する自治体”宗像市”に属する沖ノ島」ということです!
実際に今回の内容では「宗像氏」というワードが頻繁に出てくるので、冒頭で簡単に触れておくことは大切ですね。
「沖ノ島」とは
「沖ノ島」とは、九州本土から約60㎞離れた福岡県に属する島です。
登録名称に島の名前がそのまま入っているということは、この「沖ノ島」が今回の世界遺産登録に大きな影響を与えたと推測することができますよね。
例えば別の日本の世界遺産の下記の名称を見てみましょう。
『富岡製糸場と絹産業遺産群』
こちらの世界遺産にも「富岡製糸場」という固有名詞が入っています。
つまり、この「富岡製糸場」という建物を中心とした世界遺産であることがわかります!
まとめると、世界遺産登録名称に固有名詞が入っていると、その固有名詞が世界遺産登録にいたった重要ワードになるということです!
なお富岡製糸場に関しては下記の記事で詳しく解説しているので、よければ併せて読んでみてください!
合わせて読みたい!【富岡製糸場と絹産業遺産群】養蚕業の歴史&世界遺産登録理由をわかりやすく解説!「関連遺産群」とは
「関連遺産群」というワードは、今後いろんな世界遺産を見るにあたって度々登場してくるワードになります。
このワードが入っている場合は、大概下記のような構成の世界遺産登録になります。
「主要な文化財」 + 「その他の文化財」
今回の場合だと、主要な世界遺産が「沖ノ島」、そして沖ノ島と関係のあるその他の文化財といったイメージですね。
以上の分解した4つのワードをまとめると、下記のようなイメージになります。
宗像氏由来の宗像市にある沖ノ島には神様が宿っていて、その沖ノ島と深く関係している文化財にも世界遺産としての価値がある
このように登録名称を分解して考えることで
「何がどんな理由で世界遺産に登録されたのか」
というのを本文を読まなくても誰でも登録名称だけで推測することができるのです!
沖ノ島の重要キーワード「祭祀」
本文では度々「祭祀」というワードが出てきます。
つまり今回の世界遺産は、祭祀が非常に重要なワードであるということです!
祭祀とは簡単に言うと、「神や祖先をまつること」です。
深掘りすればもっと内容の濃いワードになりますが、今回は初心者向けに書いているので
「神をまつる伝統儀式なんだな〜」
こんな感じで捉えておいてください。
祭祀の移り変わりを伝える遺産群
古来から沖ノ島で祭祀が行われていた理由
沖ノ島で祭祀が行われ続けてきた主な理由は、東アジアの国々と交流を行うためです!
日本が東アジアと交流を行うには、必ず海を渡る必要があります。
当時日本の政権を握っていたヤマト政権は、中国や朝鮮との交流目的があったため現在の福岡県から朝鮮半島に向けて航海する必要がありました。
その航海する際の目印として「沖ノ島」が役割を果たしていたのです!
つまり、日本から朝鮮半島に向かう航路にちょうど沖ノ島があったということです。
このように沖ノ島は当初は、航路の目印的存在として役割がありました。
しかし次第に、沖ノ島を信仰する傾向が強まっていきます。
具体的には、航海の安全を祈願するための「海の守神」として沖ノ島を信仰する人が増えていきました。
実際に東アジアとの交流が盛んだった4〜9世紀の約500年間に、何回も祭祀が行われていた証拠が沖ノ島から見つかっています!
さらに、東アジアとの交流が成功することを望むための祭祀まで行われていくようになりました。
このように、古来から日本が東アジアと積極的に交流をしていたという証拠が沖ノ島から見つかったことに世界遺産としての価値があると評価を受けました!
なお具体的にどんな証拠が見つかったについては、後述の「沖ノ島で行われていた祭祀の変化」で触れています。
東アジアとの交流が必要だった理由
4世紀頃に日本の政治権限を握ってた「ヤマト政権」は、さらに勢力を広げようともくろんでいました。
そして勢力を拡大させるためには、近隣の国と交流して物資や知識を手に入れる必要があると考えたのです。
こうして中国や朝鮮を中心に、「鉄資源」「優れた技術」「知識」などを取り入れるべく航海を始めるようになりました。
ところがここで問題が発生します!
