こんな方にオススメの内容!
- そもそも荒船風穴が何なのかを知りたい!
- なぜ荒船風穴が世界遺産になったのか理由を知りたい!
- 荒船風穴と富岡製糸場の関係性が気になる!
- 荒船風穴や富岡製糸場への観光を計画している!
- 教養として世界遺産に関する知識を身につけたい!
- 世界遺産検定の受験を考えている!
遺産ポイント
- 世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産の一部として世界遺産登録
- 蚕種(蚕の卵)の貯蔵庫として機能
- 蚕種やまゆの生産量増加に大きく貢献
「荒船風穴(あらふねふうけつ)」のプロフィール
対象となる世界遺産 | 『富岡製糸場と絹産業遺産群』の構成資産の一つ |
---|---|
登録年 | 2014年 |
所在国 | 日本(群馬県) |
登録ジャンル | 文化遺産 |
登録基準 | (ii)(iv) |
構成資産 | 富岡製糸場、田島弥平旧宅、高山社跡、荒船風穴 |
そもそも荒船風穴とは?
かつて貯蔵庫のあった荒船風穴の石垣
「荒船風穴」を一言で表現すると下記になります。
蚕(かいこ)の卵の貯蔵に必要な冷風を送る自然のシステム
もっとわかりやすくするために、”荒船風穴”という単語を分解してみましょう!
- 荒船:群馬県西部にある「荒船山(あらふねやま)」付近の山の斜面
- 風穴:風が出入りする穴(すきま)
風穴自体は日本全国に点在しており、有名な場所だと富士山周辺にも数多くの風穴があります。
しかし、風穴から吹く冷風をうまく活用して日本の産業発展に大きく貢献した点では、他の風穴とは全く異なる姿を見せているのです。
(具体的な貢献内容に関しては、後述の「世界遺産に登録された理由」で解説します)
なお、荒船風穴に建てられた貯蔵庫の簡単な建造・稼働の歴史は下記になります。
明治38年(1905年) | 1号基が造られる |
---|---|
明治41年(1908年) | 2号基が造られる |
大正4年(1915年) | 3号基が造られる |
昭和初期 | 2号基以外は稼働停止 |
昭和18年(1943年) | 営業終了 |
荒船風穴で稼働していた貯蔵庫は全部で3基。
そしてこれら3つの貯蔵庫は、段々に連なって建造されていました。
貯蔵庫の仕組みに関しては、後述の「自然の冷蔵庫!?荒船風穴の貯蔵庫の仕組み」で詳しく解説します。
蚕から絹ができるまでの流れ
蚕がよく食するくわの葉っぱ(左)とそのくわを食べる蚕(右)
「絹(きぬ)」とは、蚕がつくる繭(まゆ)が原料の繊維です。
- 蚕種から蚕(幼虫)が生まれる
- ↓
- 幼虫がサナギになる際に、自分の体の周りに糸を吐く(この糸がまゆ)
- ↓
- ①サナギから成虫(蛾)になる前にサナギを死滅させて、まゆのみを採取する⇨まゆを絹として加工して様々な製品にする
※成虫が出てくるのを待つと、まゆが敗れてしまい品質が悪くなるため。 - or
- ②まゆを破って成虫が生まれ、成虫から卵を採取する
- ↓
- 卵を冷蔵保存して保管する
- ↓
- 卵を紙の上に乗せて(蚕種紙)養蚕農家に渡し、農家が羽化させてまゆを生産する
蚕種は荒船風穴など全国の蚕種の貯蔵庫で管理されて、次々と養蚕農家に送られていきました。
反対に、荒船風穴のような蚕の卵を貯蔵する場所が無いと、種から幼虫まで育てることが非常に困難なのです。
なお、まゆの生産農家やまゆから絹にする代表的な施設が下記になります。
- まゆ生産:田島弥平旧宅(たじまやへいきゅうたく)
- 絹への加工:富岡製糸場(とみおかせいしじょう)
荒船風穴の場所
風穴のすぐ下にはいくつかの住居が立ち並ぶ
荒船風穴は、群馬県下仁田町の山間部に位置しています。
この地域に立派な貯蔵庫が造られるようになった理由は、下記の条件を満たしていたためです。
- 冬から春にかけて雪が降る。
- 標高が高く木々に囲まれているため夏になっても極端に気温が高くなることがない。
- 木々や岩山が開拓されることなく残っている(今後人の手によって大きく切り開かれる可能性も低い)
前述の「そもそも荒船風穴とは?」でも触れたように、もちろん風穴は日本全国に点在しています。
しかし荒船風穴は、「養蚕業(ようさんぎょう)」という具体的な産業に使用された先駆けの風穴でもあるのです!
