こんな方にオススメの内容!
- そもそも百舌鳥・古市古墳群が何かを理解したい!
- 百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録理由が気になる!
- 世界遺産登録された古墳の詳細を知りたい!
- 教養として世界遺産に関する知識を身につけたい!
- 世界遺産検定の受験を考えている!
- 大阪への旅行を考えている!
遺産ポイント
- 登録範囲は「百舌鳥エリア(堺市)」と「古市エリア(羽曳野市、藤井寺市)」の2つ
- 標準的な古墳の形「前方後円墳」「帆立貝形古墳」「円墳」「方墳」の4つ全てを網羅
- 「仁徳天皇陵古墳」「応神天皇陵古墳」のような大規模古墳が点在
「百舌鳥・古市古墳群」のプロフィール
登録名称 | 百舌鳥・古市古墳群 |
---|---|
登録年 | 2019年 |
所在国 | 日本(大阪府) |
登録ジャンル | 文化遺産 |
登録基準 | (iii)(iv) |
そもそも「百舌鳥・古市古墳群」とは?
『百舌鳥・古市古墳群』とは、大阪府の「百舌鳥(もず)」エリアと「古市(ふるいち)」エリアに点在する古墳の総称です。
用語メモ
古墳(こふん)とは、約1700年前に日本で主流だった墓の形。主に天皇などお偉いさんのための墓で、土を高く盛り上げて造られているのが特徴。現在の大阪の市で当てはめると、以下の通りです。
エリア名 | 現在の市 | 当時の古墳の数 | 造られた時期 |
---|---|---|---|
百舌鳥エリア | 堺市 | 100基以上 | 4世紀後半〜5世紀後半 |
古市エリア | 羽曳野市、藤井寺市 | 130基以上 | 4世紀後半〜6世紀前半 |
現在は、百舌鳥と古市の古墳を合計しても100基未満ですが、建造された当時は日本各地に権力を持った人々が多くいたため、その人たちを埋葬するために次々と古墳が造られていくほど古墳建造ラッシュだったのです。
ちなみに、現在見られる古墳の多くは「前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)」と呼ばれる形をしており、日本で初めて造られたのが3世紀中頃(約1800年前)とされています。
4世紀に入るとさらに多くの古墳が造られ、6世紀後半には日本全国に16万基を超える古墳が点在してました。
この古墳造りが盛り上がっていた4世紀〜6世紀までの時代を、古墳時代と呼びます。
なぜ百舌鳥と古市の古墳群だけが世界遺産登録範囲?
百舌鳥エリアの古墳群の様子
百舌鳥と古市の古墳群だけが世界遺産登録範囲に指定された最大の理由は、日本各地で見られる古墳の標準的な形が全て集まっているからです!
【日本の古墳の標準的な形】
- 前方後円墳
- 帆立貝形古墳(ほたてがいけいこふん)
- 円墳
- 方墳
上記の4つが、日本の標準的な形の古墳として挙げられています。
百舌鳥・古市以外にある古墳エリアだと、4つの標準的な形のどれかが無かったり、そもそも現在でも見られる古墳の数が少なかったりします。
加えて百舌鳥・古市エリアには、「仁徳天皇陵古墳(にんとくてんのうりょうこふん)」のような日本最大規模の古墳も存在しています。
(仁徳天皇陵古墳については後述で詳しく解説します)
このように百舌鳥・古市エリアは、日本の古墳造りの中心的存在だったのです!
関西(大阪)に古墳が数多く造られた理由
前述の「なぜ百舌鳥と古市の古墳群だけが世界遺産登録範囲?」を踏まえて、このような疑問を持つ方も多いのではないでしょうか?
