こんな方にオススメの内容!
- 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」とはなにかを知りたい!
- 長崎と天草にあるキリスト教関連施設が世界遺産登録された理由が気になる!
- 教養として世界遺産に関する知識を身につけたい!
- 世界遺産検定の受験を考えている!
- 長崎、天草への旅行を考えている!
遺産ポイント
- 密かにキリスト教信仰を続けた人々を”潜伏キリシタン”と呼ぶ
- キリシタンの歴史は「始まり⇨形成⇨維持&拡大⇨変容&終わり」の4つの時代に分けられる
- 原城跡や大浦天主堂など計12の資産が世界遺産登録されている
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」のプロフィール
登録名称 | 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産 |
---|---|
登録年 | 2018年 |
所在国 | 日本(長崎県 / 熊本県) |
登録ジャンル | 文化遺産 |
登録基準 | (iii) |
備考 | シリアル・ノミネーション・サイト |
そもそも「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」とは?
世界遺産登録されている文化財の一つ「外海の出津集落」の教会
『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』とは、日本で隠れてキリスト教を信仰していた人々が暮らしていた集落やお祈りのための教会などの文化財を指します。
まずは、世界遺産登録名称から遺産のポイントをおさえてみましょう。
- 長崎と天草地方:国内のキリスト教徒に関係する文化財が点在する2つの地域(天草地方は熊本県)
- 潜伏キリシタン:密かにキリスト教を信仰していた人々
- 関連遺産:教会やキリスト教徒が過ごした集落など
なぜ長崎と天草地方にはキリスト教の文化が根付いた?
古くから長崎には諸外国の文化がいち早く届いた
長崎と天草地方でキリスト教の文化が根付いた理由は、キリスト教を信仰するヨーロッパ諸国との交流が行われやすい位置にあったためです。
長崎と天草地方は、日本の中でも西の端に位置します。
つまり、西の航路でやってきたヨーロッパ人が最初にたどり着く日本の場所が、長崎や天草がある九州地方になるのです。
日本列島でヨーロッパ側に近い位置にある長崎と天草地方
まだ海外との交流が許されていた16世紀ごろ(17世紀に入ると交流が禁止される)、ヨーロッパのキリスト教徒のリーダー(宣教師)たちは、キリスト教を広めようとアジアへ進出し始めます。
この進出により、日本は長崎や天草からキリスト教が伝わってきたのです。
現在でこそ長崎や天草に限らず日本各地にキリスト教関連の施設は点在していますが、日本におけるキリスト教信仰の発祥の地とも言える長崎と天草には、今なお多くの歴史あるキリスト教関連施設が残されています。
”潜伏キリシタン”と呼ばれる理由
長崎と天草地方にいたキリスト教徒が”潜伏キリシタン”と呼ばれていた理由は、キリスト教の信仰が禁止されていた時代に、密かにキリスト教信仰を続けていたためです。
キリスト教信仰を禁止したのは、豊臣秀吉や江戸時代に日本で権力を持っていた人々(江戸幕府)によるものです。
禁止されていた期間は「江戸時代〜明治時代(約250年)」に及びます。
いわゆる”鎖国(海禁体制)”と呼ばれる、海外との交流や貿易を禁止する政策の影響を受けたのです。
そんな状況の中、キリスト教は鎖国される前に伝わってきていたため、キリスト教を信仰する者は江戸幕府などの政府にバレないように信仰を続けました。
潜伏キリシタンの歴史(4つの時代)
大浦天主堂にある潜伏キリシタンの歴史を知れる「キリシタン博物館」
潜伏キリシタンの歴史は、大きく4つの時代に分けることができます。
- 密かにキリスト教信仰をする”始まり”
- 潜伏キリシタンの土台が完成する”形成”
- 潜伏キリシタンが広がりを見せる”維持&拡大”
- 潜伏キリシタンが発見され、後に解禁される”変容&終わり”
