こんな方にオススメの内容!
- アーグラ城塞とはなにかを知りたい!
- アーグラ城塞が世界遺産登録された理由が気になる!
- なぜ建造されたのか歴史ついて詳しく知りたい!
- 教養として世界遺産に関する知識を身につけたい!
- 世界遺産検定の受験を考えている!
- インドへの旅行を考えている!
遺産ポイント
- アーグラ城塞はムガル帝国の皇帝アクバルによって建てられた
- 完成当初はペルシア(イスラム)建築とヒンドゥー教建築が融合したデザイン
- タージマハルを建造したシャー・ジャハーンが閉じ込められた要塞でもある
「アーグラ城塞」のプロフィール
登録名称 | アーグラ城塞 |
---|---|
登録年 | 1983年 |
所在国 | インド |
登録ジャンル | 文化遺産 |
登録基準 | (iii) |
そもそも「アーグラ城塞」とは?
周辺地域で採れた赤の砂岩を用いて建てたため赤色をしているアーグラ城塞
「アーグラ城塞」とは、ムガル帝国時代にアーグラに建造された、赤い外壁が特徴のインド最大規模の城壁、兼宮殿です。
用語メモ
ムガル帝国とは、約500年前に現在のインド、パキスタン、アフガニスタン付近で繁栄したイスラム教の国。最盛期にはインド全土に勢力範囲を広げたが、誕生してから約300年後に大反乱によって滅亡した。赤い姿をしていることから、別名「レッドフォート」とも呼ばれています。
(赤色をしている理由は後述してます)
アーグラ城塞を建造した人物は、当時ムガル帝国の国王として君臨していた3代皇帝アクバルです。
そしてアクバル以降、ムガル帝国は大きな繁栄を遂げ、アーグラにとどまらず、現在のインドの首都ニューデリーなどインド各地に巨大な建築物を造っていきました。
ちなみに、ニューデリーにも同じく「レッドフォート」と呼ばれている巨大な建物はありますが、それぞれ別々に世界遺産登録されています。
アーグラの歴史とアーグラ城塞建造の目的
アーグラ城塞が造られた理由を理解するために、ムガル帝国の歴史をたどりながらアーグラ城塞を深堀りしていきましょう。
1526年 | インドやその周辺国を含む地域にイスラム教の国「ムガル帝国」がデリーに誕生。 |
---|---|
1555年 | 一度他の国にデリーを追い出されるも、第2代ムガル帝国の皇帝フマユーンによって再び勢力を拡大。 |
1556年 | 第3代ムガル帝国の皇帝としてアクバルが就く。 |
1565年 | ムガル帝国の都が「デリー⇨アーグラ」に変更。アクバルの指示によってアーグラ城塞の建設開始。 |
1573年 | アーグラ城塞が完成。 |
1628年 | 第5代ムガル帝国の皇帝としてシャー・ジャハーンが就く。アーグラ城塞の大幅な改築工事の開始。 |
1648年 | ムガル帝国の都が再びデリーに戻る。 |
1658年 | 第6代ムガル帝国の皇帝としてアウラングゼーブが就く。 |
1707年 | アウラングゼーブが亡くなってから、アーグラは多くの占領や戦乱に巻き込まれ衰退。 |
20世紀 | アーグラ城塞の修復工事が進められる(当時の姿に近い状態に戻ってきている)。 |
ムガル帝国の都がデリーからアーグラへ変更された際に建造された建物がアーグラ城塞です。
”城塞”と言われるように、ムガル帝国の都を守るために巨大な城塞が築かれました。
しかし、ムガル帝国の国王が変わっていくにつれて、アーグラ城塞は、市場、モスク、居住区といった都市機能も備えた複合施設へと変貌していったのです。
このようにムガル帝国の歴史をたどることで、時代の流れによってアーグラ城塞の役割が変化していったことがわかります。
ちなみに、デリーでムガル帝国繁栄の基礎を築いた第3代皇帝フマユーンは、デリー中心部にある「フマユーン廟」に埋葬されています。
フマユーン廟については下記の記事で詳しく解説しているので、ぜひ併せて読んでみてください。
合わせて読みたい!【タージマハルのお手本!?フマユーン廟とは?】世界遺産登録理由をわかりやすく解説!建築面の特徴
デザインに凝った様々な部屋が設けられているマッチ・バワン(魚宮殿)
アーグラ城塞の建築面での特徴としては、主に以下の3点が挙げられます。
- 高さ20m以上ある城壁は赤い砂岩を素材にして造られている
- 城壁内には大理石の宮殿が築かれている
- 宮殿までの通路は迷路状になっている
アーグラ城塞が赤い理由は、アーグラ周辺でよく採れる赤色の砂岩を使って建造されたためです。
この赤い城壁はなんと二重に造られており、その城壁を囲うようにお堀も二重に造られています。
