こんな方にオススメの内容!
- なぜマチュピチュが世界遺産に登録されたのか理由が気になる!
- 教養として世界遺産に関する知識を身につけたい!
- 世界遺産検定の受験を考えている!
- ペルーやインカ帝国の歴史に興味関心がある!
- 次の旅行先の候補地を探している!
遺産ポイント
- アンデス山脈の高地にマチュピチュが築かれた理由はいまだに謎!?
- 限られた土地の中で高度な文明が築かれた点が世界遺産登録としての大きなポイント!
- マチュピチュは幻の都市「ビルバンガ」ではない!?
- マチュピチュは都市遺跡だけでなく絶滅危惧種が生息する面でも貴重な遺産!
「マチュ・ピチュ」のプロフィール
登録名称 | マチュ・ピチュの歴史保護区 |
---|---|
登録年 | 1983年 |
所在国 | ペルー |
登録ジャンル | 複合遺産 |
登録基準 | (i)(iii)(vii)(ix) |
備考 | 新・世界七不思議に選出 |
マチュピチュとは?多くの謎に包まれた天空都市
(”新・世界七不思議”の詳細に関してはこちらの資料をご覧ください)
今なお謎に満ちた点が多いマチュピチュですが、”ある2つの観点” から見てみるとマチュピチュの魅力や世界遺産検定の出題ポイントを抑えることができます!
その2つの観点とは
”都市が築かれた歴史”と”高度な技術”です!
今回はこの2つをメインにマチュピチュをおもしろわかりやすく解説してきます。
ちなみにマチュピチュとはケチュア語で「老いた峰」という意味です。
天空都市マチュピチュが築かれてから発見までの歴史
このマチュピチュは、標高約2,400mの高地に築かれたインカ帝国の都市遺跡で、主にワイナピチュと呼ばれる山の尾根部分に都市機能が存在していたと考えられています。
マチュピチュが築かれたのは、15世紀半ばと推測されています。
このように推測された根拠としては、インカ帝国の最後の皇帝であるアタワルパが当時南米を侵略していたスペイン人によって処刑され、インカ帝国が終わりを告げたの16世紀ごろだったためです。
インカ帝国が終わりを告げた16世紀以降、マチュピチュよりも標高の低い位置にある都市部ではスペイン人の植民地化によって開拓されていきました。
しかし一方で、マチュピチュは標高の高いところに位置している影響もあって、ここに都市が築かれていることに誰も気づかなかったとされています。
しばらくの間放置されていたマチュピチュですが、1911年にアメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムによって偶然発見されたのです!
彼は同じくペルーにあるインカ帝国の首都のクスコに滞在中にさらに山奥へと登っていったときにマチュピチュを発見しました。
そして彼がマチュピチュの存在を世界に知らしめたことで、ここからマチュピチュの認知度が上がっていきます。
つまり、ハイラム・ビンガムが偶然発見しなかったら未だにマチュピチュという存在は知られていなかったかもしれないのです!
また彼はこのマチュピチュの都市遺跡を見つけて幻の都市”ビルバンガ”であると確信しました!
ビルバンガとは?マチュピチュは金銀財宝が眠る幻の都市?
マチュピチュ周辺に多く生息している「アルパカ」
結論から言ってしまうと、ビルバンガとは下記を指します。
インカ帝国を制圧したスペイン人の間で噂されていた金銀財宝が眠るとされる架空の都市
スペイン人がインカ帝国を制圧したあとスペイン人の間で
「インカ帝国の皇族の一族たちが反逆に備えて金銀財宝をどこかに隠し持っているのではないか」
このような憶測がされ始めました。
この金銀財宝が隠されているとされる都市のことを、「ビルバンガ」と呼んでました。
しかしこの当時には、結局スペイン人によってビルバンガが発見されることはありませんでした。
マチュピチュの発見以降、ビルバンガに関する調査が現代の技術と知恵を駆使して積極的に行われることになりました。
しかしインカ帝国の人々は文字を持たない文明であったため記録が残ってなく、ビルバンガの調査は非常に難航したのです。
その後も調査は進み、石段の積み上げの調査をした際に大きな転機が訪れました。
石段の調査の結果マチュピチュの都市遺跡の建設が1450年頃ということがわかり、残念ながら年代的にマチュピチュがビルバンガではない可能性が非常に高いことが分かったのです!
