こんな方にオススメの内容!
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- 佐渡島の歴史や産業遺産に興味がある!
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遺産ポイント
- 佐渡島は江戸時代から日本最大の金生産地として大きく繁栄
- 世界遺産候補エリアは「西三川砂金山(にしみかわさきんざん)」と「相川鶴子金銀山(あいかわつるしきんぎんざん)」
- 金の採掘技術や金生産による政治・経済・文化の発展が世界遺産として評価に値する
「佐渡島の金山」のプロフィール
登録名称 | 佐渡島の金山 |
---|---|
登録年 | 2024年 |
所在国 | 日本(新潟県) |
登録ジャンル | 文化遺産 |
登録基準 | (iv) |
構成資産 | 西三川砂金山(にしみかわさきんざん)※詳細は後述 相川鶴子金銀山(あいかわつるしきんぎんざん)※詳細は後述 |
そもそも「佐渡島(さど)の金山」とは?
かつて金の採掘のために掘られた坑道
『佐渡島(さど)の金山』とは、日本海に浮かぶ新潟県の佐渡島(さどがしま)にある、かつて大量の金が採れた鉱山を指します。
用語メモ
鉱山(こうざん)とは、金や銀などの資源が採れる山や、その資源を採るための採掘現場全体のことを指す。日本では新潟県の佐渡島や島根県の石見などが有名。なかでも、佐渡島の金山は日本最大の金鉱山として知られており、一時期は世界で最も多くの金が採れる場所として世界に名が知られていたほどです。
なお佐渡島で採れた金の一部は、日本各地の歴史的な建築物内で使用され今なお見ることができます。
【佐渡島の金が使用された建物】
- 日光東照宮
- 二条城(二の丸御殿大広間)
- その他、多くの神社仏閣の門や襖絵(ふすまえ)
歴史
1601年 | 佐渡島の金山での採掘が開始(開山)。 |
---|---|
1603年 | 当時、日本の中心人物だった徳川家康(徳川幕府)が佐渡島の金山の運営を担う。 |
1615〜1650年 | 金の生産量が世界一になる。 |
1690年 | 金の生産量が落ち始める。 |
1869年 | 従来の伝統的な手作業(手工業)から、ヨーロッパ式の機械採掘へと移り始める。 |
1896年 | 佐渡島の金山運営が国から企業へと移る。 ⇨急速に機械化が進み、金の生産量が江戸時代の最盛期並みに到達する。 |
1939年 | 金の生産より銅や銀の生産が中心となる。 ⇨第二次世界大戦の勃発により、金よりも武器製造に必要な銅や銀の需要が高まったため。 |
1989年 | 佐渡島の金山での採掘が停止する(操業停止)。 |
2010年 | 世界遺産の暫定リスト(世界遺産候補の一つ)に入る。 |
2022年 | 正式に世界遺産登録への推薦をするも受け入れられず(受け入れられなかった理由は後述で解説) |
2024年 | 世界遺産に登録。 |
佐渡島の金山の最盛期は、主に下記の2回の時期に分けられます。
- 1回目:17世紀初頭〜中頃。佐渡島の山々に多くの金が眠っていることが判明し、採掘が活発に行われた。
- 2回目:19世紀末〜20世紀初頭。機械化によって、従来より多くの金を短い時間で採掘が可能になった。
17世紀初頭から始まった佐渡島での金生産、また20世紀初頭から採掘が活発に行われた銀生産は
- 金:約80トン
- 銀:約2,300トン
最終的にこれほど生産されました。
なお、現在は世界で機械化が進んだことで、中国やオーストラリアを中心に年間で100トン以上の金を生産しています。
やはり、機械の導入が金の生産量を大きく左右すると言っても過言ではないです。
佐渡島と世界遺産登録されている世界の鉱山
金採掘によって独特な景色が誕生したスペインの世界遺産「ラス・メドゥラス」
