こんな方にオススメの内容!
- なぜ「バガン」が世界遺産に登録されたのか理由が気になる!
- バガンに数多くの仏塔(パゴダ)が建てられたのか理由を知りたい!
- 教養として世界遺産に関する知識を身につけたい!
- 世界遺産検定の受験を考えている!
- ミャンマーへの旅行を考えている!
遺産ポイント
- バガンとはかつて存在したバガン朝の仏教寺院などが残る地名!
- 仏教の神様から報いを与えてもらうために多くの仏塔が建てられていった!
- 地震の被害による保全計画が世界遺産登録の大きなきっかけとなった!
「バガン」のプロフィール
登録名称 | バガン |
---|---|
登録年 | 2019年 |
所在国 | ミャンマー |
登録ジャンル | 文化遺産 |
登録基準 | (iii)(iv)(vi) |
そもそも「バガン」とは
バガン遺跡名物の日の出鑑賞
バガンを一言で表現すると下記になります。
11〜13世紀に栄えた「バガン朝」というかつてミャンマーに存在していた王朝の遺跡群
バガンはミャンマー中部に位置する地名で、現在はミャンマーを代表する仏教遺跡観光として人気を集めています。
アノーヤターという国王によって建国されたと考えられているバガン朝は、ミャンマーの中央高原のエーヤーワディー川沿いに位置します。
そう、この川沿いに建国されたことが、国の繁栄に大きな影響をもたらしたのです!
エーヤーワディー川は東南アジアの中でも特に大きな川で、川の河口はインド洋に接しています(厳密にはアンダマン海)。
つまり、インド洋経由で川を使って内陸に入ってくる、または川を使って南下する人や物を全てコントロールすることができるのです!
エーヤーワディー川を支配したことにより、バガン朝の支配力を世界各国に示すことに成功しました。
その結果、エーヤーワディー川沿い、及びバガン近辺を占領することに成功し、大きな繁栄を遂げていきました。
このように、大河を制することは国を大きく繁栄させることに直結するのです!
バガンが世界遺産に登録された理由
約3,000もの仏塔がそびえ立つ姿は圧巻
バガンが世界遺産に登録された理由は、大きく下記の3点に分けられます。
- ミャンマーを代表する貴重な仏教遺跡
- 仏教建築の貴重な過程
- かつて繁栄した王朝の記憶
ちなみに、「仏塔 = パゴダ」と呼び、バガンだけでなく、ミャンマー最大の都市ヤンゴンなどにも立派なパゴダが多く存在します。
このようにミャンマーには「○○・パゴダ」と呼ばれる建物が多いですが、要は「○○仏塔」と言っているようなイメージですね。
仏塔をはじめとする貴重な仏教遺跡が残る
バガンには現在でも多くの仏塔が見られますが、これらの建造は約1,000年も前のものとされています。
そんな大昔の建造物が今もなお残っているという保存状態が大きな評価を受けたのです!
実は、バガン朝が無くなってからも他の国がバガン朝が建てた寺院を利用していたため、定期的に修復工事がされていました。
そのため約1,000年前に建造された仏塔であっても、良好な保存状態で今でも見ることができるのです。
細かい彫刻やフレスコ画が見られるのも、定期的に保全活動がされていたことが背景にあります。
ここまで美しい仏教芸術がいまだに見られるのは、バガンの大きな特徴と言えます!
仏塔自体はミャンマーの他の都市にも、ミャンマー以外の国にも多く存在しますが、バガンほど多くの仏塔が保存状態よく残っていることはほとんどありません。
この仏塔の多さこそ、他に類を見ない仏教景観が見られることに繋がっているのです!
仏教建築の過程が見られる
バガンのすぐ近くを流れるエーヤーワディー川から眺める夕陽
バガンは世界三大仏教遺跡の一つとして、幅広く認識されています。
つまり、それほど仏教建築において偉大な存在だったということを示しているのです!
前述の「そもそも「バガン」とは」で解説した通り、バガンはエーヤーワディー川沿いに築かれました。
そして川をつたって、ミャンマー南部の沿岸から仏教が伝わってきました。
これがバガンに仏教の建造物が建てられるようになったきっかけです。
バガンに仏教が伝わってきてから、さらにバガンの国王は仏教の神様から報いを与えてもらうために、より良い行いをしようと考え始めました。
そして具体的な行動として、バガンに仏塔を築き始めたのです!
