こんな方にオススメの内容!
- そもそもポトシがどういう街なのかを知りたい!
- ポトシ市街が世界遺産登録された理由が気になる!
- ボリビアの歴史について理解したい!
- 教養として世界遺産に関する知識を身につけたい!
- 世界遺産検定の受験を考えている!
- ボリビアへの旅行を考えている!
遺産ポイント
- ポトシは「セロ・リコ」と呼ばれる銀山の発見で発展した街
- 最新採掘技術「アマルガム法」や労働制度「ミタ」が導入された
- 鉱山管理不足により危機遺産リストに記載
「ポトシ市街」のプロフィール
登録名称 | ポトシ市街 |
---|---|
登録年 | 1987年 |
所在国 | ボリビア |
登録ジャンル | 文化遺産 |
登録基準 | (ii)(iv)(vi) |
備考 | 危機遺産に登録されている(詳細は後述で) |
そもそも「ポトシ」とは?
背後にそびえる山が「セロ・リコ(富の山)」と呼ばれる銀山
『ポトシ』とは、南米の国ボリビア南部に位置する、標高4,000mを超えるアンデス山脈の山々に囲まれた都市です。
ポトシの名を世界に知らしめたきっかけは、巨大な銀山が発見されたことです!
スペイン語で
「セロ・リコ = 富の山」
このような名前が付けられるほど、当時のポトシは世界の銀採掘最大の目玉とされていました。
世界遺産登録理由
ポトシ市街が世界遺産登録された理由は、大きく下記の3点に分けられます。
- 銀山の街として繁栄した時代を残す
- 銀の採掘当時の建物や街並みが残る
- 銀採取の技術や労働制度の歴史が刻まれている
なお、『ポトシ市街』は記念すべきボリビア初の世界遺産です。
理由1:銀山の街として繁栄した時代を残す
前述の「そもそも「ポトシ」とは?」でも解説したように、ポトシは銀山の発見によって大きく繁栄した都市です。
厳密には、ポトシで巨大な銀山が発見されたことをきっかけに、ポトシという街が整備されました。
1542〜1545年 | ポトシの山で銀鉱脈が発見される(銀山の発見) |
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1546年 | スペイン人によってポトシ市が建設される。 |
1569年 | 銀山運営のためにスペインからポトシへリーダーが派遣される。 ⇨都市整備に着手。 |
1550〜1650年 | 約100年間で、世界の銀産出量の半分を占める1万5,000トンもの銀が産出された。 |
1650年 | ポトシの人口が最大の16万人に達する。 ⇨当時のスペインのマドリードの人口が15万人だったため、ヨーロッパ主要都市に匹敵するほどの街の規模に発展。 |
ポトシの歴史を見てみると、ボリビア(当時はペルー領土)の人々がポトシの街をつくったのではなく、当時南米の国々を支配していたスペイン人によって開発されたことがわかります。
そして、当時のスペイン国王だったフェリペ2世が銀山運営のために、リーダーとなるフランシスコ・デ・トレドをポトシに派遣したことで、ポトシでの銀採掘が本格的に行われるようになったのです。
しかし、1825年のボリビア独立のタイミングで採取できる銀が無くなったため、銀採掘は終了しました。
なお、現在は銀ではなく、錫(すず)の採掘が続けられています。
用語メモ
錫(すず)とは、食器や缶など飲食関連のものをつくる際によく使われる鉱物の一つ。錫は鉱石から取り出すことが比較的簡単なため、古くから世界各地で流通していた資源。理由2:銀の採掘当時の建物や街並みが残る
