こんな方にオススメの内容!
- なぜヴェルサイユ宮殿が世界遺産に登録されたのか理由が気になる!
- 教養として世界遺産に関する知識を身につけたい!
- 世界遺産検定の受験を考えている!
- フランスや中世ヨーロッパの歴史に興味関心がある!
- 次の旅行先の候補地を探している!
遺産ポイント
- ヴェルサイユの起源は狩り場として有名な小さな村!?
- ヴェルサイユ宮殿の建造はルイ14世の野望がきっかけ!
- ヴェルサイユ宮殿はフランス三大芸術家によって手がけられた!
- 宮殿と庭園のデザインや設計は世界中の宮殿建造や造園に大きな影響を与えた!
「ヴェルサイユ宮殿と庭園」のプロフィール
登録名称 | ヴェルサイユ宮殿と庭園 |
---|---|
登録年 | 1979年(2007年:登録範囲変更) |
所在国 | フランス |
登録ジャンル | 文化遺産 |
登録基準 | (i)(ii)(vi) |
ヴェルサイユ宮殿の誕生と栄枯盛衰
ヴェルサイユ宮殿の正面口
「宮殿 = ヴェルサイユ」
もはやこの式が成り立ってしまうほどあまりにも有名なヴェルサイユ宮殿ですが
「なぜ建てられたのか」
「どうしてヴェルサイユに建てられたのか」
「どんな歴史を歩んできたのか」
この点について知らない方は多いのではないでしょうか。
今回は意外と知らなかったヴェルサイユ宮殿のいくつかの謎を魅力ポイントと絡めて解説します!
ヴェルサイユは狩り場としての小さな村が起源!?
巨大な噴水や運河はセーヌ川の水を引いて利用している
まず結論から言ってしまうと、ヴェルサイユの起源は森林が広がる狩り場スポットとしての小さな村に過ぎませんでした。
そのためこの地に歴代の王様や皇族が暮らしていたわけではなく、豪勢な建物がたくさんあったわけでもありません。
そう、ヴェルサイユはこれといって何かあるわけでもない小さな村から始まったのです!
ヴェルサイユ宮殿の建造は、後にヴェルサイユ宮殿の建造を命じたルイ14世の前フランス国王であるルイ13世がヴェルサイユの狩り場を訪れたことが起源となります。
ヴェルサイユを狩り場として最高の場所と考えたルイ13世は、この地に狩猟用の建物を建造することを決めました。
そう、この狩猟用の建物こそ後のヴェルサイユ宮殿の建造のきっかけとなったのです!
その後この狩猟用の建物はルイ13世の命令によって城館へと変貌しました。
ここまではまだあくまでもヴェルサイユ宮殿ができる前までの状況になります。
後述では、現在見られるヴェルサイユ宮殿の建造とその歴史について触れていきます!
ヴェルサイユ宮殿の誕生と建造理由
ルイ14世の銅像
ヴェルサイユ宮殿の建造を命じた”とある人物”とは、ルイ14世です!
「太陽王」と称されていたルイ14世は、フランス国王の力を世界中に示すために壮大で豪華な宮殿を建てることが名案だと考えました。
そこで、前国王のルイ13世が建造を命じたヴェルサイユにある城館を目につけて、その城館を改築して大きな宮殿を建てることなったのです。
ちなみにヴェルサイユ宮殿の改築はこのルイ14世から始まり、「15世⇨16世」へと引き継がれていくことになります。
この3世代にわたって続けられてきた政権は、「フランス絶対王政」と言われています!
ちなみにヴェルサイユ宮殿への改築は1661年に始まり、1682年には現在見られる姿のおおよその部分は完成していました。
しかし”贅沢の極み”を求め続けた歴代の国王は、ヴェルサイユ宮殿への改築への情熱がなかなか冷めず、完全に工事が着工したのはなんと19世紀に入ってからなのです!
ヴェルサイユ宮殿の建造がフランス革命勃発の原因!?
フランス7月革命を題材に書かれた「民衆を導く自由の女神」(パリのルーブル美術館が所蔵)
前述までで触れた壮大で豪華なヴェルサイユ宮殿の建造は、必ずしも良い面だけではありませんでした。
ルイ14世たちが豪勢な生活を送るために多額なお金を費やしたことで、国家財政が破綻してしまったのです。
破綻した影響もあってフランス革命が発生するきっかけの一つとなり、ヴェルサイユ宮殿は一時荒廃してしまいました。
その後ヴェルサイユ宮殿は、ナポレオン・ボナパルトによって修復され再びかつての輝くを取り戻しました。
さらに直近だと、1989年にフランスの文化庁によって宮殿設備の大規模な改修が行われ、現在見られるような美しい姿が完成したのです。
建築美と庭園の観点から見るヴェルサイユ宮殿の魅力
前述の「ヴェルサイユ宮殿の誕生と建造理由」でも触れたように、ヴェルサイユ宮殿はルイ14世の野望によって計画的に豪華なフランス・バロック様式の宮殿へと変貌していきました。
この豪華な宮殿になるまでに
「どのような建造が行われてきたのか」
「どんな人物が建造に携わってきたのか」
これらを中心に解説していきます!
