こんな方にオススメの内容!
- なぜ「サマルカンド」が世界遺産に登録されたのか理由が気になる!
- 「サマルカンド・ブルー」と呼ばれる理由を知りたい!
- 教養として世界遺産に関する知識を身につけたい!
- 世界遺産検定の受験を考えている!
- ウズベキスタンへの旅行を考えている!
遺産ポイント
- 現在見られる建造物の多くがティムール朝の首都として栄えた時代のもの!
- アジアとヨーロッパを結ぶシルクロードの要衝として栄えた!
- レギスタン広場を中心に青色タイルを使ったマドラサや霊廟などが建てられている!
「サマルカンド」のプロフィール
登録名称 | 文化交差路サマルカンド |
---|---|
登録年 | 2001年 |
所在国 | ウズベキスタン |
登録ジャンル | 文化遺産 |
登録基準 | (i)(ii)(iv) |
サマルカンドとは
サマルカンドの中心で常に多くの観光客で賑わっている「レギスタン広場」
サマルカンドとは、中央アジアの国ウズベキスタンの東部に位置する代表的な古都です。
14〜15世紀には、ティムール朝という昔あった国の首都として栄えました!
世界遺産登録名称に「文化交差路」と記載がある通り、サマルカンドは各国各地域の文化が集まる都市として機能してました。
文化交流の拠点として栄えた理由や歴史に関しては、後述の「文化交流の拠点として栄えた重要な都市」で詳しく解説します!
ちなみに、サマルカンドという都市名は下記のような意味を示しています。
- サマル:人々が出会う
- カンド:街
このように、都市名にも人々の交流が盛んに行われたことが示されているのです!
人々が集まることで都市機能は整備され、街には大きな建造物が次々と建てられていきました。
サマルカンドが世界遺産に登録された理由
ティムールとティムールの家族が埋葬されている「グーリ・アミール廟」
サマルカンドが世界遺産に登録された理由は、大きく下記の2つに分けられます。
- 文化交流の重要な拠点として栄えた歴史的価値
- 美しいイスラム建築群
上記の価値を理解するためにも、まずはサマルカンドの街の繁栄と衰退の歴史をたどってみましょう!
紀元前(約2000年以上前) | シルクロードの要衝(アジアとヨーロッパをつなぐ中継地)として栄える。 |
---|---|
8世紀 | アラブ人の侵攻を受けてイスラム化が進む。ホラムズ・シャー朝の首都となる。 |
13世紀 | チンギス・ハンが率いるモンゴル群の侵攻を受けて、サマルカンドが滅びる。 |
14世紀 | ティムールという軍の指揮を握る人物によって、ティムール朝の首都として再び栄え始める。 |
16世紀 | ティムール朝は別の国の侵攻を受けてサマルカンドの土地を奪われて衰退する。 |
歴史を見てもわかる通り、サマルカンドは様々な国の首都として栄えていきました。
首都として栄えるたびに街は繁栄し、街の繁栄に伴い次々と重要な建造物が建てられていったのです。
ちなみに、ティムール朝の首都になる前のホラムズ・シャー朝として栄えていたサマルカンドの中心地は、現在のサマルカンドの中心地とは異なる場所でした。
市街地の北部にある「アフラースィヤーブ」という丘の上であり、現在栄えている位置に移動したのはティムール朝の首都になってからです。
なお現在、アフラースィヤーブの丘からは何層にもわたる都市遺跡が残っています。
文化交流の拠点として栄えた重要な都市
ライトアップされたレギスタン広場の美しい姿 / 参照:「Haruka」さんのインスタグラムより
前述の「サマルカンドが世界遺産に登録された理由」でも触れたように、サマルカンドはシルクロードの重要な要衝として栄えました。
要衝として栄えた最大の要因は、地理的にもアジアとヨーロッパのちょうど中間に位置し、両者を行き来する際に必ず通る場所だったためです!
このように様々な国が通る都市では、自然と国と国との交流が図られます。
具体的な交流とは、主に下記のことを指します。
政治、経済、宗教、物流、伝統
交流拠点としてサマルカンドが栄えるだけでなく、サマルカンドを通る他の国の都市の発展にも貢献しているのです。
さらに、サマルカンドを通して新しい文化・文明が誕生したりするため、人類の歴史を語る上でも重要な都市であることがわかります。
今回のサマルカンドのように、文化などの交流の拠点として発展した都市は、世界遺産の登録基準の(ii)が認められやすいのが特徴です!
