こんな方にオススメの内容!
- 萩城下町や松下村塾が世界遺産登録された理由を知りたい!
- 萩の歴史や産業遺産に興味がある!
- 教養として世界遺産に関する知識を身につけたい!
- 世界遺産検定の受験を考えている!
- 萩への旅行を計画している!
遺産ポイント
- 萩市内に5つの世界遺産が点在するシリアル・ノミネーション・サイト
- 松下村塾や萩反射炉など日本産業の近代化を象徴する建造物が数多く残る
- キーパーソンは毛利輝元と吉田松陰
「萩の産業遺産」のプロフィール
登録名称 | 『明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業』の構成資産の一つ |
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登録年 | 2015年 |
所在国 | 日本(山口県) |
登録ジャンル | 文化遺産 |
登録基準 | (ii)(iv) |
備考 | シリアル・ノミネーション・サイト(詳細はこちらの記事で) |
そもそも「萩」とはどんな街?
5つの世界遺産を抱える萩は日本を代表する歴史ある街(萩中心部の世界遺産の案内板)
【萩の街の特徴】
- 萩城を中心とした城下町として繁栄
- 江戸〜明治にかけて産業の近代化に関する施設が数多く建設された
- 今なお当時の時代の建造物や街並みが残されている
萩は、山口県の日本海側に位置する歴史ある街です。
萩の歴史のポイントとなるのが、約400年前に築かれた城と城下町、そして江戸時代末から明治にかけて数多く建設された産業施設です。
そして、城、城下町、産業施設は全て世界遺産に登録されています。
萩の歴史
「萩城下町」はかつて萩の政治・行政・経済の中心として栄えた
17世紀初頭 | 毛利輝元(もうりてるもと)により萩城が築かれ、城周辺に城下町が誕生する。 (萩城と城下町の詳細は後述で解説) |
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江戸時代末 | 吉田松陰(よしだしょういん)、伊藤博文(いとうひろぶみ)など未来の日本を担う多くの人物が輩出される。 |
明治初期 | 山口県が誕生し、萩市の前身である萩藩が山口県の一部となる。 |
19世紀中頃 | ・萩の港にある「恵美須ヶ鼻造船所」にて、日本初の西洋式の帆船「丙辰丸(へいしんまる)」が造られる。 (恵美須ヶ鼻造船所の詳細は後述で解説) ・「萩反射炉」で初めて金属を溶かす実験が行われる。 (萩反射炉の詳細は後述で解説) |
現在の萩の街の基礎が築かれたのは、萩城と城下町が築かれた17世紀初頭のことです。
つまり、現在の萩の街は約400年の歴史を見せているのです。
また、萩は吉田松陰や伊藤博文といった未来の日本を担う人材を数多く輩出した街として知られています。
つまり、現在の日本経済・政治の基礎をつくった街と言っても過言ではないのです。
萩の中心人物たち”長州ファイブ”
世界遺産「松下村塾」には伊藤博文など塾生の肖像画が飾られている
前述の「萩の歴史」で解説したように、萩は多くの著名人を輩出しています。
なかでも、”長州ファイブ”と呼ばれる、日本の近代化に挑戦した5人の萩藩士が有名です。
用語メモ
萩藩士(はぎはんし)とは、萩が「市」ではなく「藩」と呼ばれていた江戸時代に活躍していた武士を指す。なお江戸時代、萩は別名”長州”と呼ばれていた。- 伊藤博文(いとうひろぶみ):初代内閣総理大臣
- 井上馨(いのうえかおる):初代外務省
- 井上勝(いのうえまさる):鉄道庁長官(鉄道の父)
- 遠藤謹助(えんどうきんすけ):造幣局長
- 山尾庸三(やまおようぞう):東京大学工学部の前身となる工部大学校を開校
長州ファイブの5人は、様々な分野で日本の近代化に大きく貢献しました。
また、各人物の育ての親とも言える吉田松陰も萩で大きく活躍した人物の一人です。
なお、2015年に世界遺産登録された萩にある各建造物は、長州ファイブが関わったものもあります。
世界遺産登録理由
