こんな方にオススメの内容!
- なぜ沖縄県に数多くのグスク(城)が築かれたのか理由が気になる!
- 教養として世界遺産に関する知識を身につけたい!
- 世界遺産検定の受験を考えている!
- 次の旅行先の候補地を探している!
遺産ポイント
- 沖縄のグスク(城)は防衛だけでなく信仰などの宗教空間としての役割も持つ!
- 沖縄に点在するグスク(城)の多くは按司(あじ)によって築かれた!
- 各グスクや遺構は琉球王国時代の伝統的な建築様式で建てられている!
「琉球王国のグスク・関連遺産群」のプロフィール
登録名称 | 琉球王国のグスク及び関連遺産群 |
---|---|
登録年 | 2000年 |
所在国 | 日本(沖縄県) |
登録ジャンル | 文化遺産 |
登録基準 | (ii)(iii)(vi) |
歴史からひも解く琉球王国関連遺産の価値
2,000円札の記念紙幣に描かれた「守礼門(しゅれいもん)」 / 参照:「たーてぃー」さんのInstagramより
そもそも「グスク」とは
「グスク」とは昔の沖縄の言葉で「城」のことを指します。
ただ沖縄にあるグスクを「城」という言葉だけで片付けてしまうと
あまりにも雑な回答になってしまいます。
なぜならグスク(城)とは
日本の本土によくある城とは役割や歴史的背景で異なる点があるからです!
本土の城と沖縄のグスク(城)の共通点と異なる点は下記の通りです。
共通点 | 敵国・隣国からの攻撃に備えた防衛の役割 |
---|---|
その国・地域を統治したリーダーの居城 | |
異なる点 | グスク周辺に住む住民が祈りを捧げる場所 |
住民同士の連帯感を深める心のよりどころ |
このように沖縄の城(グスク)は本土にある城と同じく防衛という役割に加え、信仰や宗教空間としての役割もあったのです!
琉球王国の誕生
琉球王国とは、現在の沖縄県にかつて存在した国の名前です。
そして世界遺産に登録されたグスクや関連する遺産の多くがこの琉球王国時代を起源としています。
始まりは10世紀ごろの農村集落でした。
後に各集落に「按司(あじ)」と呼ばれる地域を支配する一族が現れました!
現在沖縄県に存在するグスクの多くがこの按司が居住と防衛のために築いたものです。
15世紀になると、複数の按司を束ねる「王」が登場しました。
さらにその王は数多くあった国を下記の3つの小さな国に分けました。
- 「北山(ほくざん)」
- 「中山(ちゅうざん)」
- 「南山(なんざん)」
三国は中国などと貿易をして国力をつけていき従来よりも頑丈で大きなグスクを築いていきました。
しばらくはこの三国での覇権争いが続きましたが、最終的には「中山」が他の二国を統治し、そうして琉球王国が誕生したのです!
防衛のグスクから信仰としてのグスクへ
琉球王国が誕生後にも「阿麻和利(あまわり)の乱」などの内乱が勃発してました。
しかし内乱を鎮圧していったことにより
次第に政治面や行政面が統一され国として整っていきました。
その後も「尚真(しょうしん)」という国王のもと城周辺の整備が行われたり、王族の女性を対象とした「神女組織」が創設されたりなど、次々と改革が行われていきました。
そして何より三国時代に築かれたグスクにも変化が訪れます!
これまで防衛としての役割が中心だったグスクに、お祈りのための施設が建てられるなど宗教に大きく関わる城へと変貌していったのです!