世界に目を向けると、佐渡島同様に古くから金や銀の採掘が行われた鉱山がたくさんあります。
その中でも、今回は世界遺産に登録されている鉱山について簡単に紹介します。
世界遺産名称 | 所在国 | 主な資源 | 採掘手段 |
---|---|---|---|
ラス・メドゥラス | スペイン | 金 | 手工業 |
ロシア・モンタナの鉱山景観 | ルーマニア | 金 | 手工業 |
ポトシ市街 | ボリビア | 銀 | 機械 |
オウロ・プレット歴史地区 | ブラジル | 金 | 機械 |
石見銀山遺跡とその文化的景観 | 日本(島根県) | 銀 | 手工業+機械 |
佐渡島の金山 | 日本(新潟県) | 金 | 手工業+機械 |
※リンクが付いている世界遺産は別記事で解説してます。 |
「ラス・メドゥラス」や「ロシア・モンタナ」は古代から金の採掘が行われていたと考えられているため、佐渡島の金山同様に手工業による金の採掘が行われていました。
一方で、「ポトシ」や「オウロ・プレット」はヨーロッパの近代的な機械が比較的早く導入されたため、機械による金銀の大量生産が行われていました。
「ポトシ」や「オウロ・プレット」と時代が被っている日本の佐渡島や石見では、すぐに機械を導入するのではなく、長年手工業で金銀の生産が行われていたところがポイントです。
手工業がメインの採掘方法とはいえ、当時(17世紀ごろ)の日本は海外から”黄金の国”と紹介されるほど金生産が盛んでした。
ちなみに、日本を黄金の国と紹介した人物は、ヨーロッパからアジアまでを旅したことで有名なマルコポーロです。
彼の旅行記にて、日本の金の装飾が紹介されています。
構成資産
『佐渡島の金山』の世界遺産登録範囲は、大きく分けて下記の2カ所です。
- 西三川砂金山(にしみかわさきんざん)
- 相川鶴子金銀山(あいかわつるしきんぎんざん)
なお、金山以外にも、金採掘のために誕生した周辺の街や金採掘の関連施設・遺構なども登録範囲に含まれています。
西三川砂金山(にしみかわさきんざん)
- 「大流し」という方法で金を採っていた現場
- 比較的小規模な金採掘の体制
- 周辺には非計画的な小規模な街が広がる
「西三川砂金山」は、佐渡島で最初に金の採掘が行われたエリアです。
最初ということもあり、このエリアでの金採掘方法は「大流し」と呼ばれる原始的な方法が行われていました。
用語メモ
大流しとは、砂金(砂状の金)を含んだ土石を水の勢いで洗い流して、残りの砂から金を取り出す方法。採取に必要な水は導水路と呼ばれる水専用の道を通って送られてくる。西三川砂金山で行われていた金採掘は、明確な役割分担が行われておらず、比較的小規模で採掘や金製品への鋳造(ちゅうぞう)が行われていました。
また、金採掘が盛んになってきた西三川砂金山周辺には、次第に金事業に勤しむ人たちの街(西三川の街)が形成されていきましたが、街造りはあまり計画的に行われず、小さな集落といった具合の規模にとどまりました。
相川鶴子金銀山(あいかわつるしきんぎんざん)
「道遊の割戸(どうゆうのわりと)」は金採掘によって削られ現在の形となった佐渡島のシンボル
- 坑道(採掘のために掘られた穴)をつくって金が採掘された現場
- 役割毎に分かれて作業をした大規模体制
- 周辺には計画的な街づくりの景観が広がる
前述の「西三川砂金山(にしみかわさきんざん)」をはじめ、従来の金採掘現場では主に下記の2つの問題が挙がっていました。
- 掘る際に使用された水をうまく排出できてない。
- 採掘現場内の空気を換気できていない。
この問題を全て解決するための技術が誕生し、掘り進められた現場が「相川鶴子金銀山」です。
多くの問題を解決することができたため、相川鶴子金銀山ではより効率的に金銀を生産することに成功しました。