世界遺産「恵美須ヶ鼻造船所跡」付近に建つ歴史ある神社「恵比須神社」
萩が世界遺産登録された理由は、大きく下記の2点に分けられます。
- 日本産業の近代化の歴史を刻む
- 良好な状態の産業施設や街並みが残されている
ちなみに、世界遺産登録されている萩の街並みや建造物は、萩単体で世界遺産登録されているわけではありません。
あくまでも、2015年に世界遺産登録された『明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業』の構成資産の一部になります。
なお、『明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業』に関しては下記の記事で詳しく解説しているので、気になる方はぜひ併せて読んでみてください。
合わせて読みたい!【明治日本の産業革命遺産とは?なぜ世界遺産?】登録理由&歴史&構成資産をわかりやすく解説!理由1:日本産業の近代化の歴史を刻む
萩で活躍した主要人物の一人「高杉晋作」の立像
日本は、江戸時代末から明治時代にかけて飛躍的な産業化に成功しました。
そんな日本産業の近代化の歴史の中心地の一つとなったのが、萩の街です。
そして、前述の「萩を代表する中心人物たち”長州ファイブ”」で解説したように、日本産業の近代化の中心人物として活躍したのが、吉田松陰と長州ファイブの5人なのです。
本格的な産業化が開始される前の江戸時代の日本は、海外との交流を一切持たない”鎖国”状態でした。
しかし、日本周辺でヨーロッパによる侵略などが増えたことに対し、日本はヨーロッパに対抗できるよう準備を進めることを決めたのです。
この準備に大きく関わった人物が、吉田松陰と長州ファイブの5人です。
まずは、海からの侵略に対抗するために海防を強化し、その後、ヨーロッパから武器などを製造するための知識や技術が導入されていきました。
こうして日本は、ヨーロッパの脅威に対抗するための準備を進めつつ、ヨーロッパとの技術交流も行っていったのです。
理由2:良好な状態の産業施設や街並みが残されている
萩城下町のメイン通りの一つ「菊屋横丁」は”日本の通り100選”に選ばれている
江戸時代末から日本は産業の近代化を図るべく、萩の街に様々な施設を建造していきました。
【産業の近代化のために建造された主な施設】
上記のような施設が建造されてことで、日本は凄まじいスピードで産業の近代化に成功しました。
日本産業の近代化にかかった期間はわずか50年とも言われています。
こうした日本産業の近代化に貢献した施設が、現在も当時の姿に近い状態で残されています。
つまり、萩は日本産業の近代化に関わった建造物が点在する”屋外博物館”と言えるのです。
世界遺産登録されている萩市内の構成資産
世界遺産「松下村塾」がある松陰神社は吉田松陰をまつるために建てられた
萩市内で世界遺産登録された建造物・遺跡は、大きく下記の5つに分けられます。
- 松下村塾
- 萩反射炉
- 大板山たたら製鉄遺跡
- 恵美須ヶ鼻造船所跡
- 萩城下町
松下村塾(しょうかそんじゅく)
伊藤博文など多くの著名人を輩出した「松下村塾(私塾)」
- 日本の未来を担う人材を教育した私塾
- 塾長は吉田松陰
- 周囲には松陰をまつるための神社や文化施設が点在
松下村塾とは、日本産業の近代化を引っ張る人材を教育するために、吉田松陰によって開校された塾です。
前述の「萩を代表する中心人物たち”長州ファイブ”」で登場した5名の人物は、この私塾でヨーロッパの技術や知識を習得しました。
つまり、松下村塾の存在が日本産業の近代化を支えたと言っても過言ではないのです。
【松下村塾の特徴】
- 階級や身分問わず勉強熱心な塾生を受け入れた
- 高杉晋作や伊藤博文など約90名もの人材が学んだ
- 敷地内には開校した吉田松陰を待つる神社も建てられている
なお、松下村塾を開校した吉田松陰の功績をたたえるために、明治40年に松陰神社が建てられました。
その後、吉田松陰は”学問の父”と称されるほど、現代人にも尊敬される存在となっています。
萩反射炉(はぎはんしゃろ)