なお祈りの対象となったのは主に下記です。
- 自然崇拝(自然そのものを神として拝む)
- 先祖崇拝(先祖の霊をあがめる)
具体的にこのような崇拝を行うために各グスクには「拝所(うがんじゅ)」と呼ばれる宗教的聖地が設けられました。
またグスクは周辺住民の心の拠りどころにもなり、住民同士の一体感を生むことにも繋がりました。
技術面で見る琉球独特の文化の誕生
琉球王国の誕生前に中国などと貿易を行なっていましたが、この貿易の中で他国から様々な文化が入ってくることになりました。
こうした貿易や文化交流のもと、琉球独自の文化と他国の文化の双方を取り入れた技術・芸術が誕生し優れた文化を築いていったのです。
それでも完全に他国の影響に呑み込まれることなく、琉球独自の文化も色濃く残っていきました。
例えば石の加工技術などが挙げられます。
もともとは「野面積み」という自然の石をそのまま積み上げた石垣が主流でした。
そこから進化を遂げて「切石積み」という頑丈な石垣を作る技術が誕生しました。
世界遺産に登録された各遺産の詳細
首里城の城郭(じょうかく)内へ入る第一の正門である「歓会門(かんかいもん)」 / 参照:「たーてぃー」さんのInstagramより
首里城跡(しゅりじょうあと)
日本と中国の築城文化が融合した沖縄屈指の人気観光スポットの「首里城正殿」
- 琉球王国の政治・経済・文化の中心
- 重圧な城壁には「布積み」「相方積み」が混在する石積みが見られる
- 第二次世界大戦で消失したが再建された
- 2019年10月の火災で再び焼失
今帰仁城跡(なきじんじょうあと)
- 3つの小国の「北山」の居城
- 琉球王国成立後は「北山監守」の居城
- 城塞は自然石をそのまま積み上げた「野面積み」でできている
座喜味城跡(ざきみじょうあと)
- 按司の「護佐丸」によって建てられた
- 沖縄最古とされるアーチ型の城門が残る
- 政情安定を願う拝所がある
勝連城跡(かつれんじょうあと)
- 沖縄に現存する最古のグスク
- 15世紀半ばまでは「阿麻和利(あまわり)」の居城
- 城内に「コバノツカサ神」をまつる拝所がある
- L字状に置かれた「トゥヌムトゥ」と呼ばれる祭祀場がある
中城城跡(なかぐすくじょうあと)
- かつては「護佐丸」の居城
- 6つの曲輪で構成される
玉陵(たまうどぅん)
- 尚真(しょうしん)によって築かれた皇族の墓
- 沖縄伝統の墓の形である「破風墓(はふうぼ)」が採用されている
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
参照:「maria33yuki_yuki」さんのInstagramより
- 首里城の森の中にある石門
- 木造建築の様式にそった石造建築が特徴
- 第二次世界大戦で焼失後再建
識名園(しきなえん)
- 王家の別邸(庭園)
- 中国の様式と沖縄独自の様式で建築されている
- 第二次世界大戦で焼失後再建
斎場御嶽(せーふぁーうたき)
- 祭祀を司る神女の最高位の聞得大君(きこえおおぎみ)による「御新下り(おあらおり)」の儀式が行われた聖地
- 御嶽内に「三庫理」「大庫理」「寄満」などの拝所がある
世界遺産:トレーニングテスト
(「世界遺産検定」の概要についてはこちらの資料を参考にしてください)
3, 4級レベル
琉球王国時代に数多く建てられた「グスク」の意味として正しいものを選びなさい。
- 墓
- 修道院
- 城
- 聖堂
③
答え(タップ)>>2級レベル
琉球王国の誕生のきっかけとなった内乱の名称として正しいものを選びなさい。
- 阿麻和利の乱
- 島原の乱
- 承久の乱
- 藤原純友の乱
①
答え(タップ)>>1級レベル
首里城跡の城壁で用いられている石積みの手法の組み合わせとして正しいものを選びなさい。
- 布積み × 相方積み
- 布積み × 野面積み
- 相方積み × 野面積み
- 相方積み × 切石積み
①
答え(タップ)>>「琉球王国のグスク・関連遺産群」のまとめ
- 沖縄にあるグスク(城)は本土にある城と同じく防衛という役割に加え信仰や宗教空間としての役割もあった!
- 現存するグスクの多くが「按司(あじ)」と呼ばれる称号を与えられた国のリーダーが建築した!
- 「阿麻和利(あまわり)の乱」の勃発後に統一が図られて琉球王国が誕生した!
- 各グスクには「拝所(うがんじゅ)」と呼ばれる宗教的聖地が設けられている!
- 他国との文化交流や独自文化の発展の過程で「切石積み」などの琉球技術が誕生していった!