こんな方にオススメの内容!
- 世界遺産として京都の文化財にはどんな価値があるのかを知りたい!
- 京都への旅行を計画しているため事前情報を得たい!
- 教養として世界遺産に関する知識を身につけたい!
- 世界遺産検定の受験を考えている!


遺産ポイント
- 京都から「国風文化」「北山文化」「東山文化」など現代の日本建築の起源となる様式が多く誕生!
- 京都をモデルに造られた「小京都」と呼ばれる街が全国にできた!
- 清水寺や金閣寺(鹿苑寺)など建造物の多くが再建されたもの!
「古都京都の文化財」のプロフィール
登録名称 | 古都京都の文化財 |
---|---|
登録年 | 1994年 |
所在国 | 日本(京都府 / 滋賀県) |
登録ジャンル | 文化遺産 |
登録基準 | (ii)(iv) |
備考 | 構成資産:賀茂別雷神社(上賀茂神社)、賀茂御神社(下鴨神社)、延暦寺、教王護国寺(東寺)、清水寺、醍醐寺、仁和寺、平等院鳳凰堂、宇治上神社、高山寺、西芳寺、天龍寺、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、龍安寺、本願寺、二条城(計17件) |
全国に大きな影響を与えた京都の歴史



平安京が誕生した平安時代



平安京という都市は
古代中国の唐の都城という都市を規範にして8世紀末に築かれました。
そしてここから約400年にわたって「国風文化」が花開きます!

国風文化が栄えると同時に
平安京では建造物の建築において厳しい制限が設けられました。
その制限とは
「官寺を除いて平安京内での寺院建立を禁止とする」
というものです。

官寺に該当する寺の例としては「東寺(教王護国寺)」が挙げられます!

このような厳しい制限があったことにより
平安京内には機能的な都市造りが計画的に進められていきました。
現在の京都市を上空から見ると
碁盤の目のように整備された街づくりが見られるのもこういった計画的な都市造りの影響があったからです。
一方で平安京内に建造物を建てることができなかったため
平安京を避けるようにして周囲の山の中に次々と社寺や貴族の別荘が築かれていきました。
世界遺産に登録されている社寺の多くが山の近くで見られる要因は
こういった都市計画の制限が影響してきているのです。

新たな文化の誕生や戦禍を経験した鎌倉時代以降

平安時代以降の京都では主に下記のような動きがありました。
※平安時代以降は「平安京→京都」として話を進めていきます。
時代 | 概要 | 主な出来事 |
---|---|---|
鎌倉時代 | 平安京から鎌倉に政治権力が移るが引き続き京都でも権力を持った貴族が勢力を高める。 | さまざまな文化が影響し合い平安時代に引を取らないぐらいに神社や寺院が築かれていく。 |
室町時代 | 室町幕府の誕生により再び京都に政治権力が戻る。 | 複数の文化が融合した「北山文化」や「東山文化」が栄え、「北山文化:金閣寺(鹿苑寺)」や「東山文化:銀閣寺(慈照寺)」などが建てられる。 |
15世紀頃 | 「応仁の乱」によって京都の街は壊滅的な被害を受ける。 | 「町衆」と呼ばれる力を持つ市民らによって焼失した社寺が再建・保護されるようになる。 |
江戸時代 | 江戸幕府の誕生により京都の政治が安定する。 | 都市部では「桃山文化」と呼ばれる豪華絢爛な文化が栄え、「醍醐寺」「二条城」などが築かれ、焼失していた「清水寺」などが伝統様式によって再建される。 |
本格的な文化財保護の体制強化

これまでの歴史で再建や保護が度々行われてきた京都の文化財ですが
近代に入ってからは具体的に法律などで保護していく方針が取られるようになっていきます!
具体的に取られた保護体制は以下のとおりです。
- 古社寺保存法
- 国宝保存法
- 文化財保護法


ちなみに京都府にある国宝の総数は
2020年時点で約「240件」と東京都に次ぐ全国2位を誇っています!
ただ東京都の場合は博物館や美術館にあるような展示品の数が多数を占めているので
国宝に指定された”建造物”という点では京都が全国1位になります!