さらに、明確に役割分担を行い、大規模な生産体制を整えることができた点も、金生産に勢いをもたらしたポイントです。
そして、金銀山周辺には計画的につくられた大規模集落が広がり、最盛期にはなんと約5万人も暮らしていたと考えられています。
また、相川鶴子金銀山にある「道遊の割戸(どうゆうのわりと)」は、佐渡島のシンボルとして挙げられます。
用語メモ
道遊の割戸(どうゆうのわりと)とは、山がV字型に割れている佐渡島のシンボル。人々が争って鉱石を掘っていった結果、山が2つに割れ現在のような形となった。他にも、金銀採掘の際に掘られた「大切山間歩(おおきりやままぶ)」や、排水設備の代表例である「南沢疎水道(みなみざわそすいどう)」など、当時使用されていた遺構も数多く残されています。
世界遺産登録理由
『佐渡島の金山』の世界遺産登録理由は、大きく下記の2点に分けられます。
- 高い技術によって世界最大の金生産地になった
- 金生産による政治・経済・文化の発展の歴史が刻まれている
理由1:高い技術によって世界最大の金生産地になった
かつて金や銀の選別が行われていた「北沢浮遊選鉱場(きたざわふゆうせんこうば)」
佐渡島の金山が世界遺産登録された1つ目の理由は、伝統的な手工業による採掘や最新の機械を導入した採掘など、金生産における高い技術力を誇っていた点が評価に値するためです。
前述の「そもそも「佐渡島(さど)の金山」とは?」で解説したように、佐渡島は一時期、世界最大の金産地として大きく繁栄しました。
このように世界最大の金産地にまで成長した要因は、佐渡島の伝統的な金の採掘技術や、海外から導入した最新技術など、状況に応じて適した技術を採用したことが大きく影響しています。
しかし、機械の導入が遅れたとはいえ、手工業で金の生産が行われていた当時の佐渡島は、なんと機械で金を生産していた海外よりも多くの金を生産していたのです!
手工業で世界一の金生産地となった要因は、主に下記の2点が挙げられます。
- 政府の方針により全国から有能な技術者が集められた。
- 採掘だけでなく「採掘⇨選別⇨精錬⇨鋳造(形造る)」が一通り行われ生産スピードが早かった。
つまり、佐渡島では有能な技術者によって一貫した金生産が効率よく行われていたのです。
また、機械と比較して手工業は純度の高い価値ある金が多く産出されたため、海外との取り引きでは高値がつきました。
そして17世紀には、世界で生産された金の約2割が日本産(そのうち半分が佐渡島産)が占めるほど大きく成長しました。
理由2:金生産による政治・経済・文化の発展の歴史が刻まれている
佐渡島の金山が世界遺産登録された2つ目の理由は、金生産によって発展した政治・経済・文化に価値があるとされているからです。
政治(外交) | ・佐渡島の金が海外との交流や貿易の際の支払い手段となる。 |
---|---|
経済 | ・江戸幕府(徳川幕府)により金銀が眠る鉱山の運営が築かれる。 ・佐渡奉行所が置かれる(大規模な金生産の体制が整う)。 ・佐渡島の金が武士への報酬になる。 |
文化 | ・金生産にちなんだ芸能やお祭りなどの民族文化が誕生する。 ・金採掘などによって命を落とした労働者を供養する祭りの開催。 ・金生産に関わる人々が暮らす伝統的な集落が誕生。 |
まず、佐渡に奉行所(ぶぎょうしょ)が置かれたことは、佐渡で継続的な金生産が行われるきっかけとなる大きな動きの一つです。
さらに、金生産が盛んに行われた影響で、佐渡島には多様な民族文化が誕生しました。
なかでも、金採掘に勤しんで亡くなった方々を供養するためのお祭りは、数百年経った現在でも毎年行われています。
また、島民の人口が膨れ上がったことで、金生産に勤しむ人々が暮らす集落が形成されました。