(養蚕業とは、絹の生産に必要なかいこ(蚕)を育てる仕事を指します)
荒船風穴にある絶景ベンチからの眺め
そして、荒船風穴での蚕種(さんしゅ)の生産の成功例が全国へと広まり、全国に点在する風穴でも蚕種の生産が行われるようになっていきました。
自然の冷蔵庫!?荒船風穴の貯蔵庫の仕組み
荒船風穴には今も流れている冷風を体験できる箇所がいくつもある
前述の「荒船風穴の場所」で解説したように、荒船風穴は群馬県の冬には雪が降る山間部に位置しています。
そして、冬から春にかけて降った雪や雨水によって空気が冷やされ、その冷やされた空気が冷風となって夏であっても吹くのです。
(荒船風穴の仕組みに関しては、こちらのサイトにて図解でわかりやすく解説してます)
要するに、地上の雪や雨水が地中や岩の隙間に入ることで、まるで冷蔵庫のような冷えた空間が出来上がり、冷蔵庫の扉を開けるように岩の隙間から冷風が流れてくる、ということです。
荒船風穴にある貯蔵庫は全部で3基あり、東西方向に横並びで段々に建てられています。
このような形式で建てられた主な理由は以下の通りです。
- なるべく太陽光の当たらない標高の高いところに造る必要があった(標高の低い平地だと太陽光があたりやすい)。
- 段々にすることで貯蔵庫の気温に少し差をつけられ、卵の状態に合わせた管理が柔軟にできる(ちなみに最下層の貯蔵庫が最も気温が低い)。
蚕種は気温にとても敏感です。
急激な気温の変化や過度な気温の上昇を受けると、卵から蚕が産まれなくなってしまう恐れがあります。
そのためには、一定の低めの気温で管理する必要があるのです。
透明な紙越しで風穴を見るとより当時に近い姿をイメージしやすくなる
ちなみに荒船風穴には、3つの貯蔵庫だけではなく、管理棟などの従業員施設も充実してました。
現在は両方ともその姿を見ることはできませんが、かつて存在した場所には建物の輪郭が描かれていたり、記念碑が建てられています。
荒船風穴が使われなくなった理由
かつて存在した貯蔵施設を示す案内板
残念ながら現在、荒船風穴は稼働していません。
前述の「そもそも荒船風穴とは?」でも少し触れた通り、荒船風穴の稼働がストップしたのは、太平洋戦争中の1943年のことです。
荒船風穴の稼働が止まってしまった原因としては、主に下記が挙げられます。
- 風穴に代わる人工で生み出すエネルギーが発明された。
- そもそも絹生産の需要が減った。
- 絹生産よりも戦時に役立つ武器の生産などに労働力が割けられた。
昭和に入ると、現代で言うところの冷蔵庫やエアコンのような、人工で冷風を生み出せる機会が次々と開発されていきました。
機械の方が気温の調整がしやすかったり、部分的に冷風を当てる調整なども気軽にできます。
さらに、絹に代わる化学製品でできた繊維が誕生してきたことも、大きな要因になってきます。
世界遺産登録された理由
入り口付近に立てられている荒船風穴の解説板
荒船風穴が世界遺産登録された最大の理由は、下記になります。
絹生産の土台となる蚕種の飼育に大きく貢献した実績と影響力
特に下記の2つが重要ポイントになってきます。
- 年に複数回にわたるまゆの生産を可能にさせた”実績”
- 蚕種の飼育技術を全国へ伝えた”影響力”
理由①:蚕種飼育の「実績」
荒船風穴ではその日の風穴付近の気温を公開している
荒船風穴による貯蔵が可能になる以前まで、絹の原料となるまゆの生産は年に1回ほどしかありませんでした。
なぜなら、まゆに必要な蚕種の保存に適した気温を記録するのが年に1回しか訪れなかったためです。
しかし、荒船風穴による年間を通して安定した冷風を受けることができる施設が完成したことで、季節による気温の変化の影響をほぼ受けずに、蚕種を貯蔵することが可能になりました。
蚕種をほぼ通年貯蔵できるということは、蚕種を養蚕業を営む農家への出荷回数も増え、蚕(幼虫)を育成できる期間も増えることに繋がります。
当然、蚕の育成期間が増えれば、蚕が吐き出すまゆの量も増えます。
アイスクリームに例えるなら、冷蔵庫が無い時代は、気温が氷点下になる冬しか保存することができず、冬の期間のみアイスクリームの出荷が可能だった。
しかし冷蔵庫ができたことで、夏であってもアイスクリームを保存することが可能になり、アイスクリームの販売期間も増えることに繋がった。
要するに、荒船風穴の仕組みができたことで年に複数回の蚕の飼育が可能になったのです!
理由②:蚕種飼育の「影響力」と国民の生活を向上させた「功績」
1号基、2号基、3号基全てを見渡せる展望スポット
影響力という点でも、荒船風穴は大きな役割を果たしました。
荒船風穴で年間を通して蚕種の貯蔵が可能になる実績を日本中に示したことで、日本各地の風穴などでも蚕種の貯蔵が進むようになりました。
こうして日本各地で通年に及ぶ蚕種の貯蔵が行われ、必然的にまゆの生産量も格段に増えることになったのです。
また、蚕種やまゆの生産量が増えたメリットだけではありません。
蚕種やまゆの生産量が増えたことで、これまで以上に養蚕業を営む農家や絹を生産する従業員が増え、日本中に多くの雇用が生まれることにも繋がったのです!
荒船風穴の稼働による実績は、結果的に日本の産業と人々の生活までを潤すことになったのです!