日本に現存する3つの反射炉の一つである「萩反射炉」は実験用として使用された
- 金属を溶かして鉄製品をつくるための機械
- 国内に現存する3つの反射炉の一つ
- 萩藩の試行を重ねた実験の歴史が伝わる貴重な遺構
用語メモ
反射炉(はんしゃろ)とは、金属を溶かしたり、溶かした金属を製造したい鉄製品の形に加工したりするための機械。明治時代にかけて多くの反射炉が建造されたが、現存するものは国内で3つのみ。萩反射炉は、ヨーロッパに対抗するために必要な大砲などの鉄製武器を製造するために建造された、金属を溶かし形造る機械です。
ただし、実際には萩反射炉で大砲などが製造されたわけではありません。
あくまでも、現状の日本の技術力で鉄製品を製造できるかどうかの実験用として建造されたのです。
萩反射炉が建造された当時、日本にはまだ産業化に成功したヨーロッパの科学情報がほとんどありませんでした。
そのため、いきなり鉄製品を製造することはできず、金属を溶かすなどの工程を試行錯誤しながら実験的に行うことにとどまったのです。
そんな状況下で参考にした資料が、佐賀藩(現在の佐賀県)のスケッチです。
当時の佐賀藩は、国内屈指の技術力を誇っていたため、鉄製品の製造に関する技術と経験を持っていました。
そして、1856年に最初の金属を溶かす実験が行われ、その後日本全国に萩反射炉の技術が広まり、多くの反射炉が建造されていきました。
ちなみに、実験用ではなく、実際に鉄製品の製造に使われた反射炉としては、静岡県にある「韮山反射炉」が挙げられます。
韮山反射炉の詳細は下記の記事で解説しているので、萩反射炉と比較しながらぜひ併せて読んでみてください。
合わせて読みたい!【なぜ韮山反射炉は世界遺産?江川邸とは?】登録理由&造られた目的&歴史をわかりやすく解説!大板山たたら製鉄遺跡(おおいたやまたたらせいてついせき)
萩中心地から約15km離れた山林にたたずむ「大板山たたら製鉄遺跡」では鉄製部品の製造が行われていた
- ”たたら製鉄”の代表的な遺構
- 砂鉄を使用して金属部品の製造を行っていた
- 日本初の西洋帆船の建造に大きく貢献
大板山たたら製鉄遺跡とは、たたら製鉄という技術を用いて鉄の生産を行っていた建造物群の跡です。
用語メモ
たたら製鉄とは、木炭と砂鉄(岩のようなものから取れる細かい硬い石)を燃焼させ鉄を生産する、日本の伝統的な製鉄法。ヨーロッパの技術が導入される以前に日本でよく行われていた。全国にたたら製鉄の施設は存在しますが、日本産業の近代化が行われた時代に稼働していた施設として、且つ良好な状態で残されているのが大板山たたら製鉄遺跡です。
【大板山たたら製鉄遺跡で見られる遺構】
- 高殿:鉄生産の中心となる遺構
- 砂鉄洗い場:砂鉄の純度を高めるために使用されていた
- 小鍛治:鉄の生産のために使われる道具が生産されていた
- 倉庫:製鉄施設で働く人々の食料などが貯めたれていた
たたら製鉄法で鉄を生産する際に必要な原料は、「砂鉄」と「木炭」です。
特に木炭は、大板山たたら製鉄遺跡周辺で良質な木を採集することができたことが、この地に製鉄施設が築かれた理由になっているほどです。
そして、木炭には採集できる周期があったため、下記のような間隔で3回の鉄生産が行われました。
- 1回目:1751〜1763年
- 2回目:1812〜1822年
- 3回目:1855〜1867年
なお、大板山たたら製鉄遺跡で生産された鉄製の部品は、同じく世界遺産に登録されている「恵美須ヶ鼻造船所」での船の製造の際に使用されていました。
このように萩の産業施設はそれぞれ役割が与えられ、各々が関連しあっているのです。
恵美須ヶ鼻造船所跡(えびすがはなぞうせんじょあと)
日本初の西洋式の船が建造された場所「恵美須ヶ鼻造船所跡」
- 2つの洋式の船が製造された造船所
- 現在も当時の規模の防波堤が残されている
前述の「大板山たたら製鉄遺跡」で解説した製鉄施設で作られた鉄製の部品は、恵美須ヶ鼻造船所で船を製造する際に用いられました。
なかでも、有名な船として挙げられるのが以下の2つです。
