こんな方にオススメの内容!
- フィレンツェが世界遺産登録された理由が気になる!
- ルネサンスや西洋建築、西洋芸術ついて勉強したい!
- 教養として世界遺産に関する知識を身につけたい!
- 世界遺産検定の受験を考えている!
- イタリアへの旅行を考えている!
遺産ポイント
- 芸術運動「ルネサンス」が花開いた歴史都市
- フィレンツェはメディチ家による大改革により繁栄
- 「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」など数多くの歴史的建造物が残る
「フィレンツェ歴史地区」のプロフィール
登録名称 | フィレンツェ歴史地区 |
---|---|
登録年 | 1982年 |
所在国 | イタリア |
登録ジャンル | 文化遺産 |
登録基準 | (i)(ii)(iii)(iv)(vi) |
そもそも「フィレンツェ」ってどんな街?
赤茶色の瓦屋根が続くフィレンツェの美しい街並み
フィレンツェとは、イタリア中部のトスカーナ州に位置する、15世紀頃から芸術の街として栄えたイタリアを代表する美しい古都です。
フィレンツェを表現する言葉としてよく使われるのが
「花の都」「芸術の都」
この2つです。
花や芸術というワードが入っていることからもわかる通り、フィレンツェは花のように美しい街並みを形成し、世界の芸術の中心として大きく繁栄しました。
フィレンツェの街の始まり自体は、今から2,000年以上も前のことです。
当時のフィレンツェは、イタリアを中心に大きく繁栄していた古代ローマの植民都市として街がつくられました。
その後、14〜16世紀にかけて政治・経済・芸術において世界をリードするほど大きく繁栄しました。
つまり、フィレンツェの黄金期は14〜16世紀にあたります。
フィレンツェの歴史
フィレンツェで活躍した芸術家ミケランジェロの作品はバチカンにも残されている
紀元前1世紀 | 古代ローマの植民都市としてフィレンツェの街がつくられる。 |
---|---|
12世紀 | 毛織物業や金融業で栄えた結果、正式に都市としてのフィレンツェが誕生する(自治都市の宣言) |
14世紀初頭 | メディチ家(当時のフィレンツェの街のリーダー的存在の一族)により大規模な街の整備が始まり、人口が13万人に達する。 |
14世紀末 | メディチ銀行拡大により、さらに街がうるおう。 |
15世紀半ば | フィレンツェでルネサンスが花開く。 |
16世紀半ば | トスカーナ大公国の誕生。コジモ1世が初代リーダーとなり領土が拡大する。 |
フィレンツェは歴史上、大きく分けて下記の2つの顔を持っています。
- 世界の政治と経済を握った顔
- 芸術の発展と作品の保護に尽力を注いだ顔
特に芸術面で大きなポイントとなるのが、ルネサンスです!
このルネサンスがフィレンツェで誕生した出来事こそ、フィレンツェの名が世界に知れ渡ったこと、そして世界遺産登録されたことに大きく関係しているのです。
(ルネサンスについては、後述の「理由1:ルネサンスが花開いた歴史ある街」で詳しく解説します)
メディチ家によるフィレンツェの繁栄
フィレンツェの発展を支えたのは、14世紀以降フィレンツェのリーダーとして数々の政策に尽力を注いだメディチ家の存在です。
用語メモ
メディチ家とは、13世紀にイタリアのフィレンツェで誕生した、政治家、銀行家など様々な顔を持つ一族。その後、芸術活動においても様々な政策を取り、芸術作品の保護を行っていた。【メディチ家が行った具体的な政策】
- フランス王家など各国の主要人物と親交を深める
- 金融業などで得た莫大なお金を使って芸術の保護&街並みの整備
メディチ家はフィレンツェの国の基盤づくりと、フィレンツェの知名度を上げたとも言える芸術活動の大きな飛躍に貢献したのです。
特にメディチ家の下記の3人は、フィレンツェの繁栄や世界各国への影響という面でキーパーソンとなります。
- ジョヴァンニ・ディ・ビッチ
- コジモ・デ・メディチ
- ロレンツォ・デ・メディチ
ジョヴァンニ・ディ・ビッチ
フィレンツェ経済の基盤を築いたと言っても過言ではない人物が、ジョヴァンニ・ディ・ビッチです。
ジョヴァンニがメディチ家の銀行(メディチ銀行)を拡大したことで、メディチ家は金融業で莫大な富を得ることに成功しました。
金融業で得た富は、フィレンツェの街の整備などに利用され、フィレンツェ繁栄のきっかけをつくることに繋がったのです。
コジモ・デ・メディチ
フィレンツェの美しい街並みがつくられたのはコジモ時代に行われた整備によるもの
コジモ・デ・メディチは、フィレンツェの公共施設や行政機関を整備し市民の信頼を得ていたため、”祖国の父”と呼ばれた人物です。
- 図書館
- 私的なスクール(通称:プラトン・アカデミー)
- トスカーナ大公国の行政府庁舎
- ヨーロッパ初の孤児院
- メディチ・リッカルディ宮殿
用語メモ
トスカーナ大公国とは、16世紀頃にイタリア北部に誕生した国。現在はフィレンツェやピサなどが属する「トスカーナ州」という州の名前として存在している。驚くべきことに、なんとコジモは市の税収の半分以上を負担し、公共施設の整備に全力を注いだのです!