銀採掘によって栄えスペイン人によって整備されたポトシ市街
ポトシは銀山の発見によって、鉱山開発だけでなく、銀採掘のために街自体が整備されたり、建物の建設が盛んに行われました。
つまりポトシは、銀採掘のための街づくりが行われた、世界で見ても珍しい街の歴史を持つのです。
- 居住区(バリオス・ミタヨス):銀採掘に勤しむ労働者やその家族が暮らす家屋密集エリア
- ダム、人工湖:銀採掘に必要な水や生活水の確保
- 貴族の邸宅:銀採掘によってうるおったスペイン人のお偉いさんたちの住居
- サン・ロレンソ聖堂:スペインに帰らなくてもキリスト教信仰を続けられるために建てられた教会
前述の「理由1:銀山の街として繁栄した時代を残す」で解説したように、ポトシの街や採掘現場の整備に着手したのは、当時ボリビアを領土としていたスペイン人です。
その影響で、ポトシの街はスペイン風に整備されました。
実際に、サン・ロレンソ聖堂のようなスペイン建築の名残が見られる建物が街中にいくつも点在します。
つまり、ポトシの歴史を見ると、スペインによるボリビア統治時代の歴史を見ることに繋がるのです。
理由3:銀採取の技術や労働制度の歴史が刻まれている
ポトシは街や建物の整備だけでなく、銀の採取技術や労働制度という点でも注目を浴びました。
【銀の採取技術】
- アマルガム法:銀などの鉱物を岩(鉱石)から取り出す、ポトシ銀山が見つかった当時の最新採取技術。細かく砕いた岩(鉱石)と水銀、水を混ぜ合わせてアマルガムと呼ばれる合金をつくり、それを熱して水銀を蒸発させて金や銀を残し採取する。
【労働制度】
- ミタ制:労働者の総人口の1/7を1年交代で労働させる制度。一人の労働者を半永久的に拘束して労働させる状態からの脱却。
このように、ポトシでは銀採掘にあたって、技術面でも労働面でも世界的に新しい試みが行われていたのです。
ポトシで起こっていた”負の面”に関しては、後述の「”負の遺産”という捉え方もできる!?」で詳しく解説します。
なぜ危機遺産に登録?
ポトシ市街は、2014年から危機遺産リストに掲載されています。
(危機遺産リストについてはこちらの記事で詳しく解説してます)
危機遺産リストに掲載されてしまった原因は、銀山の管理不足です。
現在は銀ではなく主に錫(すず)などが採掘されていますが、無計画に採掘が行われてしまった結果、資源の枯渇、景観破壊などが懸念されています。
早急な採掘計画の見直しと、保全対策が求められています。
”負の遺産”という捉え方もできる!?
銀山を含むポトシ市街は、一部から”負の遺産”という声が挙がっています。
(負の遺産に関しては、こちらの記事で詳しく解説してます)
負の遺産と言われる最大の理由が、奴隷のような強制労働の上でポトシでの銀採掘が行われていたためです!
銀採掘は、主に下記の人々によって行われていました。
- 先住民族(インディオ)
- アフリカから連れてこられた黒人奴隷
当時、ポトシの銀山を管理していたスペイン人は、あくまでも採掘した銀を管理し、母国のスペインに持ち帰るための仕事がメインでした。
一方で銀の採掘という重労働は、ポトシ周辺に暮らす先住民族や、労働力確保のためにアフリカから強制的に連れてこられた人々でした。
つまり、銀の採掘は先住民族とアフリカの黒人奴隷の過酷な強制労働の上に成り立っていたのです。
しかし、一人の人間を半永久的に労働させてしまうと、過労のため亡くなってしまう可能性があります。
そこで導入された労働システムが、「ミタ制」です!
