こんな方にオススメの内容!
- なぜわざわざ建築が難しい海沿いに神社が建てられたのかを知りたい!
- 世界遺産として厳島神社にはどんな価値があるのかを知りたい!
- 厳島神社への旅行を計画しているため事前情報を得たい!
- 教養として世界遺産に関する知識を身につけたい!
- 世界遺産検定の受験を考えている!
遺産ポイント
- 対岸から信仰するため&平清盛が宗との貿易に力を入れるために厳島の海沿いに社殿を整備した!
- 平安時代の寝殿造の様式で建てられ周囲の自然と一体になった景観に世界遺産としての価値がある!
- 本社の本殿、高舞台などの主要な建物が海上の大鳥居と一直線の軸上に並ぶように配置されている点が特徴的!
「厳島神社」のプロフィール
登録名称 | 厳島神社 |
---|---|
登録年 | 1996年 |
所在国 | 日本(広島県) |
登録ジャンル | 文化遺産 |
登録基準 | (i)(ii)(iv)(vi) |
備考 | 厳島神社とフランスの世界遺産「モン・サン・ミシェル」は姉妹世界遺産 |
今なお美しい姿を見せる厳島神社の歴史
建築が難しい海沿いに建てられた理由とは
大鳥居の背後にそびえる山が「弥山」
神社が築かれる前まで、厳島(宮島)はほとんど何も存在しない島でした。
ただそれでも厳島には、人々を魅了するシンボル的存在の山がありました。
その山とは、「弥山(みせん)」です!
弥山がそびえる厳島の景観に対して、古くから「神の島」として信仰(お祈り)を行う人が大勢いたのです。
しかし人々は厳島へ渡って信仰していたのではなく、海を隔てて対岸から信仰を続けていました。
このような対岸からの信仰が続き、次第に厳島の海沿いには神社が建てられるようになっていきました。
つまり簡単に島へ渡ることができない分、対岸からでもお祈りできるように海沿いに神社を建てていったというわけです!
平安時代にこの厳島の権力を握っていた平清盛は、宗(現在の中国)との貿易に力を入れるためにさらに厳島を整備することを決めました。
宗との貿易をする上で頻繁に船が通る海が厳島がある「瀬戸内海」でした。
つまり、宗と貿易をする上で厳島は立地的に最適な貿易環境だったのです!
またこの平安時代に、厳島神社の「社殿」というメインの部分が造られるようになり、より一層信仰高き神社に生まれ変わりました。
厳島神社の消失・再建・発展
これまでの歴史の中で、厳島神社は度重なる災難にもあっていました。
まず前述でも触れた「社殿」は、一度火災によって消失してしまいます。
消失後、数十年かけて再建され、その時に再建されたのが現在の厳島神社の起源とされているのです!
しかし海沿いに位置していたため、高波や台風などの自然災害にも度々あいます。
それでもその度に地域の有力者の支援のもと、何度も再建されていったのです。
マイナスなことだけでなく社殿などの建物が建てられるにつれて、厳島神社周辺には市街地が形成されるようになっていきました。
さらに平安時代には「空海」という僧によって、厳島神社の背後にそびえる弥山の山頂に寺院などが建設されていきました。
こういった街の形成や周辺施設の建築により、多くの一般庶民が信仰をしに厳島を訪れるようになり急激に島の人口が増えることになったのです。
その後も、下記のような建築物が次々と建てられました。
- 厳島のシンボル的存在の海上にたたずむ「大鳥居」
- 「和様 × 禅宗様」の折衷様式が特徴の「五重塔」
- 外観が和様の「多宝塔」
- 豊臣秀吉によって建てられた「豊国神社本殿」
数多くの災難を乗り越えて度重なる再建をへて、現在のような周囲の自然と一体となった厳島神社の景観が完成したのです!
補足:弥山(みせん)
弥山山頂から臨む瀬戸内海の景色
古くから神の聖域とされた弥山は、1929年に天然記念物に、1957年に特別保護区となりました。
また山頂には1,200年にわたり燃え続けていると伝えられる、「消えずの霊火」が残っています。
建築の観点で見る厳島神社の魅力
厳島神社の建築におけるキーパーソンは「平清盛」
前述の「建築が難しい海沿いに建てられた理由とは」でも少し出てきましたが、厳島神社は平清盛による建築によって世界的に高く評価されたといっても過言ではありません!
実際に厳島神社は、原始的な社殿を現在でも見られる姿に発展させた平清盛の構想力と美的センスを見てうかがえます。
そして厳島神社の建築様式を語る上で欠かせないのが、「寝殿造(しんでんづくり)」というワードです!