(なお、登録基準の詳細に関してはこちらの記事で解説しています)
サマルカンドがシルクロードの要衝として栄えたのは、ティムール朝が首都としていた16世紀初頭まででした。
要衝として使われなくなった最大の原因は、海運が整備されて(海のルート)シルクロードの利用頻度が徐々に減っていっためです!
なお、サマルカンドが衰退して以降は、同じく現在のウズベキスタンにある「ヒヴァ」という古都が経済・文化の中心となりました。
ちなみに、ヒヴァも世界遺産に登録されています。
美しいイスラム建築群(サマルカンド・ブルー)
前述の「サマルカンドが世界遺産に登録された理由」の歴史解説でも触れましたが、サマルカンドは数千年前から栄えていた美しい都市です。
実際に当時サマルカンドを訪れた、マケドニア王国の王様アレクサンドロスや中国の仏教修行者である玄奘(げんじょう)は、当時のサマルカンドを見て「美しい都市」と絶賛していたほどです!
現在見られるサマルカンドの美しい建造物や街並みは、主にティムール朝の首都として機能していた時代につくられたものです。
建物を見るとはっきりとわかるのですが、建物の多くが「サマルカンド・ブルー」と呼ばれる青色のタイルを使って建造されています。
そのため街全体が青色に染まっているように見えることから、サマルカンドはいつしか「青の都」と呼ばれるようになったのです!
その後、サマルカンドには次々とモスクやマドラサが建てられていったのです。
3大マドラサの一つで、獅子や人面の太陽が描かれている「シェル・ドル・マドラサ」
街の中心部には「レギスタン広場」という美しい広場がつくられました。
この広場はティムール朝時代につくられ、現在のサマルカンドでは観光の中心となっています!
そして、レギスタン広場を囲うようにして建てられたのが、下記の3つのマドラサです。
- 左側:ウルグ・ベク・マドラサ
- 中央:ティリャー・コリー・マドラサ
- 右側:シェル・ドル・マドラサ
特に特徴的なのがシェル・ドル・マドラサで、イスラム教のモスクとしては非常に珍しく、獅子(ライオンなどのネコ科動物)や人面の太陽が描かれています。
他には、4代王が築いた「ウルグ・ベク天文台」や、ペルシア語で「王の墓」という意味を持つ「グーリ・アミール廟(墓)」も、美しく壮大な建造物としてサマルカンドの顔になっています。
グーリ・アミール廟は文字通りティムール王の墓であり、ティムールの家族も埋葬されているのです。
本日の確認テスト
(「世界遺産検定」の概要についてはこちらの資料を参考にしてください)
2級レベル
レギスタン広場が中心地になるなど、現在見られる建造物の多くが建てられた14〜15世紀にサマルカンドを首都としていた国の名称として正しいものはどれか。
- サファヴィー朝
- セルジューク朝
- ファーティマ朝
- ティムール朝
④
答え(タップ)>>1級レベル
レギスタン広場を囲うようにして建てられたマドラサの名称として誤っているものはどれか。
- ムハンマド・アミン・ハーンマドラサ
- ティリャー・コリー・マドラサ
- シェル・ドル・マドラサ
- ウルグ・ベク・マドラサ
①
答え(タップ)>>※「3,4級」レベルのトレーニングテストは対象外になります。
まとめ
- サマルカンドとは、主にティムール朝の首都として機能していたウズベキスタンの古都!
- アジアとヨーロッパを結ぶシルクロードの要衝として大きく栄えた!
- 「レギスタン広場」を中心に、青色タイルを用いたマドラサや霊廟などが数多く建てられている!
- 主な3つのマドラサとして「ウルグ・ベク・マドラサ」「ティリャー・コリー・マドラサ」「シェル・ドル・マドラサ」が挙げられる!
- 「グーリ・アミール廟」にティムールとその家族が眠っている!
- 海のルートが発展していった影響でシルクロードの使われる頻度が減りサマルカンドは衰退していった!