- 丙辰丸(へいしんまる):日本初の木造の西洋式帆船。ロシア式の技術が導入されている。
- 庚申丸(こうしんまる):アメリカとの戦いなど数多くの戦で活躍した帆船。オランダ式の技術が導入されている。
用語メモ
帆船(はんせん)とは、帆という鳥の羽のようなものを広げて、海上の風を受けて走航する船。エンジンは付いていない。船を製造した際に建造された防波堤などは、現在も当時の姿の状態で残されています。
萩城下町(はぎじょうかまち)
現在の萩の街の原点とも言える「萩城下町」の街並み
- 萩城周辺に築かれた街並み
- 日本産業の近代化に貢献した人物が過ごした家屋などが残る
- 萩藩の政治・経済・行政の中心地として発展
萩城下町は、江戸時代以降の萩の歴史の原点とも言える地域です。
前述の「萩を代表する中心人物たち”長州ファイブ”」で登場した人物や、その他の萩で活躍した人物の生まれた家や活動拠点の多くが城下町に点在しています。
萩の中心人物たちが集まっていたことから、萩城下町は萩の政治・経済・行政の中心地として発展していきました。
萩城下町が築かれたきっかけは、1600年の関ヶ原の戦いに敗れた毛利輝元(もうりてるもと)が4年後に萩で新たな城を築いたことから始まります。
城が築かれたことで、周辺で計画的な街づくりが行われ、城下町が誕生しました。
萩城下町の世界遺産登録エリアは、細かく分けると下記の3つになります。
- 城跡
- 旧上級武家地
- 旧町人地
城跡
約400年前に築かれた天守の跡や石垣などが残る「萩城跡」
かつて「萩城」が築かれていた場所で、現在は天守跡や石垣などが残されています。
最大の特徴は、山城と平城の両方の特徴を持った平山城という点です。
- 山城:指月山に築かれている。山は天然の防壁の役割も担っている。
- 平城:平地に天守閣や二の丸などの城の主要施設が建造されていた。
当時高さ約15mを誇った天守閣は、明治初期に解体されてしまいました。
一方で、天守が築かれていた跡や石垣などが良好な状態で残されている点や城下町がつくられるきっかけとなった点が評価され、世界遺産登録範囲に含まれることとになりました。
旧上級武家地
かつてお偉いさん方が過ごした歴史ある街並み「旧上級武家地」
旧上級武家地は、萩藩のお偉いさんたちが過ごしたエリアです。
約260年間にわたって城下町として栄えた萩の心臓部分にあたります。
萩城と町民が暮らす旧町人地の間に位置しており、美しい白壁やなまこ壁の街並みが残されていることで有名です。
旧町人地
白壁の美しい街並みが今なお残る萩城下町の「旧町人地」
前述の「旧上級武家地」が武士が暮らすエリアに対し、町人が暮らすエリアが旧町人地です。
高杉晋作(たかすぎしんさく)や木戸孝允(きどたかよし)といった著名人が生まれた家も点在します。
黒板塀(くろいたべい)と呼ばれる木造の伝統家屋が軒を連ねている街並みが特徴で、下記の3つの通りが中心になります。
- 江戸屋横丁:中・下級の武士や商人が暮らした通り。木戸孝允の旧宅も残る。
- 伊勢屋横丁:高杉晋作の像が立つ広場に隣接し、比較的道幅が狭い。
- 菊屋横丁:白いなまこ壁が美しい通り。「日本の道100選」の一つに選ばれている。
本日の確認テスト
(「世界遺産検定」の概要についてはこちらの資料を参考にしてください)
3,4級レベル
萩市内に位置する世界遺産として誤っているものはどれか。
- 橋野鉄鉱山
- 松下村塾
- 大板山たたら製鉄遺跡
- 恵美須ヶ鼻造船所跡
①
答え(タップ)>>2級レベル
日本の近代化を担う人物を育成するための私塾を開校した人物として正しいものはどれか。
- 井上馨
- 高杉晋作
- 吉田松陰
- 山尾庸三
③
答え(タップ)>>1級レベル
”長州ファイブ”に該当する人物として誤っているものはどれか。
- 井上勝
- 遠藤謹助
- 伊藤博文
- 毛利輝元
④
答え(タップ)>>まとめ
- 萩の街の基礎は17世紀に毛利輝元によって建造された萩城と城下町によって築かれた。
- 伊藤博文をはじめとする”長州ファイブ”の5人は萩が輩出した主要人物。
- ヨーロッパに対抗するための産業の近代化と技術交流が行われた。
