こんな方にオススメの内容!
- なぜ平泉が世界遺産に登録されたのか理由が気になる!
- 世界遺産検定対策として平泉についてわかりやすく理解したい!
- 教養として世界遺産に関する知識を身につけたい!
- 次の旅行先の候補地を探している!
遺産ポイント
- 平泉は本州北部の政治・行政の中心であり京都との交易によりさらに繁栄!
- 藤原三代(清衡、基衡、秀衡)によって仏国土を再現するように寺院が建造されていく!
- 歴史の過程で数多くの寺院が焼失したが「金色堂」のみ創建当時の姿が残っている!
「平泉」のプロフィール
登録名称 | 平泉‐仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群 |
---|---|
登録年 | 2011年 |
所在国 | 日本(岩手県) |
登録ジャンル | 文化遺産 |
登録基準 | (ii)(vi) |
平泉の歴史と浄土思想から見る世界遺産登録理由
そもそも「浄土思想」とは
中尊寺の参道
浄土思想は8〜12世紀の間に広く伝わった仏教の考えの一つです。
具体的な考えは下記になります。
「死後は仏国土(浄土)に行くことで成仏できる」
この浄土思想が誕生したことで、日本人の死と生に関する考えに大きな影響を与えることになったのです!
そして、「死後の世界(浄土思想)を実際に人々の目に見えるように寺院などを建てて現代に再現してみよう」という考えが生まれました。
世界遺産に登録されている寺院や庭園は、全てこの死後の世界を表現するために建てられたものです。
平泉に数多くの寺院が建てられた理由
当時、平泉は本州北部の政治・行政の中心として栄え始めていました。
さらに当時の日本で最も大きな都市であった京都とは、奥州(岩手県)の主要産物である金などと交易が盛んに行われていました。
平泉はこの交易により安定した財力を持つことができていました。
まとめると、平泉に多くの寺院が建てられるようになった理由は以下の通りです。
- 本州北部の政治・行政の中心として栄えていた
- 交易によって安定した財力を持っていた
上記が平泉が仏国土(死後の世界の再現)を表現するために寺院を建てる都市に選ばれた主な理由です。
また平泉は他の街でよくある武力による力づくでの発展ではなく、隣国や諸外国との文化交流に力を注いで発展していった、いわゆる「平和政治」を取り入れてました。
この平和政治を基盤に、京都に肩を並べる最先端都市へと成長していったのです!
藤原三代による寺院の建造
現在世界遺産に登録されている寺院は交易で得た豊富な資金のもと、その当時平泉で大きな権力を持っていた藤原三代、または藤原氏に関わる人物によって建造されていきました。
寺院名 | 建造者 |
---|---|
中尊寺(ちゅうそんじ) | 藤原清衡(ふじわらのきよひら) |
毛越寺(もうつうじ) | 藤原基衡(ふじわらのもとひら) |
観自在王院跡(かんじざいおういんあと) | 藤原基衡の妻 |
無量光院跡(むりょうこういんあと) | 藤原秀衡(ふじわらのひでひら) |
前述の「そもそも「浄土思想」とは」でも触れましたが、平泉の寺院は死後の世界(仏国土)を表現するように計画的に建造されていったのです!
具体的には下記のように建造されました。
- 平泉の自然の地形を活かす(古来の日本からある自然崇拝を意識)」
- 平泉の中心にある「金鶏山(きんけいざん)」を中心に考えて寺院の配置を考える
- 各寺院には仏国土を表現するための庭園を必ず備える
12世紀以降の平泉の衰退と復活
12世紀まで平泉を統治していた藤原氏は、12世紀末の源頼朝軍に侵略されて滅亡してしまいました。
その結果、平泉にある寺院は鎌倉幕府の保護下に置かれることになったのです。
さらに13世紀には「毛越寺」が、14世紀には「中尊寺」が火災によって消失するなど、平泉は度重なる災難に見舞われました。
(「金色堂」に関してはこちらで詳しく解説します)
その後、残る2つの「観自在王院跡」「無量光院跡」も度重なる火災によって完全に消失してしまいました。
しかしその後鎌倉幕府の統治が終わり室町時代に入ると、平泉はお参りの場所として一般庶民から深く認識されるようになりました。
その影響で寺院には参道が設けられたり、松尾芭蕉などの俳人が平泉を訪れるなど再び最盛期を迎えることになったのです!