「どうして関西に古墳がたくさん造られたのか」
この疑問を解消してくれる最重要ワードが、ヤマト王権です。
用語メモ
ヤマト王権とは、古墳時代に大きな権力を持っていた王様や各地域の代表によって構成されていた組織。現在で言うところの首相をリーダーとした「○○政権」のようなもの。古墳時代で最も力を持っていたヤマト王権は、隣国の中国などの東アジアと積極的に海上貿易を行っていました。
貿易の最終目的地がちょうど大阪湾だったため、大阪湾に到着した海外の船に自分たちの力の証として古墳を見せようという考えがあったのです。
当時の大阪湾は、現在の大阪湾の位置よりもさらに内陸にありました。
そして現在見られる古墳の多くは、大阪湾にほど近い場所に造られていました。
古墳時代の大阪湾の様子
また、大阪の内陸や奈良方面にはいくつもの丘が点在しています。
その丘の上に古墳を造ることで、海から離れていても古墳が見えるような配置にしていたのです。
古墳が減った理由
しかし、古墳造りは以下のような出来事によって終わりを迎えます。
- 都市開発が進み多くの古墳が壊された。
- 日本に仏教が伝わったことで天皇の墓の役割が「古墳 ⇨ 寺院」へと代わっていった。
古墳造りが終わるとともに、6世紀末に古墳時代そのものも終わりを迎えます。
それでも、当時日本を代表した巨大な古墳は破壊されずに保存され、今でも見ることができるのです。
ちなみに仏教が伝わってからは、飛鳥時代に突入します。
この時代の代表的な建造物として知られるのが、「法隆寺」です!
世界遺産登録理由
住宅街の背後に突如として現れる古墳
『百舌鳥・古市古墳群』が世界遺産登録された理由は、下記の2点に大きく分けられます。
- 昔の日本の社会・政治の仕組みを理解することができる貴重な資料
- 世界を代表する墓デザイン
さらに実は、世界遺産登録名称にはサブタイトルが付いてます。
古代日本の墳墓群
このようなサブタイトルが付いている理由は、海外視点で考えると地域名を入れることで。かえって世界遺産への理解が難しくなってしまうからです。
つまり、シンプルに”日本の墓”という点がわかるような名称の方が理解を得やすいのです。
理由1:昔の日本の社会・政治の仕組みを理解することができる貴重な資料
現在見られる古墳は、古墳時代の政治や社会の構造が表現されていると考えられています。
なぜなら、各々の古墳に眠っている人物によって古墳の大きさやデザインが異なるからです!
例)
仁徳天皇や応神天皇など、国を代表するような人物の墓は規模が大きく様々な装飾が施されている。
一方で、地方の権力者などの墓は比較的小規模でシンプルなデザイン。
つまり、古墳は単純に墓としての役割を果たしていただけでなく、社会階層(影響力など)の違いを示すためのシンボルでもあったのです。
また、百舌鳥や古市に点在する古墳は以下のような特徴も持っています。
- 日本各地に点在する古墳の中で最大規模(頂点に君臨)
- 百舌鳥・古市の古墳が見本となって日本各地に古墳が造られた
上記の点から考えると、古墳時代の日本の中心は百舌鳥・古市エリアであると推測されるのです。
理由2:世界を代表する墓デザイン
かつては古墳の周りに埴輪が並べられていた
百舌鳥・古市の古墳は、世界的に見ても珍しい形・デザインの墓です。
このように、墓の建築面の評価を受けています。
- 埴輪(はにわ)や葦石(ふきいし)などの装飾品で墓をデザイン
- 濠(ほり)が張り巡らされている
- 「前方後円」など独特な形・空間を表現している(幾何学的デザイン)
上記のような特徴を持った墓は、世界中を探しても百舌鳥・古市にしかありません。
つまり百舌鳥・古市の古墳は、日本独自の墓の形式を表現している代表的な例(顕著な事例)なのです!