バガンに仏塔が建造されるようになったことで、バガンの仏塔建築がどんどん周辺の人や周辺国にも伝わっていきます。
すると次は国王だけでなく、役人や大臣などといった他の層にも仏塔建築が広まり、さらに仏塔が増えていくことになったのです!
こうして仏塔建築が進み、バガン繁栄の象徴的建造物となっていきました。
ただし一説によると、仏塔建設をし過ぎた影響で国力がどんどん弱まっていってしまったと考えられています。
その結果、13世紀に入ってバガン朝が中国の国の「元」に滅ぼされてしまったと考えられているのです。
このような仏塔建設ラッシュの影響もあり、今でも約3,000もの仏塔がバガンに建っている姿を見ることができます。
ミャンマー初の王朝が存在していた記憶を残している価値
黄金に輝く「シュエズィーゴン・パゴダ」
バガンに数多くの仏塔が建っていることは、間違いなくかつてこの地にバガン朝が存在していたことを証明しています。
さらに、ただ王朝が存在していた証拠になっているだけでなく、仏教が政治をコントロールするための装置となっていたことも表しているのです!
前述の「仏教建築の過程が見られる」でも触れたように、仏塔の建造は国王のみならず大臣など政治に大きく関わる人にも影響を与えました。
しかし政治に大きな影響を与えたことが、結果的にバガン朝が滅びてしまうきっかけになってしまったとも考えられています。
仏塔建設によって一時的な繁栄に成功はしたものの、必ずしもずっと良い方向に流れていったわけではありません。
このようにバガン遺跡を見ることで、かつて繁栄したバガン朝の栄枯盛衰の歴史をたどることが可能なのです。
地震による被害と日本も関わった保全活動
ミャンマーは日本と同様に頻繁に地震が発生する位置にあります。
そのため、バガン遺跡は過去に地震によっていくどと大きな被害を受けてきました。
ただし、この地震による被害が皮肉にも世界遺産登録の大きなきっかけとなっていたのも事実です。
バガン遺跡は1985年と2016年に発生した地震が、世界遺産登録に大きく影響しています。
(つまり、過去に2度世界遺産への登録申請をしていたということになります)
1985年発生の地震 | 損壊した遺跡の修復工事が行われたが、近代的な素材を用いた修復&電気装飾などが施されたため、むしろ遺跡の価値が損なわれる結果となった。 →世界遺産登録の見送り。 |
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2016年の地震 | ユネスコや世界各国の支援によって、損壊前の姿に近い状態で修復がされた。 →世界遺産登録決定! |
1985年の修復に関しては、「アテネ憲章」や「ヴェネツィア憲章」が大きく関わってきます。
簡単にいうと、近代的な素材を用いて修復をする際の規定に反することをしてしまったのです。
なお、アテネ憲章やヴェネツィア憲章に関しては、下記の記事で詳しく解説してます。
合わせて読みたい!【アテネ憲章&ヴェネツィア憲章】世界遺産の修復に関する内容の違いを小学生でもわかるように解説!一方の2016年の修復工事では、修復の仕方や長期的な保全計画が大きな評価を得て、バガンはついに世界遺産登録されることになったのです!
さらに、2016年の修復工事には日本も大きく関わっていました。
同じ地震大国である日本が、その高い修復技術力を使ってバガン遺跡の修復に大きく貢献した形になります。
さらに、ユネスコが提示する修復に関するガイドラインに丁寧に沿って対応したのは、日本人ならではです!
現在は、ユネスコとミャンマー政府が連携して長期保全に向けた取り組みを行なっています。
本日の確認テスト
(「世界遺産検定」の概要についてはこちらの資料を参考にしてください)
3・4級レベル
ミャンマー様式の仏塔の名称として正しいものはどれか。
- パゴダ
- ワット
- ストゥーパ
- モスク
①
答え(タップ)>>2級レベル
現在バガンで見られる仏塔の数として正しいものはどれか。
- 500
- 1,000
- 3,000
- 5,000
③
答え(タップ)>>1級レベル
『バガン』に関する説明として誤っているものはどれか。
- 現在はユネスコとミャンマー政府が連携して長期的に保全する取り組みが行われている。
- バガン朝はシャイレーンドラ朝に滅ぼされるまでの約300年間繁栄したミャンマー最長の王朝である。
- バガンの仏塔や寺院からは仏教が政治をコントロールするための装置となっていたことが表されている。
- エーヤーワディー川沿いに繁栄したバガン朝はミャンマー最初の統一王朝である。
②
答え(タップ)>>まとめ
- バガンはかつて存在したバガン朝という国によって大きく繁栄した地名!