世界遺産に登録された各遺産の詳細
金鶏山(きんけいざん)
参照:平泉町公式ホームページより
- 標高はわずか98.6m
- 仏国土の方角を象徴する意味を持つ聖地
- 山頂に経堂などが置かれている
中尊寺(ちゅうそんじ)
中尊寺の「本堂」
- 藤原清衡が平泉を築く際に建造した寺院
- 「供養願文(くようがんもん)」には奥州の地に現世の仏国土を築こうとした清衡の強い願いが書かれている
- 敷地内には建造当時の姿のままの「金色堂」がある
金色堂(こんじきどう)
- 「方三間(ほうさんげん)」という建築法を用いて建造された仏堂建築
- 中尊寺で唯一現存する創建当時の建築物
- 堂内には藤原三代の遺体を納めた須弥壇がある
- 国宝に指定されている
毛越寺(もうつうじ)
毛越寺の「浄土庭園」
- 藤原清衡の死後に藤原基衡に引き継がれて慈覚大師園人によって開かれた
- 度重なる火災に見舞われてほとんどの建造物が消失
- 敷地内にある「遣水(やりみず)」は平安時代の遺構として日本で唯一かつ最大
- 薬師如来の仏国土を表す浄土庭園が造営されている
観自在王院跡(かんじざいおういんあと)
- 藤原基衡の死後にその妻によって毛越寺に隣接するように築かれた
- 建物自体は1573年に消失し庭園の面影だけが残る
- 背後の金鶏山と一体となった景観によって阿弥陀如来の極楽浄土を表現
無量光院跡(むりょうこういんあと)
- 3代目の藤原秀衡によって築かれる
- 極楽浄土を表現する寺院
- 「政務と生活の場である居館」+「極楽浄土を表現する寺院は東西に並ぶ」という初代の清衡の理念がついに実現
- 居館の遺構である「柳之御所遺跡」がある
- 阿弥陀堂は宇治の平等院鳳凰堂をモデルに建てられた
また年に2回(4月と8月)に、仏堂背後の金鶏山山頂に夕日が落ち建物全体が後光によって光り輝くように見えます!
これは、無量光院が現世における西方向極楽浄土の観想を目的として建てられたためです。
本日の確認テスト
(「世界遺産検定」の概要についてはこちらの資料を参考にしてください)
3, 4級レベル
「金色堂」が所在する寺院として正しいものを選びなさい。
- 観自在観自在王院
- 中尊寺
- 無量光院
- 毛越寺
②
答え(タップ)>>2級レベル
毛越寺の庭園の池に水を引き入れるための水路の名称として正しいものを選びなさい。
- 遣水
- 手水鉢
- 舟着
- 龍門瀑
①
答え(タップ)>>1級レベル
「無量光院」を築いた人物として正しいものを選びなさい。
- 藤原基衡
- 慈覚大師園人
- 藤原秀衡
- 藤原清衡
③
答え(タップ)>>まとめ
- 平泉には仏国土の世界を表現すべく藤原三代(清衡、基衡、秀衡)を中心に数多くの寺院が建てられていった!
- 平泉の街の中心にある「金鶏山(きんけいざん)」を中心に考えて寺院の配置が考えられた!
- 平泉の寺院の多くが火災により消失したが中尊寺にある「金色堂(こんじきどう)」のみ創建当時の姿を残す!
- 金色堂は「方三間(ほうさんげん)」という建築法を用いて建造された黄金に輝く仏堂建築!
おまけ:平泉観光の際はレンタサイクルがおすすめ!
平泉駅の様子
実際に私が平泉を訪れたときのことなのですが、各寺院を巡る際は「レンタサイクル」がものすごく便利でオススメです!
レンタサイクルをお勧めする理由は以下の通りです。
- 1日レンタルで1,000円以下と格安!
- 世界遺産の寺院はコンパクトにまとまっているため自転車移動で十分!
- レンタカーだとかえって渋滞に巻き込まれたり駐車ができなかったりと不便!
- 寺院の近くに山や川などもあって風を感じながらのサイクリングは気持ちい!
各寺院や資料館には駐輪場があるので駐輪に困ることもありません。
適度な運動にもなるので、ぜひ自転車で平泉観光をしてみてください!
平泉駅前のレンタサイクル屋さんにいた猫の親子
参考文献・注意事項
- 当記事の内容は「世界遺産検定1級公式テキスト<上>」と「世界遺産検定1級公式テキスト<下>」を大いに参考にしています。
- 当記事は100%正しい内容を保証するものではありません。一部誤った記載が存在する可能性があることをあらかじめご了承ください。