仮に城壁を潜り抜けることに成功しても、宮殿までには迷路状に張り巡らされた通路や、様々な仕掛けによる防御が施されていたため、侵入することは非常に困難でした。
なお、アーグラ城塞が完成した当初は、城壁内の宮殿などの建物も赤色の砂岩で造られていました。
しかし、後にムガル帝国の皇帝に就くシャー・ジャハーンやアウラングゼーブによって、よりイスラム色の濃い大理石を使ったデザインに改築されたのです。
- アクバル:周辺地域で採れる岩や砂、イスラム教以外の建物の素材をうまく活用してアーグラ城塞を築く。
- シャー・ジャハーン、アウラングゼーブ:イスラム教以外の建物は取り壊し、よりイスラム色を出すために遠方から大理石を運んで改築する。
世界遺産登録理由&主な建物
世界遺産登録を示すモニュメント
『アーグラ城塞』が世界遺産登録された最大の理由は、ムガル帝国が最も繁栄した時代を象徴する建物だからです。
前述の「アーグラの歴史とアーグラ城塞建造の目的」で解説したように、アーグラ城塞はムガル帝国の都がアーグラに移動した際に建造された、敵国からの攻撃に備えた城塞です。
つまり、ムガル帝国がアーグラに都を置いてから一番最初に造られた巨大な建築物なのです。
その後、ムガル帝国の国王が変わるにつれて宮殿の大改築が行われるなど、まさにムガル帝国の繁栄とともに成長していった城塞なのです。
ムガル帝国の絶頂期を象徴する貴重な建物として、現在は定期的な補修工事が行われています。
ジャハーンギール宮殿
- アクバル時代から残されている唯一の建物
- ペルシア建築×ヒンドゥー教建築が混在
- 後に大理石のデザインに改築
ジャハーンギール宮殿は、アーグラ城塞内で最も歴史の長い建物です。
アーグラ城塞を建造したアクバル時代に建てられた宮殿で、完成当時はイスラムだけでなく、ヒンドゥー教など他の宗教建築が混在したデザインでした。
このように、初期のムガル帝国は宗教に対して寛容的だったことが、結果的に国が大きく繁栄した要因と考えられています。
しかし、アクバル以降の国王の方針はイスラム教のみを認めるものだったため、イスラムとは関係のない宗教建築は改築され、よりイスラム色の濃い大理石デザインへと変更されました。
とはいえ、現在でも随所で複数宗教の建築様式を見ることができるため、インド・イスラム建築の魅力を伝える貴重な宮殿として厳重に保護されています。
ディーワーネアームとディーワーネハース
お偉いさんを迎え入れる際に利用された部屋
- お偉いさんを迎え入れる部屋(謁見の間)
- 白大理石の列柱や色とりどりの宝石など豪華絢爛
アーグラ城塞内には、アーグラにお偉いさんが来た際に迎え入れる部屋が2つあります。
- ディーワーネアーム(私的):個人的な理由で迎え入れる際に利用する部屋
- ディーワーネハース(公的):国が正式に迎え入れる際に利用する部屋
2つの部屋に立ち並ぶ白大理石の列柱が建築の特徴の一つです。
また、宮殿を豪華絢爛なデザインへと改築したシャー・ジャハーン時代に、部屋に色とりどりの宝石がはめ込まれました。
アーグラ城塞で幽閉されたシャー・ジャハーンの物語
シャー・ジャハーンは亡くなるまで「ムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)」からタージマハルを見ていた
アーグラ城塞は、国を守るための強固な城塞としての役割から、ムガル帝国の繁栄を象徴する豪華な宮殿など、歴史上様々な顔を持っていました。
そして、もう一つ特徴的な顔を持っています。
それは、第5代ムガル帝国の皇帝シャー・ジャハーンを閉じ込めるために使われたことです。
前述の「建築面の特徴」でも解説したように、シャー・ジャハーンはムガル帝国の歴代皇帝の中でも、建物を豪華に造る性格を持っています。
そんなシャー・ジャハーンは、自分の妻ムムターズ・マハルが亡くなった際に、豪華な造りとして有名なあのタージマハルを建造しました。
さらに、自分が亡くなった際に眠るための墓を、タージマハルと同規模で造る指示も出しました。
しかし、当時の国にはそんな豪華な建物を造る予算はもうなかったため、シャー・ジャハーンの暴走を止めるためにシャー・ジャハーンの息子はアーグラ城塞にシャー・ジャハーンを閉じ込めることにしたのです。
閉じ込められた後、シャー・ジャハーンはアーグラ城塞の一室から晩年タージマハルを眺めていました。
シャー・ジャハーンが閉じ込められていた一室は、現在「ムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)」と呼ばれています。
なお、シャー・ジャハーンの妻が眠るタージマハルの歴史や魅力については下記の記事で詳しく解説しているので、アーグラ城塞と比較しながらぜひ併せて読んでみてください。