集落は現在でも見ることができ、鉱物資源(金や銀)の採掘現場の跡だけでなく、集落まで残されている場所は佐渡島が世界で唯一と言われています。
一度世界遺産登録の推薦書が取り下げられた原因
実は、『佐渡島の金山』は2022年に一度世界遺産登録への推薦が行われていました。
しかし、下記の事情により、佐渡島の金山の推薦書は文化遺産を調査する機関(ICOMOS)に受け取ってもらえませんでした。
- 関連施設同士が物理的に離れている
- 十分に保護されていない施設・遺構がある
要するに、推薦書の完全性に問題があったのです。
(完全性についてはこちらの記事で解説してます)
具体的に問題視されている施設・遺構は、「導水路(どうすいろ)」と「江道(えみち)」です。
名称 | 主な用途 | 問題点 |
---|---|---|
導水路 | 金を採取するために必要な水を採掘現場に送るための水路 | 導水路同士が途切れてしまっているため価値を十分に把握できない |
江道 | 「大流れ」という金採取方法で使用された水の通り道 | 一部の江道で「史跡」や「重要文化的景観」などの法律で保護されていないものがある |
なお、導水路と江道を世界遺産の構成資産に含めたい日本側と、価値の証明が不十分と言い張るユネスコ側とのやりとりのイメージは以下の通りです。
ちなみに、正式に世界遺産へ推薦する前に、「アップストリーム・プロセス」という仕組みを使えば、事前に遺産の調査を行う専門機関からフィードバックを受けることができます。
(アップストリーム・プロセスについてはこちらの記事で解説してます)
もし、この仕組みを日本が利用していなかったのであれば、利用しなかった点が仇となったと考えることができます。
一方で、利用したにも関わらず推薦書を受け取ってもらえなかったのであれば、アップストリーム・プロセスという仕組み自体に問題があると捉えることもできます。
”朝鮮人の強制労働”という歴史の問題
前述の「一度世界遺産登録の推薦書が取り下げられた原因」で解説した問題とは直接関係はないものの、『佐渡島の金山』の世界遺産登録の大きな壁となった問題がもう一つあります。
その問題とは、「朝鮮人の強制労働の歴史の説明」です。
事の発端は、佐渡島の金山の世界遺産推薦書を提出する際の韓国側の主張です。
佐渡島の金山の世界遺産登録に対して、韓国側は下記のような主張をしています。
佐渡島の金生産において、戦時中に多くの朝鮮半島の人々が佐渡島で強制的に労働させられた。あまりにも過酷な労働により多くの朝鮮半島の人々が命を落としたため、佐渡島の金山の世界遺産登録は決して他人事とは考えられない。当時、どのようなことが行われていたのかを明確に説明する必要があり、その上で『佐渡島の金山』の世界遺産登録が本当に相応しいかどうかを議論すべきである。
(※上文は正式な文ではなくあくまでもイメージしやすいように言い換えています。)
この韓国側の主張に対し、日本側は下記のような主張をしています。
『佐渡島の金山』の世界遺産としての価値は、あくまでも江戸時代に誕生した採掘現場や関連施設、採掘技術にあるため、”朝鮮人の強制労働”とは時代背景が大きく異なる。よって、世界遺産登録において”朝鮮人の強制労働”という歴史は大きく関わってこない。
(※上文は正式な文ではなくあくまでもイメージしやすいように言い換えています。)
『佐渡島の金山』の世界遺産としての価値に影響が無いとはいえ、世界遺産登録の過程で何かしらトラブルを抱えている点は、ユネスコなどの国際機関にはあまり良いイメージは与えません。
- 日本側と韓国側の意見のすり合わせをする。
- 韓国側の主張を踏まえて世界遺産推薦書を見直す。
- 諸外国が関わる遺産に対して国際機関にアドバイスを求める。
上記のような対応を行ったことで、世界遺産登録に近づくことができました。
本日の確認テスト