また、芸術活動の支援・保護や古典(古い書物)研究の推奨など、文化面にも多くのお金と時間を費やしました。
なお、もともとフィレンツェにあった建物を改築して、現在見られるような豪華できらびやかな建造物が誕生したのも、コジモの政策によるものです。
ロレンツォ・デ・メディチ
ロレンツォの影響によりミケランジェロの代表作「ダヴィデ像」は生まれた
フィレンツェの代名詞とも言える「ルネサンス」の最盛期を築いた人物こそ、ロレンツォ・デ・メディチです。
ルネサンスの最盛期を築いたと言える理由は、才能のある芸術家の保護に尽力を注いだためです。
芸術家名 | 代表作 |
---|---|
ボッティチェリ | ヴィーナスの誕生、春(プリマヴェーラ) |
レオナルド・ダ・ヴィンチ | モナリザ、最後の晩餐 |
ミケランジェロ | ダヴィデ像、アダムの創造 |
特に、フィレンツェのシンボルの一つとして有名な「ダヴィデ像」は、当時まだ名が知られていなかったミケランジェロの若き才能をロレンツォが開花させて制作させたものです。
ダヴィデ像制作は、巨大な大理石から彫り出すという難しい工程でした。
しかしミケランジェロは、過去に何人もの彫刻家が果たせなかったこの難しい工程を無事成し遂げたのです。
世界遺産登録理由
橋の上に商店が軒を連ねる観光スポット「ヴェッキオ橋」
フィレンツェが世界遺産登録された理由は、大きく下記の3点に分けられます。
- ルネサンスが花開いた歴史ある街
- 壮大で美しい歴史的建造物が多く残る
- 世界各地に影響を与えた建築技術
理由1:ルネサンスが花開いた歴史ある街
フィレンツェの街中ではいくつものルネサンス様式の建物が見られる
前述の「フィレンツェの歴史」でも解説したように、フィレンツェの繁栄の象徴とも言えるワードが「ルネサンス」です。
用語メモ
ルネサンスとは、14世紀ごろからイタリアのフィレンツェで誕生し、ヨーロッパ各国に広まった芸術、思想の新しい動き。従来の中世の世界観の考え方から、より現代の考え方に近いような人間を中心とした世界観へと変わっていった時代にあたる。なお、ルネサンスとはフランス語で「復活」「再生」という意味を持つ。このルネサンスの時期に誕生した、過去に類の無い建築様式を俗に「ルネサンス様式」と言います。
なお、ルネサンスの具体的な建築ポイントについては、後述の「世界各地に影響を与えた建築技術」で詳しく解説します。
理由2:壮大で美しい歴史的建造物が多く残る
ミケランジェロやガリレオといった著名人が眠る「サンタ・クローチェ聖堂」
フィレンツェは通称
「花の都」「芸術の都」「野外博物館」
このように言われるほど、壮大で美しい歴史的建造物が数多く残っている街です。
フィレンツェ市内にある小高い丘から街を眺めると、赤茶色の瓦屋根を持つ家々や、巨大な大聖堂や美しい教会群が広がる美しい街並みを見渡すことができます。
このように建物単位ではなく、街全体の美しい景観が高く評価されました。
建造物名 | 詳細 |
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サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 | ※後述で解説 |
ヴェッキオ宮殿 | ※後述で解説 |
ピッティ宮殿 | ルネサンス様式のかつてのメディチ家の居城。現在はメディチ家が集めた美術品を展示する美術館として開放されている。 |
サンタ・クローチェ聖堂 | ジェットなどの美術品が展示されているカトリック教会フランシスコ会の聖堂。ミケランジェロ、ガリレオといった著名人が埋葬されているお墓でもある。 |
ウフィツィ美術館 | ※後述で解説 |
アカデミア美術館 | ミケランジェロ作「ダヴィデ像」をはじめ、数多くの彫刻品を展示するフィレンツェを代表する美術館。 |
理由3:世界各地に影響を与えた建築技術
フィレンツェ屈指の規模と豪華さを誇るルネサンス様式の「ピッティ宮殿」
フィレンツェのシンボル的存在であるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂をはじめ、ルネサンス様式を中心とする建物の建築技術の高さは大きな評価を得ました。
【ルネサンス様式の特徴】
- 外観は直線や水平線がメイン
- 内観には豪華な家具や彫刻
- 絵画や彫刻で彩られた壁
- 巨大なドーム型の屋根
- 無数の円柱が立ち並ぶ
- 建物を雨水などから保護するための「コーニス」