おまけ:「サマルカンド」のプチ観光情報
サマルカンドの美しい夕景
人口 | 約50万人 |
---|---|
最寄の空港 | サマルカンド国際空港(日本からの直行便は首都の「タシュケント国際空港」に着く) |
通貨 | スム(札束が多くなりやすいのが特徴。円よりもUSドルからの両替の方がスムーズ) |
観光のベストシーズン | 3〜6月、9〜10月(反対に、夏は非常に暑く、冬は非常に寒いため不向き) |
治安 | 比較的良好(観光客が多いことから警備体制が整っている) |
物価 | 比較的安い(飲食だと、日本の半分以下) |
サマルカンドは、ウズベキスタンを代表する大人気の観光都市です!
(日本で言うところの京都みたいな認知度ですね)
世界中から観光客が押し寄せ、特に中心のレギスタン広場は観光客でいっぱいです。
そのため、他の中央アジア諸国と比べると、観光ルートやインフラが整備されています。
ただし、アメリカやヨーロッパの人気観光都市と比べると、やはりまだまだ不十分な点はいくつかあります。
特に、都市間を移動する際は注意が必要です!
サマルカンドまでのアクセス
残念ながら、現在は日本からサマルカンドへの直行便は就航していません。
とはいえ、日本(成田)からウズベキスタンの首都タシュケントまでの直行便は就航しています!
(ただし週数本のみの就航なので、スケジュールを組むときは要注意です!)
- 成田 ⇨ タシュケント (フライト時間:約9時間)
- その他の空港 ⇨ ソウル(韓国) ⇨ タシュケント (フライト時間:約10時間)
タシュケントからサマルカンドへのアクセスは、鉄道を利用するのが一般的です。
鉄道は主に下記の2つに分かれます。
【高速鉄道(新幹線のようなもの)】
- 「タシュケント – サマルカンド」間を約2時間で結ぶ。
- 非常に清潔で、日本の新幹線と遜色ない。
- ただし運行本数は少なく、朝に集中している。
- 乗車料金は「2,000〜4,000円」と比較的リーズナブル。
- 現地でチケットが購入できるとは限らないため、事前に日本の旅行代理店を通して予約するのが無難(手数料は取られる)。
【通常の鉄道】
- 「タシュケント – サマルカンド」間を約3時間で結ぶ。
- 高速鉄道に比べると運行本数は増えるが、決して多くはない(事前にスケジュール要確認)
- 一等、二等のようにクラス別に分かれている。
- 乗車料金は意外と高速鉄道とあまり変わらない
他にも、タシュケントのバスターミナルからバスを利用する方法もあります。
もちろん鉄道と比べると移動時間は倍近くかかりますが、運行本数が非常に多いため、予約なしで乗車できるケースが多いのが特徴です!
【注意点】
- ウズベキスタン国内は、セキュリティチェックが非常にマメなお国柄です。そのため公共交通機関を利用するたびに身分証明を求められることが多いので、常にパスポートは保持してすぐに取り出せるようにしておきましょう!
サマルカンドのホテル事情
観光都市として人気のサマルカンドですが、意外にも外資系の高級ホテルチェーンはほとんどありません。
(首都のタシュケントには「ヒルトン」「マリオット」などがある)
とはいえ、観光客は非常に多いため、3〜4つ星クラスのホテルは充実しています。
特に、レギスタン広場周辺にホテルが密集しています。
宿泊料金に関しては、日本よりかは安く、東南アジアよりかは少し高いイメージですね。
4つ星クラスのホテルの相場が、1泊「5,000〜15,000円」ほどになります。
また、小洒落たプチホテルや可愛らしい外観のホテルが多いため、近年は女子旅としても注目を浴びています!
合わせて読みたい!【ウズベキスタン旅行 | モデルプランは?おすすめ旅行会社は?】人気観光スポットの解説付き!参考文献・注意事項
- 当記事の内容は「世界遺産検定1級公式テキスト<上>」と「世界遺産検定1級公式テキスト<下>」を大いに参考にしています。
- 当記事は100%正しい内容を保証するものではありません。一部誤った記載が存在する可能性があることをあらかじめご了承ください。