ヴェルサイユ宮殿建造のキーパーソンは「フランス三大芸術家」
マリー・アントワネットが過ごした「プチ・トリアノン」の内部
フランス三大芸術家とは下記の3名を指します。
- ルイ・ル・ヴォー
- シャルル・ル・ブラン
- アンドレ・ル・ノートル
彼らはそれぞれヴェルサイユ宮殿の下記の設計・建造に関わってました。
ルイ・ル・ヴォー | 宮殿全体の設計 |
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シャルル・ル・ブラン | 室内装飾 |
アンドレ・ル・ノートル | 庭園の設計 |
その後の増改築の設計に関しては、「ジュール・アルドゥアン・マンサール」が引き継いでいます。
「鏡の間」の建築美のポイント
巨大なヴェルサイユ宮殿の中には数多くの部屋があります。
その中でも特に豪勢と言われているのが、「鏡の間」です!
鏡の間の特徴は以下の通りです。
- 「全長73m、幅10m」の庭園に面する巨大な吹き抜け部屋
- ルイ・ル・ヴォーが設計した部屋をマンサールがさらに豪勢な造りへと改築
- 17のアーチ型の窓に対面するように17の鏡が埋め込まれている(「鏡の間」と呼ばれる理由)
特に3つ目の特徴はこの部屋が「鏡の間」と言われる理由でもあり、窓から差し込む光が鏡に反射することできらびやかな部屋を演出しています!
また天井には、ルイ14世の業績をたたえる壁画がル・ブランによって描かれています。
ちなみにこの鏡の間は、第一次世界大戦の講和条約(戦争を終結させるために各国の間で結ばれる平和宣言)である「ヴェルサイユ条約」が結ばれたことでも知られています!
アンドレ・ル・ノートルが手がけた大庭園のポイント
宮殿だけでなく広大な敷地に手がけられている庭園も魅力の一つ
ヴェルサイユ宮殿の庭園は、世界遺産登録名称「ヴェルサイユ宮殿と庭園」にも入っているように、ヴェルサイユ宮殿の世界遺産登録に大きく関わっています!
前述の「ヴェルサイユ宮殿建造のキーパーソンは「フランス三大芸術家」」でも出てきたアンドレ・ル・ノートルはヴェルサイユ宮殿の魅力の一つである大庭園を設計した人物です。
ヴェルサイユ宮殿の大庭園の特徴は以下の通りです。
- フランス式庭園の典型例
- 十字形の大運河を中心に放射線状に小道・噴水・花壇が配置されている
- 庭園にある水は約10km離れたセーヌ川から引いている
フランス国内にはヴェルサイユ宮殿以外にも多くの宮殿は存在していますが、その中の多くの宮殿の庭園がヴェルサイユ宮殿の造園を参考にしているとも言われています。
つまりヴェルサイユ宮殿の庭園は、造園モデルの象徴と言っても過言ではないのです!
また広大な庭園には噴水や運河が点在しているため、かなり多くの水が必要とされます。
そこで「マルリーの機械」と呼ばれる揚水機(水を高所に上げる機械)を使ってセーヌ川から水を引いて多くの水の確保を実現させているのです。
マルリーの機械を使った揚水のイメージ
さらにルイ14世はこの庭園を含む宮殿の素晴らしさと王の偉大さを国民に伝えるために”とある書物”をつくったのです!(次の見出しで解説)
「王の庭園鑑賞法」に秘められたルイ14世の狙い
ルイ14世は、「王は国民のもの」という考えのもとヴェルサイユ宮殿を一般の人々へ公開し始めました。
そしてその際に、庭園の見方や魅力などを記した「王の庭園鑑賞法」という世界初のガイドブックを制作したのです!
このガイドブックの発行によって、庭園にあまり詳しくない国民にもヴェルサイユ宮殿の庭園の魅力が伝わることになり、よりヴェルサイユ宮殿の偉大さが際立つことになりました。
ちなみに庭園内には本殿以外にも2つの離宮が存在します。
グラン・トリアノン | 本殿に対する離宮として建造された。ルイ14世の愛人(公妾)であるアテナイスの隠れ家やゲストルームとして使われていた。 |
---|---|
プチ・トリアノン | マリー・アントワネットに与えられた離宮で周辺にイギリス式庭園が造園された。また近くに農園を作り自然とともに暮らすライフスタイルを楽しんだとされる。 |
傑作とも言える壮大で豪華な宮殿建築の美しさと、計画的に造園された美しい庭園が芸術的な作品と評価されて、「登録基準(i)と(vi)」が認められ世界遺産登録されました!
世界中の宮殿建築&造園に影響を与えたヴェルサイユ宮殿
”北欧のヴェルサイユ宮殿”とも呼ばれているスウェーデンにある世界遺産「ドロットニングホルム宮殿」
ここまでの解説からもわかるように、ヴェルサイユ宮殿はルイ14世から始まる贅を尽くした歴代最高峰の宮殿です。
そのためこのヴェルサイユ宮殿はフランス国内のみならず、世界中の宮殿建造や造園に多大な影響を与えてきました!