上記4つの時代を象徴する集落や建築物は今でも残されており、世界遺産『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』の価値を証明するための構成資産としての役割を持っています。
時代1:密かにキリスト教信仰をする”始まり”
【この時代を象徴する主な構成資産】
- 原城跡
日本にいたキリスト教徒が密かにキリスト教の信仰を始めるきっかけとなった出来事があります。
その出来事とは、江戸時代最大の農民反乱と言われる「島原・天草一揆(島原の乱)」です。
用語メモ
島原・天草一揆(島原の乱)とは、政府による政策で農民の生活が苦しくなったことで、農民たちが怒りの反発を起こした出来事。この反発を起こした人の中には、キリスト教の信仰を禁止されたことに不満を持ったキリシタンも含まれている。この一揆(反乱)の主戦場となったのが、かつて巨大な城が築かれていた原城跡です。
一揆(反乱)は国(江戸幕府)に大きな衝撃を与え、最終的には鎖国(海禁体制)という政策を行うきっかけにもなりました。
時代2:潜伏キリシタンの土台が完成する”形成”
潜伏キリシタンが過ごした代表的な集落「天草の崎津集落」
【この時代を象徴する主な構成資産】
- 平戸の聖地と集落
- 天草の崎津集落
- 外海の出津集落
- 外海の大野集落
鎖国(海禁体制)が行われて以降、潜伏キリシタンは長崎や天草地方を中心に密かにキリスト教信仰をするための集落を築き始めます。
キリスト教信仰の禁止後、潜伏キリシタンが初期に過ごした集落マップ
ただし、あからさまにキリスト教信仰をすると、周辺に暮らす神道信者や仏教徒にばれてしまう可能性があるため、表向きは神道信者や仏教徒を装っていました。
このように、表向きはキリスト教以外の宗教を装って、密かにキリスト教を信仰するスタイルは、後に島へと信仰場所が拡大する際にも使われていた方法の一つです。
時代3:潜伏キリシタンが広がりを見せる”維持&拡大”
【この時代を象徴する主な構成資産】
- 黒島の集落
- 野崎島の集落跡
- 頭ヶ島の集落
- 久賀島の集落
- 奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)
まずは、下記の地図を見てください。
潜伏キリシタンが過ごした島々
このように、本島から島々へと信仰場所が移動しました。
信仰場所が島へと移動した理由は、島の方が今の環境よりもキリスト教信仰がバレにくいと考えたためです。
このキリスト教徒の島への移動を許可した団体は、当時日本の未開拓地に人を住ませて開拓していきたいと考えていた五島藩(福江藩)と大村藩です。
用語メモ
五島藩と大村藩とは、現在の長崎県を中心に領土を広げ支配していた人々。【潜伏キリシタンと藩の考え】
- 潜伏キリシタン:キリスト教信仰がバレない優れた環境がほしい。
- 五島藩と大村藩:未開拓エリアに人を住ませてさらに領土を広げたい。
上記のように、潜伏キリシタンと藩の目的がお互いにとって都合が良いことがわかったため、キリスト教の信仰が禁止されていたにも関わらず、藩は政府に伝えずキリスト教信仰を許可して島々へと移住させたのです。
時代4:潜伏キリシタンが発見され、後に解禁される”変容&終わり”
長崎市にある「大浦天主堂」は日本の開国後を象徴する教会
【この時代を象徴する主な構成資産】
- 大浦天守堂
長年にわたって密かにキリスト教信仰を続けてきましたが、ついに潜伏キリシタンの存在が公(おおやけ)になります。
日本におけるキリスト教の存在の公表は、世界中に衝撃を与えました。
この公表を信徒発見と言います。
公表を行なったことで、これまで密かにキリスト教信仰を続けていた人々は堂々と信仰を行うことに切り替え、長崎や天草を中心に次々と教会が築かれ始めました。
教会建造の先駆けとなった建物が、現在の長崎市大浦町に建つ「大浦天守堂」です。
その後、1873年には正式にキリスト教信仰が許され、潜伏キリシタンたちは下記の3つのパターンに分かれて宗教信仰を続けました。
- 潜伏キリシタンからカトリック(キリスト教の教派の一つ)への復帰
- 潜伏キリシタンから仏教や神道への改宗
- 引き続き潜伏キリシタンとして信仰を続行
世界遺産登録理由
外海の出津集落にある世界遺産モニュメント
『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』が世界遺産登録された最大の理由は、以下の通りです。