京都から広まる建築・庭園・都市造りの形

京都を代表する観光地として有名な嵐山の「竹林の小径」

- 京都で生まれた伝統・文化が全国に影響を与えた
- 日本の各時代における建築・庭園様式のモデルが京都で生まれた

全国に影響を与えた京都の伝統・文化





京都が首都だった間は
日本の各時代における政治・経済・文化の中心を担っていました。
そして日本にある建造物や庭園の様式は
京都で花開いた文化を模したものになることが多かったのです!
こういった影響もあり街づくりをするにあたって京都をモデルにする都市が全国に見られました。
いわゆる「小京都」と呼ばれる街が全国各地に増えていったのです!
具体的に京都では下記のような文化が栄えていました。
和洋 | 12世紀までに建てられた神社や寺に多く見られる |
---|---|
桃山様式 | 装飾が多い建築様式として有名 |
浄土庭園・枯山水 | 京都の「龍安寺の方丈庭園」などで見られる日本を代表する2つの庭園様式 |

京都は現在の日本の伝統建築・庭園様式の生誕の地

前述の「全国に影響を与えた京都の伝統・文化」でも触れましたが
京都で栄えた建築・庭園様式などは日本全国へ広がりました。
さらに他にも
現在の日本でもよく見られる「周囲の自然環境との融合」といった独特な文化が生まれたのも京都です!
京都は南以外の周囲を豊な緑の山に囲まれている盆地です。
そのため社寺を建造する際は
必ずと言っていいほど自然環境を考慮した造りになります。
この考えは現在の日本の建築にも大いに活かされているため
まさに日本独自の精神性や文化を示す伝統的な建築様式といっても過言ではないのです!
また度重なる内乱や火災によって京都にある社寺の多くが焼失しましたが
その度に再建が繰り返され今もなお創建当時に近い姿で保存されています。

このように世界遺産に登録されている京都の文化財は
日本の木造の宗教建築や日本庭園の歴史の発展過程を見事に伝えているのです!

時代の流れに沿って各遺産の詳細を解説

「古都京都の文化財」は「姫路城」や「厳島神社」のように単一の建物の登録ではなく
「古都奈良の文化財」のように京都内にある複数の文化財をまとめて世界遺産登録されています。
登録されている文化財は
「合計17件」と古都奈良の8件の倍以上あるので驚きですよね!
世界遺産に登録されている文化財は
主に「平安時代〜桃山時代」という長い歴史を経て建てられ続けています。
つまり京都の建造物の歴史をたどることで
日本の歴史の流れをたどることができると言っても過言ではありません!
今回は建造年が早い順(つまり平安時代に建てられた建造物)から解説していきます!
賀茂別雷神社(上賀茂神社)

- 平安京造営当初を伝える資産
- 鎮護国家(ちんごこっか)の宗教施設
- 「賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)」をまつる
- 背後には”賀茂別雷大神が降臨した山”とされる「神山(こうやま)」がそびえる

賀茂御神社(下鴨神社)

- 平安京造営当初を伝える資産
- 鎮護国家の宗教施設
- 境内の周囲に広がる「糺の森(ただすのもり)」も世界遺産
- 祭神は「賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)」と「玉依比売(たまよりびめ)」
延暦寺

延暦寺は世界遺産に登録されている寺院で唯一滋賀県に所在する
- 最澄(さいちょう)が建立
- 平安京造営当初を伝える資産
- 平安京の鬼門に位置し後に鎮護国家の道場として繁栄
- 織田信長の焼き討ちのため「瑠璃堂」「相輪」以外は消失&再建
教王護国寺(東寺)

- 東西に建立された官寺の1つ(私寺ではなく国の命令によって建てられた)
- 五重塔は創建当時の形式を受け継いでいる
清水寺

- 延鎮(えんちん)が創建した私寺が起源
- 平安時代に建てられるが焼失し江戸時代に再建される
- 「懸造(かけづくり)」の本堂は坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が建立
醍醐寺