高度な技術を持つインカ帝国の都市マチュピチュ
まずマチュピチュの都市遺跡を見て、このように思う方が多いのではないでしょうか。
「どのようにしてこんな高地に都市を築いたのだろうか」
マチュピチュの総面積は都市遺跡のある都市部で約5㎢、保護区全体で326㎢あります。
この敷地の中にいくつもの遺跡が点在していますが、こんな高地で広大なところに都市を築けるような建造素材をどのようにして運んだのか非常に気になりますよね。
調査の結果、当時の人々は車輪や製鉄技術を持っていないことが判明したため、切り取った花こう岩は自分たちで運ぶための方法を編み出して高地まで運んでいったことが考えられました。
つまり、それほどの高度な技術を当時のインカ帝国の人々は持っていたのです!
また、マチュピチュにはトウモロコシやジャガイモの畑を作るための水路や水くみ場の施設も発見されていることから、灌漑(かんがい)設備を作る技術もあったことがわかっています!
なおマチュピチュの都市部にある遺跡からは、灌漑施設以外にも多くの建造物が築かれていました。
マチュピチュに築かれている主な建造物
インティワタナ | ケチュア語で「太陽をつなぎとめる場所」という意味。日時計や太陽の儀式が行われた場所とされる。 |
---|---|
大塔と陵墓(神殿) | 歴を知るために作られたとされる大塔。そのように推測される理由は東側の窓が冬至の日の出の方向に面しているため。また地下にある洞窟からは数体のミイラが発見されている。 |
コンドル神殿 | 翼を広げたコンドルのような形をしていることからこのように呼ばれる。神聖な場所であるとともに牢獄として使われたとも推測されている。 |
このように高度な文明が栄えていたことが今なおはっきりとわかるように都市遺跡が残っている点が評価対象の一つとなり、登録基準(iii)が認められて世界遺産に登録されることになりました!
「自然遺産」としての価値もある複合遺産登録のマチュピチュ
マチュピチュ山の山頂からの眺め
マチュピチュが紹介されているガイドブックやテレビ番組では、遺跡メインで取り扱われていることが多いためあまり自然の価値を知る機会がありませんが、マチュピチュは立派な自然遺産の面も含んでいます!
具体的には、保護区域には絶滅危惧種や固有種などの動物が生息しています。
マチュピチュの保護区に生息している代表的な動物は以下の通りです。
- アンデスイワドリ
- オセロット(ネコ科の動物)
- メガネグマ
なお、今回紹介した登録基準以外の基準も気になる方は下記の記事をご覧ください!
合わせて読みたい!【世界遺産の登録基準】10個全ての登録条件を小学生でもわかるように解説!また中南米の都市遺跡は、熱帯雨林や海洋付近に築かれることが多いため、その影響で自然遺産としての価値が認められやすいのも特徴です。
本日の確認テスト
(「世界遺産検定」の概要についてはこちらの資料を参考にしてください)
3,4級レベル
マチュピチュの都市遺跡を発見したアメリカの歴史学者として正しいものはどれか。
- ヘミングウェイ
- アンリ・ムーオ
- ポール・コソック
- ハイラム・ビンガム
④
答え(タップ)>>2級レベル
『マチュピチュの歴史保護区』に関する説明として正しいものはどれか。
- マチュピチュは自然遺産としての価値はないため文化遺産として登録されている。
- マチュピチュに暮らしていた当時の人々は車輪や製鉄技術を持っていたため都市を形成するのにあまり時間を要しなかった。
- 灌漑設備を作る技術が無かったためマチュピチュの都市遺跡からは畑が見つからなかった。
- インカ帝国は文字を持たない文明であったため都市遺跡の調査に時間がかかっている。
④
答え(タップ)>>1級レベル
マチュピチュの保護区域に生息する動物として誤っているものはどれか。
- アオサギ
- オセロット
- メガネグマ
- アンデスイワドリ
①
答え(タップ)>>「マチュ・ピチュ」のまとめ
- 高地に位置していたマチュピチュは侵略の影響をほとんど受けなかったため当時の都市遺跡が良質な状態で残っている!