寝殿造の主な特徴は下記になります。
- 上下(南北)に分けられて半分が住居エリアで半分が庭園エリア
- 住居エリアの中央に正殿がある
- 東西(左右)対称形
- 各建物は廊下(渡殿)で繋がっている
- 屋根はゆるやかな曲線を持つ檜皮葺(ひわだぶき)
もともと寝殿造は、厳島神社が建てられる前までは主に住宅建築で使われる様式として浸透していました。
しかし平清盛はこの寝殿造を初めて神社に採用したのです!
そして素晴らしい建築様式だけでなく、背後にそびえる弥山や海などの周囲の自然との一体感はまさに厳島の価値を証明するものです!
こういった日本独自に発展をとげて宗教的空間の特性を知る重要な手がかりになった点も、世界遺産に登録される大きな要因になりました。
各建物の特徴と配置
厳島神社・本社
本社を含む厳島神社は、「本殿・幣殿・拝殿・高舞台」などの主要な建物が、海上にたたずむ大鳥居と一直線上に並ぶように配置されている点が特徴的です!
そして本社には、「宗像三女神(むなかたさんじょしん)」と言われる下記の三女神をまつってます。
- 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
- 田心姫命(たごりひめのみこと)
- 湍津姫命(たぎつひめのみこと)
宗像三女神に関する他の日本の世界遺産としては、「宗像・沖ノ島と関連遺産群」が挙げられます。
下記の記事で詳しく解説しているので、ぜひ併せて読んでみてください!
合わせて読みたい!【宗像・沖ノ島と関連遺産群】世界遺産登録理由&祭祀の歴史を小学生でもわかるように解説!また高舞台では、1,000年以上にわたって守り伝えられた「舞楽(ぶがく)」が行われていることも有名です。
能舞台
厳島神社の能舞台は、日本で唯一の海に浮かぶ能舞台として知られています!
ただ通常の能舞台と違い海上だと響かせづらいため、床下の根太を三角形に配置する工夫をして響かせるようにしている
世界遺産:トレーニングテスト
(「世界遺産検定」の概要についてはこちらの資料を参考にしてください)
3, 4級レベル
平安時代に厳島神社の社殿などの設計を担った人物として正しいものを選びなさい。
- 空海
- 源頼朝
- 藤原道長
- 平清盛
④
答え(タップ)>>2級レベル
古くから信仰の対象とされていた厳島(宮島)にある山の名称として正しいのを選びなさい。
- 吉野山
- 白山
- 弥山
- 宝永山
③
答え(タップ)>>1級レベル
厳島神社に採用されている「寝殿造」の説明として誤っているものを選びなさい。
- 各建物は廊下(渡殿)で繋がっている
- 屋根はゆるやかな曲線を持つ檜皮葺(ひわだぶき)
- 住居エリアの中央に能舞台がある
- 上下(南北)に分けられて半分が住居エリアで半分が庭園エリア
③
答え(タップ)>>「厳島神社」のまとめ
- 厳島神社の起源は厳島にそびえる弥山を信仰対象にしていたところから始まる!
- 平安時代に平清盛が社殿を建築して以降「五重塔」「多宝殿」などが建てられていった!
- 厳島神社は「左右対象」「各建物が廊下(渡殿)で繋がっている」などが特徴の寝殿造の様式が採用されている!
- 厳島神社の主要な建物は大鳥居と一直線上に並ぶように配置されるように建てられている!
おまけ:日本の厳島神社とフランスの世界遺産「モン・サン・ミシェル」は姉妹!?
前述の「「厳島神社」のプロフィール」の備考にも記載しましたが、実は日本の厳島神社とフランスの世界遺産「モン・サン・ミシェル」は姉妹世界遺産として知られているのです!
厳島神社のある廿日市市のホームページにも大々的に記載があります。
その理由の一つが、周囲の自然環境と一体化した伝統的建築物という点です。
両者は共に「海の上に浮かぶ世界遺産」という共通点を持っています。
さらにフランスの観光局と日本の観光局が共同で作成した観光ポスターには、モン・サン・ミシェルと厳島神社が両方描かれているのです。
フランスでも日本の観光地として厳島神社は大人気で、両国の架け橋になっている世界遺産といった役目を持っています!
なお、モン・サン・ミシェルについては下記の記事で詳しく解説してますので、ぜひ併せて読んでみてください。
合わせて読みたい!【”モン・サン・ミシェル”はなぜ海の上?】世界遺産登録理由&歴史をわかりやすく解説!参考文献・注意事項
- 当記事の内容は「世界遺産検定1級公式テキスト<上>」と「世界遺産検定1級公式テキスト<下>」を大いに参考にしています。
- 当記事は100%正しい内容を保証するものではありません。一部誤った記載が存在する可能性があることをあらかじめご了承ください。