『独自のキリスト教信仰が行われた歴史を刻む文化財が数多く残されている』
前述の「”潜伏キリシタン”と呼ばれる理由」で解説したように、ヨーロッパで行われているキリスト教信仰とは違い、日本での信仰は密かに信仰するスタイルでした。
さらに、鎖国によって日本にはキリスト教を伝えにきた人(宣教師)がいない時代が長かったため、独自の方法でキリスト教信仰を続けていきました。
その結果、他の地域では見られない唯一無二のキリスト教信仰スタイルができあがったのです
また、「潜伏キリシタン時代 ⇨ キリスト教信仰が許された時代」にかけてキリスト教信仰の形は徐々に変わっていきました。
このように、独自の信仰スタイルが誕生したことに加えて、時代を追うごとに信仰スタイルが変化していった歴史も大きく評価されたのです。
構成資産
天草の崎津集落にある世界遺産モニュメント
『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』の構成資産は、長崎県と熊本県に点在する12ヵ所に分けられます。
『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』の構成資産の位置
-始まり- | ||
---|---|---|
城跡 | 原城跡 | 潜伏キリシタン誕生のきっかけとなった一揆(反乱)が起きた城跡。近年の発掘調査によって、多数の人骨とキリスト教の信仰をするための道具が見つかっている。 |
-形成- | ||
集落 | 平戸の聖地と集落(春日集落、安満岳) | 日本にキリスト教が伝わる前から仏教徒が山に対するお祈りを捧げていた集落(山岳信仰)。 |
平戸の聖地と集落(中江ノ島) | キリスト教信仰のために自らの命を絶つ(殉教)行いがされていた島。 | |
天草の崎津集落 | アワビの貝殻を信仰の道具にするなど、漁村ならではの信仰スタイルが誕生した集落。 | |
外海の出津集落 | 聖人などを描いた画像(イコン)を対象に密かにキリスト教信仰を行なっていた集落。 | |
外海の大野集落 | 仏教徒を装いつつ、密かにキリスト教を信仰していた集落。 | |
-維持&拡大- | ||
集落 | 黒島の集落 | 農地開拓のために人が住み始めた島。潜伏キリシタンが移住し始めた島の一つ。 |
野崎島の集落跡 | 潜伏キリシタンが神道信者を装って密かに信仰していた島の一つ。 | |
頭ヶ島の集落 | もともとは病にかかった仏教徒を治療するために使われていた島。潜伏キリシタンは仏教の指導者によって移住が認められた。 | |
久賀島の集落 | 五島藩による島の開拓政策によって移住が行われた島。 | |
奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺) | キリスト教信仰の解禁が行われたことを示す江上天守堂が建つ島。地形を活かした集落が築かれている。 | |
-変容&終わり- | ||
教会 | 大浦天守堂 | 「鎖国⇨開国」にともない、来日した宣教師によって建てられた教会。建設には日本人が関わっている。 |
原城跡
- 17世紀前半(戦国時代)に築かれた城の跡地
- 国の政策に不満を持った農民やキリスト教信者による反乱が起きた場所
- 発掘作業では多数の人骨や信仰に関する道具が見つかっている
原城跡は、前述の「時代1:密かにキリスト教信仰をする”始まり”」で解説した「島原・天草一揆(島原の乱)」の舞台です。
この一揆以降に”潜伏キリシタン”と呼ばれる密かにキリスト教を信仰する人々が現れたため、潜伏キリシタンの歴史の始まりといっても過言ではない重要な場所です。
城跡周辺からは、潜伏キリシタンと見られる数多くの人骨や信仰に使われていた道具が見つかっています。
天草の崎津集落
- 天草地方で初期に潜伏キリシタンが住み始めた集落
- 漁港ならではの信仰スタイルが誕生した
- 仏教に関わる神様をキリスト教の神様と見立ててお祈りしていた
天草の崎津集落は、古くから漁港として賑わっていた集落です。
そのため、崎津に住み着いた潜伏キリシタンは、アワビの貝殻など身近なものをキリスト教の信仰道具として使っていました。
また、大黒天(だいこくてん)や恵比寿神(えびすしん)など、仏教に関わる神様をキリスト教の神様(デウス)と見立てて信仰が行われたという話が残されています。