なお、蚕種取引は大正5〜9年(1916〜1921年)に最盛期を迎えました。
なんと、最大で全国に270箇所の貯蔵施設が誕生したのです!
荒船風穴だけでは世界遺産登録はされなかった!?富岡製糸場との関係とは?
富岡製糸場の敷地内にある国宝「西置繭所」
当記事では荒船風穴の偉大な功績や影響力について解説してきましたが、おそらく荒船風穴単体では世界遺産登録されなかったことでしょう。
その理由は、荒船風穴が含まれた世界遺産登録名称を見てみるとわかります。
- 世界遺産登録名称:富岡製糸場と絹産業遺産群
登録名称には、一切「荒船風穴」というワードが入っていません。
そう、荒船風穴は「絹産業遺産群」というワードでまとめられているのです!
「富岡製糸場と絹産業遺産群」に該当する施設は下記の4つです。
- 富岡製糸場
- 田島弥平旧宅
- 高山社跡
- 荒船風穴
「富岡製糸場」に関しては、”国内機械製糸場の先駆け”という世界遺産登録において非常に特徴的な施設であるため、登録名称にもその名が入っています。
(要するに、今まで手作業で行っていた絹への加工を機械の導入によって効率化を実現させたことに価値があるということ)。
一方で他の3つの施設に関しては、あくまでも富岡製糸場と関連のある施設群として併せて登録されたイメージになります。
つまり、それぞれの施設単体では世界遺産登録に必要な”顕著な普遍的価値”を満たさなかった可能性が高いのです。
(”顕著な普遍的価値”に関しては、こちらの記事で詳しく解説してます)
今回のように、施設単体ではなく複数の施設を含む全体を見て顕著な普遍的価値を持っているとして世界遺産登録された形を”シリアル・ノミネーション・サイト”と言います!
なお、シリアル・ノミネーション・サイトの詳細は下記の記事で解説しているので、ぜひ併せて読んでみてください。
合わせて読みたい!【シリアルノミネーションサイトとトランスバウンダリーサイトの違いとは?】世界遺産の登録範囲のポイントをわかりやすく解説!本日の確認テスト
(「世界遺産検定」の概要についてはこちらの資料を参考にしてください)
2級レベル
荒船風穴の功績の説明として正しいものはどれか。
- 絹の加工に勤しむ労働者の住環境をより快適にした。
- 年複数回の蚕種の貯蔵・搬送が可能になり、まゆ生産の増加に大きく貢献した。
- 蚕が好むくわの葉を通年にわたって育成する環境を整えることに成功した。
- 山間部に暮らす養蚕業の農家への電力供給に大きく貢献した。
②
答え(タップ)>>1級レベル
荒船風穴の説明として誤っているものはどれか。
- 高度経済成長期に絹の需要が低下したことを受けて稼働が終了した。
- かつては貯蔵庫以外にも従業員が利用する管理棟なども存在した。
- 明治から大正にかけて3つの貯蔵庫が山の斜面に沿って建造された。
- 2014年に富岡製糸場を含む4つの関連施設の一つとして世界遺産登録された。
①
答え(タップ)>>※「3,4級」レベルのトレーニングテストは対象外になります。
まとめ
- 荒船風穴とは蚕の卵の貯蔵に必要な冷風を送る自然のシステム。
- 明治から大正にかけて合計3つの貯蔵庫が造られた。
- 年に複数回のまゆ生産を可能にさせ日本の産業発展に大きく貢献した。
- 風穴を利用しての蚕種の貯蔵を可能にした実績が日本全国へと広がった影響力も持つ。
- 冷風を生み出す機械や絹に代わる化学繊維の誕生によって風穴は利用されなくなり稼働を終了した。
おまけ:プチ観光情報・アクセス
駐車場から荒船風穴までは非常に急な山道を歩くことになる
所在地 | 群馬県甘楽郡下仁田町南野牧屋敷甲10690 |
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最寄り駅 | 上信電鉄下仁田駅 |
営業時間 | 09:30〜16:00 ※12〜3月は冬季休業 |
入場料 | 大人:500円 高校生以下:無料 |
残念ながら、荒船風穴付近まで行く鉄道やバスはありません。
そのため基本的に、自家用車か下仁田駅などでタクシーを捕まえてアクセスすることになります。
土日のみ最寄りの駐車場から風穴までのシャトルバスが運行している
また、平日と土日祝では荒船風穴までのアクセスに大きな違いが出てきます。
○風穴最寄りの駐車場までのアクセス
- 平日:平日のみ利用できる近道ルートの利用が可能(通常ルートより約20分短縮可能)
- 土日:通常ルートのみ利用可能
○駐車場から風穴までのアクセス
- 平日:最寄りの駐車場から徒歩で移動(帰りのみ送迎してくれることがある)
- 土日:往復シャトルバスの利用が可能
参考文献・注意事項
- 当記事の内容は「世界遺産検定1級公式テキスト<上>」と「世界遺産検定1級公式テキスト<下>」を大いに参考にしています。
- 当記事は100%正しい内容を保証するものではありません。一部誤った記載が存在する可能性があることをあらかじめご了承ください。