視点を変えると、人を埋めるための墓だけでなく、葬送儀礼(死者を見送る儀式)の舞台としてデザインされていたのです。
このように、他に類を見ない建築やその後の建築史に影響を及ぼした代表的な建物には、世界遺産としての評価を受けやすい傾向にあります。
構成資産
ビジターセンターに置かれている古墳の分布図
世界遺産登録されている古墳は、全部で49基に及びます。
- 百舌鳥エリア(堺市):23基
- 古市エリア(羽曳野市、藤井寺市):26基
ただし、仁徳天皇陵古墳(後述で解説)のような巨大な古墳には、陪冢(ばいちょう)と呼ばれる小型の古墳が付いています。
このような場合は、複数の古墳をひとくくりにしてカウントするため、厳密には「45件49基」という表現が正しいです。
ちなみに世界遺産申請時に、どの古墳を世界遺産の対象にするかといった選別で苦労したエピソードがあります。
最終的には、以下のような基準で登録する古墳を選別していきました。
- 日本の標準的な形をした古墳
- 良質な状態で残されている古墳
- 「最大規模」「独特な形状」など特徴的な古墳
- 当時大きな力を持った人が眠っているとされている古墳
仁徳天皇陵古墳(にんとくてんのうりょうこふん)
仁徳天皇陵古墳の「拝所」は立ち入りが可能
- 別名「大仙陵(大山)古墳」(地名が由来)
- 日本最大規模の古墳
- 実は仁徳天皇は眠っていない!?
仁徳天皇陵古墳は、日本に存在する古墳の中で最大の大きさを誇る前方後円墳です。
用語メモ
仁徳天皇(にんとくてんのう)とは、古墳時代に実在した日本の第16代天皇。日本最古と言われる歴史書「日本書紀」には仁徳天皇に関することが書かれている。墓の周囲には3重の濠(ほり)が取り囲んでおり、濠を含めた大きさだと、エジプトのピラミッドなど世界の名だたる墓を押さえて世界最大級です。
さらに、エジプトの「ギザのピラミッド」、中国の「秦始皇帝陵」と並んで、世界三大墳墓の一つに数えられています。
ここまで巨大に造られた最大の理由は、当時の日本で最も権力を持っていた仁徳天皇が眠る墓だったからです。
しかし、近年は下記のような大きな疑問が挙がっています。
実は仁徳天皇は眠っていない。別の人物なのではないか。
仁徳天皇が眠っていると主張する側の意見と眠っていないと主張する側の意見は、それぞれ以下の通りです。
仁徳天皇と主張する側の意見 | 仁徳天皇について書かれている歴史書古事記や日本書紀に、「仁徳天皇がここを自分の墓と定めた」という意味合いの記述があった。 |
---|---|
仁徳天皇ではない主張する側の意見 | (近年の調査によると)古墳が築かれた時期と仁徳天皇が亡くなった時期に数十年ものズレがある。 |
このように、実際に眠っている人物が明確に特定されていないため、古墳の名称に”陵”と”古墳”の2ワードが入っているのです。
- 陵:埋葬者が明らかになっている場合に使用
- 古墳:埋葬者が判明していない古い陵墓に使用
孫太夫山古墳(まごだゆうやまこふん)
孫太夫山古墳は公園の中にひっそりとたたずむ
- 仁徳天皇陵古墳の陪冢(と考えられている)
- 日本の標準的な形の一つ「帆立貝形古墳」の代表的な古墳
孫太夫山古墳は、前述の「構成資産」で少し出てきた陪冢(ばいちょう)と呼ばれる小型の古墳です。
対象の古墳は、日本最大の古墳で知られる「仁徳天皇陵古墳」と考えられています。
しかし、実際に仁徳天皇陵古墳の陪冢であるかどうかは定かになっていません。
履中天皇陵古墳(りちゅうてんのうりょうこふん)
国内第3位の規模を誇る「履中天皇陵古墳」
- 別名「ミサンザイ古墳」
- 日本第3位の大きさ(長さ365m)
- 「円筒埴輪(えんとうはにわ)」や「形象埴輪(けいしょうはにわ)」など様々な装飾品が見つかっている
日本最大の古墳「仁徳天皇陵古墳」の少し南に位置する巨大な前方後円墳です。