- バガン朝はエーヤーワディー川を占領したことが繁栄のきっかけとなった!
- 数多く点在する仏塔は「パゴダ」と言う!
- 仏塔や寺院はバガン朝が滅びた後も他の国によって使われ定期的に修復工事が行われていたため良質な状態が保たれた!
- 現在でも約3,000もの仏塔が残っている!
- バガン遺跡からは仏教が政治をコントロールするための装置となっていたことがわかっている!
- 地震による修復工事には日本が大きく関わっており、現在はユネスコとミャンマー政府が連携して長期的な保全の取り組みを行なっている!
おまけ:「バガン」のプチ観光情報
気球に乗ったバガン遺跡観光は大人気
最寄り都市 | オールド・バガン(最大の都市はニャウンウー) |
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最寄の空港 | ニャウンウー空港 |
通貨 | チャット |
観光のベストシーズン | 11〜2月(気球観光を行なっている時期にもあたる) |
治安 | 比較的良い(軽犯罪には要注意) |
物価 | 比較的安い(宿泊費に関しては他の東南アジアより少し高め) |
タイやシンガポールなどの他の東南アジア諸国と比べて認知度が少し低いミャンマーですが、ミャンマーは貴重な文化財や絶景が数多く残る、知られざれる観光大国なのです!
さらに、バガンの世界遺産登録などをきっかけに認知度が徐々に上がり、急速に観光客が増えてきています。
物価は安く、治安が決して悪いわけではないため、近年は日本人観光客も増えてきている大注目の国です!
バガンまでのアクセス
ミャンマー入国の際の玄関都市となるヤンゴンの街並み
日本からヤンゴンへの直行便は唯一成田から就航しています。
ただし、本数は決して多くないため、直行便の航空券は少し割高です(経由便の料金+2〜3万円)。
どちらにせよ、バガンへはミャンマーの国内線を利用してアクセスする必要があるため、最低でも1回の乗り継ぎが発生します。
- 成田 ⇨ ヤンゴン ⇨ ニャウンウー空港(フライト時間:約10時間)
- 成田以外の空港 ⇨ 東南アジア各都市(バンコク、シンガポールなど) ⇨ ヤンゴン ⇨ ニャウンウー空港(フライト時間:約10〜13時間)
ヤンゴンからバガンまでは、飛行機を利用してアクセスするのが一般的です。
長距離バスや鉄道でアクセスすることも可能ですが、移動で半日以上かかり体への負担が大きいため、空路移動が無難です。
バガンの空港からバガン遺跡へのアクセスは基本的にタクシー一択です。
(事前にホテルを予約していれば、ホテルのバスの送迎を利用する)
タクシー料金は現地で交渉することになるので(相場は500〜800円)、交渉が不安な方は、あらかじめ旅行会社などを通して送迎バスを手配しておきましょう。
- ニャウンウー:バガン最大の都市(空港から車で約5分)
- オールド・バガン:バガン遺跡最寄りの都市(空港から車で約10分)
ホテルはニャウンウーに集中しているため、まずは空港からニャウンウーに向かうことがほとんどです。
ホテル到着後に、バガン遺跡があるオールド・バガンに向かうイメージになります。
バガン遺跡の観光方法
バガン遺跡観光は一般的に下記の2つの方法になります
- ツアーに参加
- タクシーをチャーター
無難なのはやはりツアーに参加することです。
バガンは非常に広大な敷地に遺跡や寺院が点在しているため、効率よく周ることがバガン遺跡観光のポイントになります。
ツアーに参加すれば有名な場所はある程度訪れるので、時間的にも体力的にも余裕が無い方はツアーに参加しましょう!
バガン遺跡で最も人気の観光スタイルは、気球に乗る遊覧飛行です!
非常に人気であるため、事前予約が必須になります。
ただし、気球観光は事故が発生するリスクがあるため、日本の旅行会社によっては催行中止にしているケースがあります。
気球観光で特に人気の時間帯が、朝陽を臨める早朝の時間帯です!
仏塔が陽の光に照らされる姿は非常に幻想的で、一生に一度は見ておきたい景色です!
参考文献・注意事項
- 当記事の内容は「世界遺産検定1級公式テキスト<上>」と「世界遺産検定1級公式テキスト<下>」を大いに参考にしています。
- 当記事は100%正しい内容を保証するものではありません。一部誤った記載が存在する可能性があることをあらかじめご了承ください。