- アメリカの歴史学者「ハイラム・ビンガム」によって偶然発見されてからマチュピチュの名前は世界に知られた!
- マチュピチュは金銀財宝が眠る幻の都市「ビルバンガ」ではない!
- インカ文明は文字を持たない文明であるため現在も調査が非常に難航している!
- 当時は車輪や製鉄技術を持っていなかったため高地に建築材料を運ぶための技術や知恵を編み出して運んでいた!
- マチュピチュ周辺の美しい自然美や「アンデスイワドリ」「オセロット」などの絶滅危惧種が生息している点も評価されて自然遺産としての価値がある!
おまけ:マチュ・ピチュのプチ観光情報
空港のある最寄の街 | クスコ |
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最寄の空港 | アレハンドロ・ベラスコ・アステテ国際空港 |
時差 | 14時間(東京 – クスコ間) ※日本の方が14時間進んでます。 |
観光のベストシーズン | 4〜10月 ※1〜3月は雨季にあたり足元が悪くなるためあまりオススメできない。 |
入場料 | 約5,000円(時間指定必須) ※国際学生証の提示で約半額まで値下がり(2022年時点) |
治安 | 普通(ペルーの都市部に比べると比較的良い) |
物価 | 安い(日本の1/2ほど) ※ただし、マチュピチュの入場料は高め。 |
残念ながら、日本からマチュピチュの最寄都市であるクスコまでの直行便は就航していないため、主にアメリカの各都市の空港とペルーの国内都市での乗り継ぎが必要です。
(そもそもペルーに限らず南米諸国への直行便は無いため必ず1回以上の乗り継ぎが必要です)
主に下記がアクセスの良いフライトになります。
- 日本 → ロサンゼルス(アメリカ) → リマ(国内線乗り継ぎ) → アレハンドロ・ベラスコ・アステテ国際空港(フライト時間:約20時間00分)
- 日本 → ニューヨーク(アメリカ) → リマ(国内線乗り継ぎ) → アレハンドロ・ベラスコ・アステテ国際空港(フライト時間:約22時間00分)
空港のある最寄りの都市「クスコ」に着いたら、ここから電車やバスを乗り継いでマチュピチュに向かうことになります。
まずは、アグアスカリエンテス(マチュピチュ村)というマチュピチュ観光の拠点となる村まではクスコから電車で向かいます。
アグアスカリエンテスに着いてからは、シャトルバスでマチュピチュ遺跡の入り口まで向かうことになります。
(混雑が予想されるためネットなどで事前に購入しておくことがオススメです)
「飛行機」「電車」「シャトルバス」などたどり着くまでにかなり大変そうに思えますが、これでも観光地化が進んだことでマチュピチュへのアクセスも良好になっているのです!
道も比較的舗装されているため、距離的には遠いですがそこまで過酷な旅という感じではないですね。
マチュピチュは大変人気な世界遺産です!
そのため、チケットの購入に悪戦苦闘することも考えられます。
現地ペルー(最寄り都市のクスコ)での購入はもちろん可能ですが、事前にマチュピチュの公式ウェブサイトで購入した方が現地でスムーズに入場することが可能です!
また環境保護の観点から、入場時間の指定や入場できる人数の制限を実施しています。
そのためチケット購入時は具体的な入場する時間帯を指定することになるので、現地で時間の変更などの対応は基本的にできません。
参考文献・注意事項
- 当記事の内容は「世界遺産検定1級公式テキスト<上>」と「世界遺産検定1級公式テキスト<下>」を大いに参考にしています。
- 当記事は100%正しい内容を保証するものではありません。一部誤った記載が存在する可能性があることをあらかじめご了承ください。