- 日本産業の近代化にかかった期間はわずか約50年。
- 松下村塾は日本の未来を担う人材を育成するために吉田松陰が開校した私塾。
- 萩反射炉は鉄製品の製造のための実験用として稼働した。
- 大板山たたら製鉄遺跡は鉄の生産や鉄製部品の製造が盛んに行われていた遺構。
- 恵美須ヶ鼻造船所跡では「丙辰丸」「庚申丸」といった西洋式の船が製造された。
- 萩城下町は萩の政治・経済・行政の中心地として発展した。
おまけ:プチ観光情報
萩城の外堀に位置する「北の総門」は萩のシンボルの一つ
萩城下町 | |
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最寄り駅 | JR山陰本線 萩駅 or 東萩駅(駅前から出る市バスで近くまでアクセス可能) |
入場料 (萩城跡) | 大人:210円 中学生以下:100円 |
混雑度 | 比較的空いている |
目安観光時間 | (萩城跡を含めて)4時間 |
営業時間 (萩城跡) | 3月:08:30〜18:00 4〜10月:08:00〜18:30 11〜2月:08:30〜16:30 |
休業日 | 無休 |
公式ホームページ | https://www.hagishi.com/search/list.php?c0=1&c1=1 |
松下村塾 | |
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最寄り駅 | JR山陰本線 東萩駅(駅から徒歩で約15分) |
入場料 | 無料 |
混雑度 | 普通 |
目安観光時間 | (松陰神社を含めて)2時間 |
営業時間 | ※各施設により異なる |
休業日 | 無休 |
公式ホームページ | https://showin-jinja.or.jp/ |
萩反射炉 | |
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最寄り駅 | JR山陰本線 東萩駅 or 越ヶ浜駅(駅から徒歩で約20分) |
入場料 | 無料 |
混雑度 | 空いている |
目安観光時間 | 1時間 |
営業時間 | – |
休業日 | 無休 |
公式ホームページ | https://www.city.hagi.lg.jp/site/sekaiisan/h6077.html |
恵美須ヶ鼻造船所跡 | |
---|---|
最寄り駅 | JR山陰本線 東萩駅 or 越ヶ浜駅(駅から徒歩で約20分) |
入場料 | 無料 |
混雑度 | 空いている |
目安観光時間 | 30分 |
営業時間 | – |
休業日 | 無休 |
公式ホームページ | https://www.city.hagi.lg.jp/site/sekaiisan/h6078.html |
大板山たたら製鉄遺跡 | |
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最寄り駅 | JR山陰本線 奈古駅(駅から車で約30分) |
入場料 | 無料(土日祝のみ無料ガイドあり) |
混雑度 | 空いている |
目安観光時間 | 1時間 |
営業時間 | 09:00〜日没まで |
休業日 | 無休 |
公式ホームページ | http://www.ohitayama-tatara.net/ |
萩市街地(大板山たたら製鉄遺跡を除く)にある4つの構成資産を効率よく訪れたい場合は、市内を循環して運行する「萩循環まぁーるバス」の活用がオススメです。
- 萩市役所を起点に1本/45分(07:00〜17:30)運行
- 城下町を中心とした西回り、松陰神社を中心とした東回りの2つに分かれる
- 1日乗車券がワンコインと運賃が激安
参考文献・注意事項
- 当記事の内容は「世界遺産検定1級公式テキスト<上>」と「世界遺産検定1級公式テキスト<下>」を大いに参考にしています。
- 当記事は100%正しい内容を保証するものではありません。一部誤った記載が存在する可能性があることをあらかじめご了承ください。