外海の出津集落
- 長崎で初期に潜伏キリシタンが住み始めた集落
- 聖人などを描いた画像(イコン)を対象に信仰を行なっていた
- 後に出津にいた潜伏キリシタンは島々へ移住し始めた
外海の出津集落は、キリスト教徒達が周辺の山から切り出した木材で建てられた「出津教会堂」、保育施設や記念館として使われた歴史を持つ「ド・ロ神父記念館」、住人に様々な商品づくりの指導が行われた「旧出津救助院」など、長崎で初期に潜伏キリシタンが暮らしていた集落です。
その後、島々への移住が開始された際は、出津集落から多くの潜伏キリシタンが出発しました。
黒島の集落
- 本土からの移住が行われた島の一つ
- 多くのキリスト教徒が仏教寺院で信仰を続けた
黒島の集落は、長崎や天草などの本土から、島への移住が始まった際に多くの潜伏キリシタンが暮らした集落です。
長崎県の平戸を主な活動拠点としていた人々(平戸藩)が、耕作のために黒島への移住を計画しました。
ただし、島へ移住させる人数が必要だったため、密かにキリスト教を信仰したい人々を暗黙の了解でキリスト教の信仰を認めて移住させていたのです。
なお、黒島では主に仏教寺院で密かにキリスト教の信仰が続けられてました。
大浦天守堂
- 日本が開国してから建てられた長崎のシンボル
- 潜伏キリシタンの終わりを象徴する教会
- 洋風の建築として日本で初めて国宝に指定
大浦天守堂は、日本が「鎖国⇨開国」になったことで来日した宣教師(キリスト教を教える人)によって建てられた教会です。
建設には日本人が関わり、1953年には西洋の建築物としては日本で初めて国宝に指定されました。
また、開国によって正式にキリスト教の信仰が認められた後に建てられたことから、潜伏キリシタンの終わりを象徴する教会として知られています。
問題点・課題点
神聖な空間を保つために教会内の撮影や飲食は禁止されている
『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』は、残念ながら下記のような問題・課題を抱えています。
- 住人の高齢化:伝統や文化を継承する人が不足する懸念。
- 集落の人口減少:集落が無人化することで文化財を保護・保全する人手が不足する懸念。
- 観光客の増加:訪問する人が増えることで静かな祈りの環境が乱される懸念。
このような問題・課題に対する取り組みの一つとして行われているのが、教会見学の完全事前予約制の導入です。
時代に関係なく、今なお教会は神聖な空間に変わりはありません。
また、大勢の観光客が押し寄せることを懸念して、『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』の公式ホームページから事前予約をしないと教会内部に入ることはできません。
ちなみに、集落には今なお暮らしている人がいるため、無断で住宅街に入らないように集落内には忠告の看板がいくつも置いてあります。
国内初!諮問機関ICOMOSからアドバイスを受けて推薦書を作成
『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』は、日本の世界遺産としては初めて諮問機関ICOMOSとアドバイザー契約を結んで世界遺産への推薦書を作成しました。
(ICOMOSについてはこちらの記事で解説)
このように、専門機関からアドバイスをもらいながら推薦書を作成することで、下記のような問題を防ぐことができます。
- 推薦書の不備
- 価値証明の不十分
本日の確認テスト
(「世界遺産検定」の概要についてはこちらの資料を参考にしてください)
3,4級レベル
日本の開国後のキリスト教信仰の象徴と言える長崎市の教会の名称として正しいものはどれか。
- 頭ヶ島天主堂
- 大野教会堂
- 崎津教会
- 大浦天主堂
④
答え(タップ)>>2級レベル
『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』が抱えている問題として誤っているものはどれか。
- 観光客増加による静かなお祈り環境の破壊
- 生活水による周辺海域の水質汚染
- 住人の高齢化による文化・伝統継承の担い手不足
- 人口減少による保護・保全をする人手不足
②
答え(タップ)>>1級レベル