実はヤマト政権は「航海する技術・知識」を持っていなかったのです!
そこで、当時唯一航海の技術を持っていた宗像氏(一族)に航海技術を伝授して欲しいとお願いをしました。
もちろん、ヤマト政権はタダで教えてもらおうとは考えていませんでした。
ヤマト政権の航海に協力していただく代わりに、宗像氏が信仰する沖ノ島で祭祀を行うことを約束したのです!
そしてヤマト政権は沖ノ島で祭祀を行うたびに、奉献品を持ち寄っていました。
つまり沖ノ島で多くの祭祀に関わるものが見つかったのは、ヤマト政権が祭祀を行うたびに持ってきた奉献品が大量にあったからなのです!
その後も日本と東アジアとの間では人の派遣を中心に頻繁に交流が行われ、次第に沖ノ島から「大島」という別の島、日本の本土へと祭祀の場所が広がっていきました!
沖ノ島で行われていた祭祀の変化
17世紀に沖ノ島に神社が建てられる前までは、主に「自然崇拝」という山や海などに対して信仰する形態が取られていました。
自然崇拝期間に沖ノ島で行われていた祭祀は主に下記になります。
岩上祭祀 | 巨岩群の岩上で行う |
---|---|
岩陰祭祀 | 岩の陰で行う |
半岩陰・半露天祭祀 | 時と場合によって岩陰や平らな場所で行う |
露天祭祀 | 平な場所で行う |
このようにどんどん広い敷地へと移って行っていることから、祭祀に参加する人々が増えていったことが考えられます。
そして祭祀が行われていた場所からは、下記のような様々な奉献品(ほうけんひん)が見つかっています。
- 銅鏡
- 金製指輪
- カットグラス破片
- 雛形五弦琴(ひながたごげんきん)
- 富寿神宝(ふじゅしんぽう)
そして、現在までに見つかっている奉献品は約8万点で全てが国宝に指定されています!
なお現時点ではまだ沖ノ島全体の3割ほどしか研究が進んでいないため、今後さらに国宝級の奉献品が見つかるかもしれません。
こういった奉献品が実際に見つかっていることが、ここ沖ノ島で古来から祭祀が行われていた証拠になるのです!
- 本土から離れた海上にあるため簡単に人の出入りができない
- 島自体を神として信仰していたため簡単に上陸してはいけなかった
沖ノ島から信仰対象が変化・拡大
世界遺産に登録されている範囲は、「沖ノ島」「宗像大社」「古墳群」の3要素で8つの資産から構成されています。
つまり沖ノ島は構成資産の一部にしか過ぎず、他にも重要な遺産があるということです!
また、「沖ノ島」「宗像大社」「古墳群」この3つが一体となって沖ノ島の信仰の歴史を証明しています。
信仰対象が沖ノ島から宗像大社の三女神へ
沖ノ島は、1500年以上にわたって「神宿る島」として信仰の対象となりました。
ところが17世紀に頃に沖ノ島に、「宗像大社沖津宮(むなかたたいしゃなかつぐう)」が建立されると信仰対象に変化が訪れます。
自然崇拝 ⇨ 宗像大社の「宗像三女神」への信仰
信仰対象が自然から物理的な神社に変わったと同時に、祭祀の形式にも変化が起きます!