ヴェルサイユ宮殿の影響を受けて建造・造園された世界遺産は下記などが挙げられます。
- サンスーシ宮殿(ドイツ)
- シェーンブルン宮殿(オーストリア)
- カゼルタ宮殿(イタリア)
- ドロットニングホルム宮殿(スウェーデン)
このように、世界各国の宮殿建造に多大な影響を与え文化交流を促したという歴史的背景が評価されて、「登録基準(ii)」が認められたことが世界遺産登録の理由の一つです!
本日の確認テスト
(「世界遺産検定」の概要についてはこちらの資料を参考にしてください)
3,4級レベル
フランス国王の力を世界中に示すためにヴェルサイユ宮殿の建造を命じた人物として正しいものはどれか。
- ナポレオン・ボナパルト
- ルイ14世
- シャルル9世
- フランソワ2世
②
答え(タップ)>>2級レベル
ヴェルサイユ宮殿の庭園の設計を担当した人物として正しいものはどれか。
- アンドレ・ル・ノートル
- ピエール・ポール・リケ
- ルイ・ル・ヴォー
- シャルル・ル・ブラン
①
答え(タップ)>>1級レベル
『ヴェルサイユ宮殿と庭園』の説明として誤っているものはどれか。
- ルイ14世は「王の庭園鑑賞法」という世界初のガイドブックを作った。
- 「鏡の間」では第一次世界大戦の講和条約である「パリ条約」が結ばれた。
- 離宮のプチ・トリアノンはマリー・アントワネットに与えられイギリス式庭園がつくられた。
- 庭園の水は「マルリーの機械」と呼ばれる揚水機で運ばれている。
②
答え(タップ)>>「ヴェルサイユ宮殿と庭園」のまとめ
- 小さな村に過ぎなかったヴェルサイユはルイ14世の野望によって宮殿建造と美しく広大な庭園が作られた!
- ヴェルサイユ宮殿の建造が国内財政を圧迫したためフランス革命が発生する一因となった!
- 「宮殿の設計:ルイ・ル・ヴォー」「内部の装飾:シャルル・ル・ブラン」「庭園の設計:アンドレ・ル・ノートル」が中心となって建造・造園がされた!
- 数ある部屋の中でも豪華な造りなのが「鏡の間」で、この部屋で講和条約の「ヴェルサイユ条約」が結ばれた!
- 庭園の水は「マルリーの機械」を用いてセーヌ川から汲み上げられている!
- 「王の庭園鑑賞法」というガイドブックが発行され一般の人々向けにも庭園が開放された!
おまけ:ヴェルサイユ宮殿のプチ観光情報
空港のある最寄の街 | パリ | フランスの首都 |
---|---|---|
最寄の空港 | パリ=シャルル・ド・ゴール空港 | |
観光のベストシーズン | 特になし | ※春〜夏にかけては庭園に綺麗な花が咲き誇るためおすすめのシーズン。 |
入場料 | 1日券:約2,600円(離宮等も含む) 1日券:約3,200円 | ヴェルサイユ宮殿のみの場合は「約2,300円」 |
ヴェルサイユ宮殿の最寄り空港があるパリへは日本の東京&大阪から直行便が頻繁に就航しているため非常にアクセスが良いです!
主なフライトスケジュールは下記になります。
- 羽田 → パリ=シャルル・ド・ゴール空港(フライト時間:約12時間50分)
- 成田 → パリ=シャルル・ド・ゴール空港(フライト時間:約12時間30分)
- 関空 → パリ=シャルル・ド・ゴール空港(フライト時間:約12時間40分)
空港からヴェルサイユ宮殿までのアクセスは、一度パリの中心部まで行き、パリから高速鉄道や国鉄を使ってアクセスする方法が一般的です!
またヴェルサイユ宮殿の入場する上でおすすめなのが、「パリミュージアムパス」を購入することですね!
こちらのパスはヴェルサイユ宮殿の他にも、パリ市内にある美術館や歴史的建造物の入場料が組み込まれた共通の入場券みたいなものです。
2日券で「52ユーロ(日本円で約6,700円)」なので、ヴェルサイユ宮殿とパリ市内の施設2〜3箇所を訪れれば元を取れるので非常にお得です!
ちなみにこのパスを使って入場できる施設は以下の通りです。
- ヴェルサイユ宮殿(離宮含む)
- 凱旋門
- ルーブル美術館
- オルセー美術館
- ケブランリ美術館
- ノートルダム大聖堂の展望施設
- パンテオン
- サント・シャペル教会
参考文献・注意事項
- 当記事の内容は「世界遺産検定1級公式テキスト<上>」と「世界遺産検定1級公式テキスト<下>」を大いに参考にしています。
- 当記事は100%正しい内容を保証するものではありません。一部誤った記載が存在する可能性があることをあらかじめご了承ください。