仁徳天皇陵よりも歴史が古く、古墳時代の歴史を解き明かす重要な手かがりを握っています。
いたすけ古墳
市民の保存運動によって守られた「いたすけ古墳」
- 他の前方後円墳と比べると前方部分が短い
- 宅地開発による危機を経験
比較的規模の大きい前方後円墳ではあるものの、前方部分が短い点が特徴的な古墳です。
実は、1950年代に古墳周辺の住宅街開発によって、一時は古墳の更地化が検討されました。
しかし、周辺市民を中心とした保存運動によって破壊されず、無事保存されることになったのです。
応神天皇陵古墳(おうじんてんのうりょうこふん)
国内第2位の規模を誇る「応神天皇陵古墳」は古市エリアの代表的な古墳
- 別名「誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)」
- 日本第2位の大きさ(長さ425m)
- 「円筒埴輪(えんとうはにわ)」や「形象埴輪(けいしょうはにわ)」など様々な装飾品が見つかっている
前述の「仁徳天皇陵古墳」に次ぐ大きさを持つ点が最大の特徴です。
さらに墓の体積に関しては、仁徳天皇陵古墳をしのぐ国内第1位を誇っています。
また、古墳には数多くの埴輪が飾られていたと考えられています。
見つかった埴輪の数を考えると、2万本の円筒埴輪(えんとうはにわ)が並べられていたと推測されているのです。
また、前述の「仁徳天皇陵古墳」と同じく、古墳の名称には”陵”と”古墳”の2ワードが入っています。
つまり、こちらの古墳も眠っている人物が明確にわかっていないのです。
津堂城山古墳(つどうしろやまこふん)
- 4世紀後半に造られた古墳群の中でも最初期のもの
- 珍しい埋葬品が見つかっている
津堂城山古墳は、仁徳天皇陵古墳などと同じ前方後円墳に分類されます。
そして最大の特徴は、日本全国に多く点在する古墳の中でも、特に歴史の長い古墳として考えられている点です!
また、水鳥形埴輪など、非常に珍しい埋葬品が見つかっている点も特徴の一つです。
問題点・課題点
古墳の名前には明確な理由がないものが多い
『百舌鳥・古市古墳群』は、主に下記の2つの問題・課題を抱えています。
- 古墳の名前があいまい
- 公開されている古墳が少ない
前述でも解説したように、古墳の名称に入っている人物名は、あくまでも推測で決められているケースがよくあります。
この推測で名前が決められている事実に関しては、世界遺産登録時に「誤解を与えかねない」として問題視されました。
加えて、研究者を含む、古墳への一般の人の立ち入りは原則禁止されています。
つまり、古墳の正体を研究しようにもできない状態なのです。
用語メモ
宮内庁(くないちょう)とは、主に皇室(天皇など)に関係する事務が行われている機関。古墳には、歴代の天皇、皇族らが眠っていると考えられているため、古墳に関する業務は宮内庁が管理しています。
そのため、他の世界遺産と比べて管理が厳重に行われており、一般公開が厳しく取り締まられているのです。
とはいえ、世界遺産に登録されている古墳全てが非公開というわけではありません。
下記の古墳であれば立ち入ることが可能ですので、ぜひ一度訪れることを検討してみてください。
- 津堂城山古墳(つどうしろやまこふん)
- 鍋塚古墳(なべづかこふん)
- 古室山古墳(こむろやまこふん)
- 大鳥塚古墳(おおとりづかこふん)
本日の確認テスト
(「世界遺産検定」の概要についてはこちらの資料を参考にしてください)
3,4級レベル
百舌鳥にある日本最大の古墳の名称として誤っているものはどれか。
- 応神天皇陵古墳
- 津堂城山古墳
- 古室山古墳
- 仁徳天皇陵古墳
④
答え(タップ)>>2級レベル
世界遺産登録されている古墳がある市として誤っているものはどれか。
- 藤井寺市
- 堺市
- 高槻市
- 羽曳野市
③
答え(タップ)>>1級レベル
『百舌鳥・古市古墳群』に関する説明として誤っているものはどれか。