露天祭祀 ⇨ 社殿を持つ祭祀
ちなみにこのような祭祀の形態に変化があった証拠として、「古事記」や「日本書紀」に宗像三女神の名前が記されています。
三女神はそれぞれ下記の神社でまつられています。
祀られている神様 | 祀っている神社 | 所在地 |
---|---|---|
田心姫命(たごりひめのみこと) | 宗像大社沖津宮 | 沖ノ島 |
湍津姫命(たぎつひめのみこと) | 宗像大社中津宮 | 大島 |
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと) | 宗像大社辺津宮 | 九州本土・福岡県宗像市 |
(それぞれの宗像大社の詳細は後述の「3つの宗像大社を含む各遺産の詳細」で解説します)
現代に受け継がれるまでの厳しいおきて
信仰の原点とも言える沖ノ島には、現在でも受け継がれている厳しいおきてがいくつも存在します。
- 女性の上陸は禁止(女人禁制)
- 男性であっても研究者や神職以外の一般人の上陸は禁止
- 滞在時間に制限がある
- 奉献品はもちろん、草や土など島にあるあらゆるものの持ち帰りは禁止
- 島で見聞きしたことを口外する行為は禁止
- 島内で暴言を吐くことは禁止
- 沖ノ島周辺の海での漁獲は禁止
また、年に1回5月に行われる現地大祭の時に限り抽選で選ばれた一般の男性も上陸ができましたが、世界遺産に登録された2017年以降はそういった特別な上陸ですら厳しくなったとされています。
3つの宗像大社を含む各遺産の詳細
本土から離れた孤島となっている「沖ノ島」の全景
前述の「沖ノ島から信仰対象が変化・拡大」の冒頭でも触れましたが、世界遺産の登録範囲は「沖ノ島」「宗像大社」「古墳群」の3要素で構成されています。
そしてこの3つを地図上で見るとなんと一直線上に繋がっているのです!
宗像大社沖津宮(むなかたたいしゃおきつぐう)
- 17世紀頃に沖ノ島に建立された
- 沖ノ島+岩礁の「小屋島」「御門柱」「天狗岩」で構成される
- 宗像三女神の「田心姫命(たごりひめのみこと)」をまつる
宗像大社沖津宮遙拝所(むなかたたいしゃおきつみやようはいじょ)
上陸ができない沖ノ島を遠くから拝むために建てられた大島にある信仰の場です。
宗像大社中津宮(むなかたたいしゃなかつぐう)
- 沖ノ島から南は48km離れた大島にある
- 宗像三女神の「湍津姫命(たぎつひめのみこと)」をまつる
- 現像する本殿は17世紀に再建されたもの
宗像大社辺津宮(むなかたたいしゃへつぐう)
- 九州本土にある(現在の福岡県宗像市)
- 宗像三女神の「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」をまつる
- 現在の宗像大社の神に関する儀式の中心
- 現在の本殿と拝殿は16世紀に再建されたもの
新原・奴山古墳群(しんばる・ぬやまこふんぐん)
- 九州本土にある(現在の福岡県福津市)
- 沖ノ島を信仰する伝統を継承した宗像氏の古墳群
- 大小41の墳墓からなる
- 本土から沖ノ島へと続く海を望む台地に築かれた
本日の確認テスト
(「世界遺産検定」の概要についてはこちらの資料を参考にしてください)
3, 4級レベル
宗像三女神の「田心姫命」がまつられている島の名称として正しいものを選びなさい。
- 沖ノ島
- 淡路島
- 佐渡島
- 屋久島
①
答え(タップ)>>2級レベル
『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』の構成資産として誤っているものを選びなさい。
- 古墳群
- 沖ノ島
- 宗像大社
- 伝統集落
④
答え(タップ)>>1級レベル
「宗像大社中津宮」の説明として誤っているものを選びなさい。
- 現像する本殿は17世紀に再建されたもの。
- 現在の宗像大社の神に関する儀式の中心になっている。
- 宗像三女神の「湍津姫命(たぎつひめのみこと)」がまつられている。
- 沖ノ島から南は48km離れた大島にある。
②
答え(タップ)>>まとめ
- 沖ノ島で祭祀が始まったきっかけはヤマト政権による東アジアとの交流目的の航海!
- 現在までに沖ノ島からは約8万点の奉献品が見つかっていて古来から祭祀が行われていた証拠となっている!
- 信仰対象が「自然崇拝 → 宗像三女神」に変わったことで祭祀の形態も「露天祭祀 → 社殿を持つ祭祀」へと変わっていった!
- 「沖ノ島」「宗像大社」「古墳群」が一体となって沖ノ島の信仰の歴史を証明している!
- 「宗像大社沖津宮:田心姫命」「宗像大社中津宮:湍津姫命」「宗像大社辺津宮:市杵島姫命」がそれぞれまつられている!
参考文献・注意事項
- 当記事の内容は「世界遺産検定1級公式テキスト<上>」と「世界遺産検定1級公式テキスト<下>」を大いに参考にしています。
- 当記事は100%正しい内容を保証するものではありません。一部誤った記載が存在する可能性があることをあらかじめご了承ください。