(「世界遺産検定」の概要についてはこちらの資料を参考にしてください)
3,4級レベル
「西三川砂金山」で採用されていた金の採取方法の名称として正しいものはどれか。
- 露店掘り
- 坑内採鉱
- アマルガム
- 大流し
④
答え(タップ)>>2級レベル
『佐渡島の金山』の世界遺産登録に対して反対していた国として正しいものはどれか。
- 中国
- ロシア
- 韓国
- インド
③
答え(タップ)>>1級レベル
『佐渡島の金山』の世界遺産推薦書が一度取り下げられた最大の原因として正しいものはどれか。
- 導水路同士が途切れてしまっている原因が示されていない。
- 観光客を受け入れるための十分な観光施設の整備が行われていない。
- 金だけでなく銀や銅の採掘に使用された施設も含まれているため価値が伝わりづらい。
- 廃墟と化した施設の保護・修復の計画が明確に示されていない。
①
答え(タップ)>>まとめ
- 佐渡島の金山は日本最大の金鉱山。
- 佐渡島の金山の最盛期は主に17世紀初頭〜中頃と19世紀末〜20世紀初頭の2回。
- 世界遺産登録エリアは「西三川砂金山」「相川鶴子金銀山」の2つに分けられる。
- 一時期は手工業によって世界最大の金産地となった。
- 金生産は国の政治・経済・文化の発展に大きな影響を与えた。
- 採掘現場と当時の集落を両方残す世界唯一の場所。
- 『佐渡島の金山』の推薦書は一度取り下げられている。
- 「かつて朝鮮人が強制労働をさせられた」として韓国が世界遺産登録を反対している。
おまけ:「佐渡島の金山」のプチ観光情報
佐渡島から眺める日本海のサンセット
最寄り空港 | 佐渡空港 ※ただし、定期便の運航がないため通常は本州からフェリーでアクセスすることになる。 |
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観光拠点都市 | 相川 |
主な施設・遺構 | 北沢浮遊選鉱場、佐渡奉行所跡、道遊の割戸、相川集落 |
営業時間 | ※各施設によって異なる。 |
休業日 | ※各施設によって異なる。 |
観光のベストシーズン | 4〜10月 |
公式ホームページ | https://www.sado-goldmine.jp/ |
アクセス
新潟市の夕景(佐渡島へは主に新潟港からフェリーでアクセスする)
佐渡島へ渡るには、主に新潟港から出ているフェリーを利用することになります。
- 新潟港 [所要時間:約1時間10分] ⇨ 両津港 [徒歩移動:数分] ⇨ 両津港佐渡汽船バス停 [乗車時間:約1時間] ⇨ 相川バス停
相川を拠点にすると、「道遊の割戸」「北沢浮遊選鉱場」など、佐渡島の金山のシンボルと言える施設・遺構を効率よく観光することができます。
ただし、施設・遺構によっては個人で訪れることが困難な場所もあるため、事前にツアーを申し込んでおくと安心です。
宿泊施設情報
- 金山観光の拠点となる相川の宿泊施設は民宿がメイン
- 佐渡島西岸に大型の3つ星ホテルが点在
- 島の玄関口となる両津港付近にも宿泊施設が点在
佐渡島には宿泊施設が密集している地域というものがありません。
島全体に宿泊施設が点在しているため、どの街を拠点に観光するかによって宿泊施設は絞られてきます。
一方で、金山の観光拠点となる相川には、大型ホテルは無く主に民宿になります。
ホテルに宿泊したい場合は、相川から車で10分ほど離れた海岸沿いに移動が必要になるため、事前にレンタカーを手配しておきましょう。
参考文献・注意事項
- 当記事の内容は「世界遺産検定1級公式テキスト<上>」と「世界遺産検定1級公式テキスト<下>」を大いに参考にしています。
- 当記事は100%正しい内容を保証するものではありません。一部誤った記載が存在する可能性があることをあらかじめご了承ください。