そもそもルネサンスは、ルネサンス様式が誕生する前にできた「ゴシック様式」や「ロマネスク様式」からは一旦離れ、元祖建築様式と言える古代ギリシャや古代ローマ時代の古典様式の文化を再度取り入れようとするために起こった芸術運動です。
そのため、巨大なドームや円柱など、古代建築らしいデザインが随所で見られます。
フィレンツェで誕生したルネサンス様式は、時代が経つにつれヨーロッパを中心に各国へと広がっていきました。
なお、1982年に世界遺産登録された『フィレンツェ歴史地区』とは別に、貴重なルネサンス様式の建物が残されていることが評価されて『トスカーナ地方のメディチ家の別荘と庭園群』という世界遺産も誕生しています。
このようにフィレンツェで誕生したルネサンスは、世界各地にもルネサンス様式の建物として今なお残っています。
世界遺産登録されている代表的な建造物
「ミケランジェロ広場」から見たフィレンツェの街並み
- サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂:ルネサンス様式の代表的な建物
- ヴェッキオ宮殿:メディチ家の栄光を象徴する建物
- ウフィツィ美術館:フィレンツェの芸術の中心
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
シンボルのクーポラ(奥)とジョットによって建てられた鐘楼(手前)
- フィレンツェのシンボルで街で最も高い建物
- コジモ時代に建てられたルネサンス様式の大聖堂
- 巨大なクーポラや天井のフレスコ画が特徴
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は、”フィレンツェの顔”とも言える世界屈指の巨大な大聖堂です。
大聖堂は、様々な施設の整備に尽力を注いだコジモ時代に建てられたもので、イタリアを代表する建築家ブルネレスキによって、併設する鐘楼はジョットによって設計されました。
大聖堂最大の特徴は、従来のような木枠を使った建築を一切行わず、レンガを積み上げてつくられた巨大なドーム天井(クーポラ)です。
ドームの直径は約45m、大聖堂全体の高さは約110m、完成までになんと140年もかかっています。
規模だけでなく、フレスコ画が施された美しい天井や洗礼堂など、内部には豪華さが追求されています。
ヴェッキオ宮殿
かつてのメディチ家の住居だった「ヴェッキオ宮殿」
- かつてのメディチ家の宮殿(住居)
- 「五百人広間」の壁画が有名
- 宮殿前にはシニョリーア広場が広がる
ヴェッキオ宮殿は、フィレンツェ繁栄に尽力を注いだメディチ家の一族が生活を送っていた、フィレンツェ最大規模の宮殿です。
もともとは、14世紀にコジモによって政庁舎として建てられました。
その後大改築を行い、メディチ家の住居として生まれ変わったのです。
ヴェッキオ宮殿最大の見どころは、メディチ家を称賛する絵で埋め尽くされている「五百人広間」の壁画です。
外観は比較的落ち着いたデザインですが、内装は非常に豪華につくられています。
なお、宮殿前にはシニョリーア広場が広がっています。
ミケランジェロ作「ダヴィデ像」や、回廊沿いには様々な像が並んでいるなど、まるで野外美術館のような景観が特徴です。
ウフィツィ美術館
かつては行政府庁舎として使われていた「ウフィツィ美術館」
- フィレンツェで活躍した芸術家の名作が集う
- もともとはトスカーナ大公国の行政府庁舎
- イタリア絵画の歴史を知る上で非常に重要な美術館
メディチ家最後の子孫「アンナ・マリア・ルイーザ・デ・メディチ」が残した言葉
メディチ家の財産はフィレンツェのもの
この言葉に象徴されるように、メディチ家が世界各地から集めた美術作品を展示しているのがウフィツィ美術館です。
もともとは、トスカーナ大公国の行政府庁舎として利用されていました。
その後、フィレンツェを訪れた人々に美術作品を見てもらおうと、美術館としての利用に変更されました。
【主な展示作品】
- ヴィーナスの誕生(ボッティチェリ作)
- プリマヴェーラ(ボッティチェリ作)
- 受胎告知(ダ・ヴィンチ作)
- 聖家族(ミケランジェロ作)
- ウルビーノのヴィーナス(ティツィアーノ作)
本日の確認テスト
(「世界遺産検定」の概要についてはこちらの資料を参考にしてください)
3,4級レベル
14〜16世紀にかけてフィレンツェで起きた芸術運動の名称として正しいものはどれか。
- モダニズム
- アールデコ
- ルネサンス
- キュビズム
③
答え(タップ)>>2級レベル