合わせて読みたい!【タージマハルとは?なぜつくられた?】世界遺産登録理由&歴史をわかりやすく解説!本日の確認テスト
(「世界遺産検定」の概要についてはこちらの資料を参考にしてください)
2級レベル
『アーグラ城塞』のを建築した人物名として正しいものはどれか。
- アウラングゼーブ
- ハリハラ
- ムムターズマハル
- アクバル
④
答え(タップ)>>1級レベル
『アーグラ城塞』に関する説明として誤っているものはどれか。
- 16世紀に入ると豪華絢爛なヒンドゥー教建築物が数多く建てられた。
- ムガル帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンが閉じ込められた歴史を持つ。
- 20世紀に入ってから当時の姿に戻すための修復工事が進められている。
- 完成当初はペルシア(イスラム)建築とヒンドゥー教建築が融合したデザインで造られた。
①
答え(タップ)>>※「3,4級」レベルのトレーニングテストは対象外になります。
まとめ
- アーグラ城塞は当時のムガル帝国の皇帝アクバルによって建てられた。
- 後の皇帝シャー・ジャハーンやアウラングゼーブによって大幅な改築が行われ都市機能も加わった。
- 城壁が赤い理由は周辺地域で採れる赤色の砂岩を使って建てられたため。
- 世界遺産登録された最大の理由はムガル帝国が最も繁栄した時代を象徴する建物であるため。
- アーグラ城塞が建てられた初期の建築物としてジャハーンギール宮殿が残されている。
- ペルシア(イスラム)建築とヒンドゥー教建築の混在したデザインが特徴的。
- 第5代ムガル帝国の皇帝シャー・ジャハーンが閉じ込められた歴史も持つ。
- シャー・ジャハーンが閉じ込められていた一室は現在「ムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)」と呼ばれている。
おまけ:「アーグラ城塞」のプチ観光情報
拠点となる都市 | アーグラ |
---|---|
最寄り空港 | アグラ空港 |
公用語 | ヒンディー語 |
通貨 | インドルピー |
営業時間 | 日の出〜日没 |
休業日 | 無し |
料金 | 650ルピー(外国人料金) ※ビデオを持ち込む場合は「+25ルピー」 |
観光のベストシーズン | 10〜4月 |
時差 | 3時間30分 ※日本が3時間30分進んでます。 |
治安 | 普通(スリなどの軽犯罪には要注意) |
物価 | 安い(日本の1/4ほど) |
ビザ | 必要(アライバルビザ、e-visaあり) |
アーグラはインドを代表する人気観光都市であるため、飲食店や商業施設が充実しています。
一方で、観光客を狙ったスリなどの軽犯罪が多い都市でもあるため、手荷物管理には十分に気をつけましょう。
アクセス
残念ながら、日本からアーグラへの直行便は就航していません。
一般的には、首都のニューデリーまで空路でアクセスし、ニューデリーからアーグラまでは鉄道でアクセスすることになります。
航空会社:日本航空(JAL) JL39
フライト時間:10時間05分
乗車時間:約1時間50分
タクシー or オートリクシャー:15〜20分
アーグラ市内には地下鉄は通っていないため、基本的にはタクシーやオートリクシャー移動になります。
アーグラの玄関駅とも言える「アーグラ・カント」駅前には多くのオートリクシャー等が停まっているため、値段交渉して移動手段として活用しましょう。
アーグラのホテル情報
- ホテルはアーグラ市内に広がって点在
- アーグラ城塞周辺は小規模宿が多め
- 高級ホテルは市内から少し離れている
アーグラはアーグラ城塞だけでなく、世界的人気観光地「タージマハル」もある観光都市です。
そのため、市内には多くのホテルが点在してます。
観光都市でありながら、意外にも宿泊料金はリーズナブルで、「3,000円/1泊」ほどで宿泊ができます。
一方で、市内中心部には5つ星などの高級ホテルはほとんどありません。
タージマハルからさらに南に数キロいったエリアに高級ホテルが点在しているため、もしホテルグレードにこだわりたい方は観光スポットから少し離れることを念頭に置いておきましょう。
参考文献・注意事項
- 当記事の内容は「世界遺産検定1級公式テキスト<上>」と「世界遺産検定1級公式テキスト<下>」を大いに参考にしています。
- 当記事は100%正しい内容を保証するものではありません。一部誤った記載が存在する可能性があることをあらかじめご了承ください。