- 874年からは「山上伽藍」が整備
- 904年からは「平地伽藍」が整備
- 戦乱で消失したが再建される

仁和寺

- 宇多天皇が建立
- 平安時代に建てられるが焼失し江戸時代に再建される
平等院鳳凰堂

- 藤原頼通(ふじわらのよりみち)が貴族の別荘から寺院へと改修
- 「阿字池(あじいけ)」を中心とする浄土庭園
- 鳳凰堂の前に広がる庭園は「西方極楽浄土」の景観を表す
- 阿弥陀仏の救いによって極楽浄土への導きを願うようになった時代を伝える
- 10円硬貨に描かれている
宇治上神社

- 現存する最古の神社本殿建築
- 阿弥陀仏の救いによって極楽浄土への導きを願うようになった時代を伝える
高山寺

- 明恵上人(みょうえしょうにん)によって整備される
- 鎌倉時代の住宅的な建築様式を伝える
- 「石水院」のみが現在する
- 国宝の「鳥獣人物戯画」など多くの文化財を伝える寺院
西芳寺

「苔寺」とも呼ばれるほど庭園には多種の苔が生育している / 参照:「polyphenol」さんのInstagramより
- 14世紀に夢窓疎石(むそうそせき)が禅宗寺院として復興
- 日本庭園史上重要な位置を占める庭園がある
天龍寺

- 夢窓疎石(むそうそせき)が開山
- 背景に嵐山がある
- 「三門、仏殿、法堂、方丈」が一直線上に並ぶ
鹿苑寺(金閣寺)

- 足利義満(あしかがよしみつ)の死後に「夢窓疎石(むそうそせき)」が禅寺として開山
- 庭園は「衣笠山」を借景としている
- 金閣は1955年に再建されたもの(そのため国宝の指定は除外)
慈照寺(銀閣寺)

- 足利義政(あしかがよしまさ)の死後に禅寺となる
- 下層は「書院風」上層は「仏堂風」の二層楼閣
- 庭園には盛り砂の「銀沙灘」と「向月台」がある
龍安寺

- 15世紀に細川勝元(ほそかわかつもと)が貴族の別邸を禅寺として開山
- 枯山水様式の「方丈庭園」が有名
本願寺

- 大阪(当時は大坂)にあった浄土真宗本願寺派の本山が京都に移されたもの
- 「飛雲閣(ひうんかく)」などが残る
二条城

- 徳川幕府が京都御所の守護として造営
- 徳川慶喜(とくがわよしのぶ)が大政奉還(たいせいほうかん)を行った場所
- 「池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)」の二の丸庭園は特別名勝
本日の確認テスト



(「世界遺産検定」の概要についてはこちらの資料を参考にしてください)
3,4級レベル
15世紀に起きて京都にある多くの建造物が焼失した内乱の名称として正しいものを選びなさい。
- 大塩平八郎の乱
- 平治の乱
- 島原の乱
- 応仁の乱
④
答え(タップ)>>2級レベル
清水寺の本堂を建立した人物として正しいものを選びなさい。
- 明恵上人
- 最澄
- 宇多天皇
- 坂上田村麻呂
④
答え(タップ)>>1級レベル
高山寺に現存する唯一の建造物の名称として正しいものを選びなさい。
- 石水院
- 阿弥陀堂
- 金堂
- 鐘楼
①
答え(タップ)>>まとめ

- 平安時代から桃山時代にかけては京都から日本伝統の建築・庭園様式や都市造りが誕生した!
- 京都から「国風文化」「北山文化」「東山文化」など現代の日本建築の起源となる様式が多く誕生した!
- 京都は南以外の周囲を豊な緑の山に囲まれている盆地であるため世界遺産に登録されている文化財の多くが自然と調和した設計で建てられている!
- 応仁の乱などで焼失した寺院は「町衆」と呼ばれる力を持つ市民らによって再建された!
参考文献・注意事項
- 当記事の内容は「世界遺産検定1級公式テキスト<上>」と「世界遺産検定1級公式テキスト<下>」を大いに参考にしています。
- 当記事は100%正しい内容を保証するものではありません。一部誤った記載が存在する可能性があることをあらかじめご了承ください。