- 仁徳天皇陵古墳には陪冢と呼ばれる小型の古墳が付属している。
- 専門家や研究者を除き一般人の古墳への立ち入りは禁止されている。
- 大阪湾から見えるような配置で古墳群が建造された。
- 「津堂城山古墳」は4世紀頃に造られた最初期の古墳と考えられている。
②
答え(タップ)>>まとめ
- 登録範囲は「百舌鳥エリア(堺市)」と「古市エリア(羽曳野市、藤井寺市)」の2つ。
- 百舌鳥と古市には日本の標準的な古墳の形である「前方後円墳」「帆立貝形古墳」「円墳」「方墳」の4つ全てがある。
- ヤマト王権の考えにより大阪湾を行き来する船からも見えるような位置に古墳を建造した。
- 世界遺産登録名称には「古代日本の墳墓群」というサブタイトルが付けられている。
- 古墳群は古墳時代の政治や社会の構造が表現されていると考えられている。
- 埴輪や葺石などで装飾されている古墳もある。
- 単純な墓の役割だけでなく葬送儀礼の舞台としてデザインされていた。
- 「仁徳天皇陵古墳」には陪冢と呼ばれる小型の古墳が付属している。
- 「古墳の名前があいまい」「非公開の古墳が多い」などの問題・課題を抱えている。
- 古墳の管理は宮内庁が行なっている。
おまけ:「百舌鳥・古市古墳群」のプチ観光情報
最寄り空港 | 伊丹空港(大阪国際空港) or 関西国際空港 |
---|---|
最寄り駅 | 仁徳天皇陵古墳:JR三国々丘駅 応神天皇陵古墳:近鉄南大阪線 土師ノ里駅 |
入場料 | 無料(そもそも立ち入り禁止エリアが多い) |
休業日 | 無し |
混雑度 | 空いている |
観光のベストシーズン | 通年 |
目安観光時間 | 最低3時間(仁徳天皇陵古墳周辺の観光の場合) |
公式ホームページ | https://www.mozu-furuichi.jp/ |
古墳群は、24時間営業&休業日無しのため、誰でも気軽に訪れることが可能な珍しい世界遺産です!
一方で、敷地内を散策できる古墳は限られており、仁徳天皇陵古墳などの人気の古墳は外から眺めて観光することになります。
アクセス
最寄り駅の一つ「三国ヶ丘駅」構内には古墳の案内がところどころで見られる
今回は特に人気の古墳として挙げられる、「仁徳天皇陵古墳」と「応神天皇陵古墳」のアクセスに絞って紹介します。
【仁徳天皇陵古墳の場合】
- JR三国々丘駅 [徒歩:約7分] ⇨ 仁徳天皇陵古墳
【応神天皇陵古墳の場合】
- 近鉄南大阪線 土師ノ里駅 [徒歩:約15分] ⇨ 応神天皇陵古墳
もし、2つの主要古墳を訪れる場合は、古墳間の移動をタクシーにすると効率よく周れます。
反対に電車で周ろうとすると、一度大阪市内まで戻ったりする一苦労が出てくるため、電車移動の場合は丸一日時間が必要になってきます。
古墳を見渡せる展望スポット「堺市役所展望ロビー」
「堺市役所展望ロビー」からは古墳以外にも大阪のビル群も眺められる
古墳観光で最もおすすめのスタイルは、古墳の全景を見ることができるヘリ観光です。
ただし、高額な上に予約必須であるため、誰でも気軽に利用できるものではありません。
一方でヘリ以外のおすすめは、「堺市役所展望ロビー」からの観光です。
ヘリのような古墳全景の観光は難しいものの、地上で古墳観光をするよりも、圧倒的に広範囲の古墳を見渡すことができます!
「堺市役所展望ロビー」から見た百舌鳥エリアの古墳群の様子
さらに驚くべきことに、展望台の入場料は無料です!
「ヘリに乗る金銭的な余裕はない。けど古墳の形は見てみたい」
このように考えている方は、ぜひ堺市役所展望ロビーを訪れてみてください。
参考文献・注意事項
- 当記事の内容は「世界遺産検定1級公式テキスト<上>」と「世界遺産検定1級公式テキスト<下>」を大いに参考にしています。
- 当記事は100%正しい内容を保証するものではありません。一部誤った記載が存在する可能性があることをあらかじめご了承ください。