15世紀以降フィレンツェを約300年間支配し公共施設などを建設した一族の名称として正しいものはどれか。
- ロスチャイルド家
- ハプスブルク家
- メディチ家
- ヴェルザー家
③
答え(タップ)>>1級レベル
14〜16世紀にかけてフィレンツェで活躍した芸術家として誤っているものはどれか。
- ボッティチェリ
- レオナルド・ダ・ヴィンチ
- ドラクロワ
- ミケランジェロ
③
答え(タップ)>>まとめ
- 毛織物業や金融業によって経済が発展。
- フィレンツェの街の基盤をつくったのはメディチ家。
- ジョヴァンニ・ディ・ビッチによる金融業の成功により大きな富を得た。
- ”祖国の父”と称されるコジモ・デ・メディチにより街の公共施設が整備された。
- ロレンツォ・デ・メディチは芸術家に多大な支援を行っていた。
- フィレンツェで活躍した代表的な芸術家は「ボッティチェリ」「レオナルド・ダ・ヴィンチ」「ミケランジェロ」。
- フィレンツェで「ルネサンス」という芸術運動が花開いた。
- サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂はルネサンス様式で最大級の建造物。
- ヴェッキオ宮殿はかつてのメディチ家の住居。
- ウフィツィ美術館には「ヴィーナスの誕生」「プリマヴェーラ」などの名作が展示されている。
おまけ:「フィレンツェ歴史地区」のプチ観光情報
「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」のクーポラには登ることができる
最寄り空港 | フィレンツェ・ペレトラ空港 |
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公用語 | イタリア語 |
通貨 | ユーロ |
観光のベストシーズン | 通年 |
時差 | 8時間(サマータイム時は7時間) ※日本の方が8時間進んでます。 |
治安 | 比較的良い |
物価 | 普通(日本とほぼ同じ) |
フィレンツェはイタリアを代表する人気観光地です。
そのため、飲食店、ホテル、お土産店などは非常に充実しています。
また、街全体が世界遺産に登録されていることもあり、歴史的建造物内で食事や宿泊ができるなど、中世にタイムスリップした体験ができるのがフィレンツェの魅力の一つです。
アクセス
フィレンツェの中心駅や空港から大聖堂などがある中心部へのアクセスは良好
残念ながら、日本からフィレンツェへの直行便は就航してません。
一般的には、ヨーロッパ各国で1回経由、またはローマやミラノからイタリアの国内高速鉄道を利用してアクセスすることになります。
【飛行機のみの場合】
- 日本各空港 [フライト時間:12〜13時間] ⇨ ヨーロッパ各都市(パリ、フランクフルト、他) [フライト時間:約2時間] ⇨ フィレンツェ・ペレトラ空港 [鉄道乗車時間:約20分] ⇨ フィレンツェ中心部
【飛行機と高速鉄道を利用する場合】
- 成田 [フライト時間:約12時間] ⇨ ローマ or ミラノ [高速鉄道時間:1時間30分〜2時間] ⇨ フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅
成田空港を利用すれば、ローマやミラノへ直行便でアクセスすることができます。
ローマとミラノからフィレンツェへは、日本で例えるなら「東京 – 名古屋」「大阪 – 名古屋」間ぐらいの距離のイメージですので、鉄道利用でもアクセスはしやすいです。
フィレンツェ観光の注意点&ポイント
フィレンツェは多くの観光客で賑わうため美術館などのチケット予約は必須
- ウフィツィ美術館はチケットの事前購入が必須
- 見どころを全て周るには最低でも2日は必要
ウフィツィ美術館は世界的な名画が展示されている大人気美術館のため、事前予約無しの当日入館は難しいです。
特に夏季は非常に混雑するため、必ず公式ホームページからチケットの事前購入をしておきましょう。
(ウフィツィ美術館の入館予約はこちらから)
フィレンツェは、建物だけを見るなら1日あれば観光できます。
ただし、大聖堂内部や美術品を見て周る場合は、最低でも2日は確保しましょう。
参考文献・注意事項
- 当記事の内容は「世界遺産検定1級公式テキスト<上>」と「世界遺産検定1級公式テキスト<下>」を大いに参考にしています。
- 当記事は100%正しい内容を保証するものではありません。一部誤った記載が存在する可能性があることをあらかじめご了承ください。