(ミタ制に関しては、前述の「理由3:銀採取の技術や労働制度の歴史が刻まれている」で解説してます)
ただし、ミタ制も先住民族を効率よく労働させるための制度にすぎないため、ミタ制は”黒歴史”とも呼ばれています。
最終的に下記のような原因で、計800万人もの労働者が亡くなりました。
- 粉塵(ふんじん)の舞う劣悪な環境
- 有害な水銀に触れ水銀中毒にかかる
- 過労によるもの
その後、ミタ制に不満を抱えたペルー人(当時はボリビアでは無くペルーの国土)が、1780年に「トゥパク・アマルの反乱」という抵抗を起こしました。
さらに、当時の南米の独立運動の中心人物だったシモン・ボリバルによって抵抗がより強まり、ついにミタ制は正式に廃止になりました。
なおボリビアという国名は、独立の立役者だったシモン・ボリバルの名前「ボリバル」から取られています。
本日の確認テスト
(「世界遺産検定」の概要についてはこちらの資料を参考にしてください)
3,4級レベル
ポトシで採掘されていた鉱物資源の名称として正しいものはどれか。
- 銀
- 金
- ダイヤモンド
- レアメタル
①
答え(タップ)>>2級レベル
鉱石から資源を採取する際に用いられた方法の名称として正しいものはどれか。
- オートクレーブ法
- アマルガム法
- ハーバー・ボッシュ法
- パティオ精錬法
②
答え(タップ)>>1級レベル
ポトシの鉱山運営のためにスペインから派遣された人物名として正しいものはどれか。
- マルセリーノ・サンス・デ・サウトゥオラ
- フランシスコ・デ・トレド
- ジョヴァンニ・バッティスタ・アントネッリ
- フアン・バルデス
②
答え(タップ)>>まとめ
- ポトシは銀採掘によって発展した街。
- ポトシの銀山は「セロ・リコ(富の山)」と呼ばれている。
- スペイン人によってポトシの街と建物が整備された。
- 銀山運営のために派遣された人物は「フランシスコ・デ・トレド」
- サン・ロレンソ聖堂などスペイン統治時代の建物が今も残る。
- 銀の採取方法にはアマルガム法が採用された。
- ミタ制という半強制労働が行われていた。
- 鉱山の管理不足により危機遺産リストに掲載された。
- 奴隷のような強制労働が行われた歴史があるため”負の遺産”という捉え方もできる。
おまけ:「ポトシ」のプチ観光情報
ポトシ周辺は荒涼とした大地が永遠に広がる
最寄り空港 | フアナ・アズルデュイ・デ・パディリャ国際空港(スクレ) |
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公用語 | スペイン語 |
通貨 | ボリビアーノ |
観光のベストシーズン | 4〜9月 |
時差 | 13時間 |
治安 | 普通(ボリビアの他の都市と比べると良い) |
物価 | 安い(日本の1/4ほど) |
ツアー料金の相場 | $50〜100(銀鉱山散策ツアー) |
ポトシ市街は個人でも自由に散策することが可能です。
一方で、ポトシ最大の目玉である「セロ・リコ(銀山)」は、ガイド付きのツアーに参加しないと観光することができません。
ツアーに参加して、鉱山散策用の装備をレンタルして観光する形になります。
(ボリビアのオプショナルツアーを探す際は、ツアーが豊富なGet Your Guide利用がおすすめです)
アクセス
国際線が多く発着するボリビア最大の都市「ラパス」
残念ながら、日本からポトシへの直行便は就航していません。
一般的には、北米と南米諸国とボリビア国内の3回を経由し、数時間の車移動を経てアクセスすることになります。
- 日本各空港 [フライト時間:10〜13時間] ⇨ アメリカ各都市(ニューヨーク、ロサンゼルス、他)[フライト時間:5〜8時間] ⇨ 中南米各都市(パナマ、リマ、他)[フライト時間:2〜5時間] ⇨ サンタクルス(ボリビア第2の都市) ⇨ [フライト時間:約1時間] ⇨ フアナ・アズルデュイ・デ・パディリャ国際空港(スクレ) [バス乗車時間:約3時間30分] ⇨ ポトシ
なお、一応ポトシにも「カピタン・ニコラス・ロハス」という空港がありますが、現在はほとんど使われていません。
ポトシのホテル情報
- ホテルは「カスコ・ビエホ・セントラル」エリアに集中
- 1泊5,000円以下で泊まれるホテル多数
- 外資系ホテルはほぼ無い
ポトシのホテルは「カスコ・ビエホ・セントラル」というエリアに集中しています。
ただし、ヒルトンやインターコンチネンタルといった外資系の有名ホテルは無く、小規模なホテルやゲストハウスがほとんどです。
一方で、宿泊費は1泊5,000円程度に抑えることができるため、バックパッカーなど費用を抑えて旅する方には良心的な街です。
参考文献・注意事項
- 当記事の内容は「世界遺産検定1級公式テキスト<上>」と「世界遺産検定1級公式テキスト<下>」を大いに参考にしています。
- 当記事は100%正しい内容を保証するものではありません。一部誤った記載が存在する可能性があることをあらかじめご了承ください。