『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』に関する説明として誤っているものはどれか。
- 潜伏キリシタンはキリスト教信仰の解禁後に神道や仏教に移る者もいた。
- キリスト教信仰を黙認して潜伏キリシタンの島への移住が行われた。
- 潜伏キリシタンの歴史は「始まり⇨形成⇨維持&拡大⇨共存⇨変容&終わり」の5つの時代に分けられる。
- 漁港として栄えた天草の崎津集落ではアワビの貝殻など身近なものを信仰の道具として使っていた。
③
答え(タップ)>>まとめ
- 『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』とは、日本で隠れてキリスト教を信仰していた人々が暮らしていた集落やお祈りのための教会などの文化財を指す。
- 諸外国からのアクセスが良い長崎と天草地方からいち早くキリスト教が伝わってきた。
- 潜伏キリシタンの誕生は鎖国(海禁体制)による政策の影響。
- 潜伏キリシタンの歴史は「始まり⇨形成⇨維持&拡大⇨変容&終わり」の4つの時代に分けられる。
- 「島原・天草一揆(島原の乱)」が潜伏キリシタン誕生に大きな影響を与えた歴史的な出来事。
- より密かにキリスト教信仰を行うために多くの潜伏キリシタンが本土(長崎、天草)から島々(黒島、野崎島など)へと移住していった。
- 日本にキリスト教徒がいることを公に発表する”信徒発見”は世界に大きな衝撃を与えた。
- 「大浦天主堂」は日本でキリスト教信仰が正式に認められたことを象徴する教会。
- 世界遺産登録最大の理由は、独自のキリスト教信仰が行われた歴史を刻む文化財が数多く残されている点。
- 12の資産(城跡:1、集落:10、教会:1)で構成されている。
- 住人の高齢化、集落の人口減少、観光客の増加などの問題&課題を抱えている。
- 世界遺産推薦書は諮問機関ICOMOSのアドバイスをもらいながら作成した。
おまけ:プチ観光情報
大浦天主堂 | |
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最寄り空港 | 長崎空港 |
観光拠点の街 | 長崎市 |
混雑度 | 少し混む |
入場料 | 大人:1,000円 中高生:400円 小学生:300円 |
営業時間 | 3〜10月:08:30〜18:00 11〜2月:08:30〜17:30 |
目安観光時間 | 1時間 |
休業日/th> | 無休(教会行事が行われている場合は休館の可能性あり) |
事前予約 | 不要 |
公式HP | https://nagasaki-oura-church.jp/ |
出津教会堂(外海の出津集落) | |
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最寄り空港 | 長崎空港 |
観光拠点の街 | 長崎市 |
混雑度 | 空いている |
入場料 | 無料 |
営業時間 | 09:00〜12:00 13:00〜17:00 |
目安観光時間 | 30分(周辺の集落観光を含めると1時間) |
休業日/th> | 第1、第3日曜日 09:00〜10:00 |
事前予約 | 必要 |
公式HP | https://kyoukaigun.jp/archives/culture/673-2 |
崎津教会(天草の崎津集落) | |
---|---|
最寄り空港 | 天草空港 |
観光拠点の街 | 天草市 |
混雑度 | 普通 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | 09:00〜12:00 13:00〜17:00 |
目安観光時間 | 30分(周辺の集落観光を含めると1時間) |
休業日/th> | 不定休 |
事前予約 | 必要(空いていれば当日入ることが可能) |
公式HP | https://kyoukaigun.jp/archives/culture/884-2 |
参考文献・注意事項
- 当記事の内容は「世界遺産検定1級公式テキスト<上>」と「世界遺産検定1級公式テキスト<下>」を大いに参考にしています。
- 当記事は100%正しい内容を保証するものではありません。一部誤った記載が存在する可能性があることをあらかじめご了承ください。