こんな方にオススメの内容!
- バレッタ市街が世界遺産登録された理由が気になる!
- マルタや聖ヨハネ騎士団の歴史について理解したい!
- 教養として世界遺産に関する知識を身につけたい!
- 世界遺産検定の受験を考えている!
- マルタへの旅行を考えている!
遺産ポイント
- 街づくりには「聖ヨハネ騎士団」が大きく関わっている
- 街の設計は「コルトーナ」建造物の設計は「カッサール」
- 騎士の出身地の言語別に8つの礼拝堂を持つ「聖ヨハネ大聖堂」が有名
「バレッタ」のプロフィール
登録名称 | バレッタ市街 |
---|---|
登録年 | 1980年 |
所在国 | マルタ |
登録ジャンル | 文化遺産 |
登録基準 | (i)(vi) |
そもそも「バレッタ」とは?
バレッタの市街地には石畳の階段が数多く点在する
バレッタとは、地中海に浮かぶ小さな島国「マルタ共和国」の首都です。
首都とは言っても、人口は6,000人にも満たず、面積は東京ディズニーリゾートよりもひと回り小さいぐらいしかありません。
そして、バレッタの市街地全体が世界遺産に登録されています。
市街地は巨大な城壁に覆われた要塞都市で、バレッタ市街地や周辺には強固な砦がいくつも築かれています。
つまり、バレッタはかつて敵国との激戦を繰り広げていたのです!
(戦いの歴史などは、後述の「理由1:聖ヨハネ騎士団の戦い&マルタ建国の歴史を感じれる」で詳しく解説します)
なおバレッタという街の名前は、当時マルタの戦いで指揮を取っていた団長「ジャン・ド・バレット」に由来してます。
世界遺産登録理由
海に突き出た半島に沿って整備されたバレッタの市街地
『バレッタ市街』が世界遺産登録された理由は、下記の2点に大きく分けられます。
- 聖ヨハネ騎士団の戦い&マルタ建国の歴史を感じれる
- 美しい街並みと建造物が残る
そして世界遺産登録に大きく関係している最重要ワードが、「聖ヨハネ騎士団」です!
用語メモ
聖ヨハネ騎士団とは、イスラム教からキリスト教の聖地とされるエルサレム(現在のイスラエルとパレスチナ)を奪い返すために組織された「十字軍」の中のチームの一つ。キリスト教の修道士であるとともに、戦いの場では戦士にもなるのが特徴。バレッタの街造りと繁栄の歴史を語る上で、聖ヨハネ騎士団は欠かすことができません。
理由1:聖ヨハネ騎士団の戦い&マルタ建国の歴史を感じれる
バレッタ市街は海上からの攻撃に備えて防壁に囲まれている
前述したように、バレッタの歴史には聖ヨハネ騎士団が大きく関わっています。
このように、聖ヨハネ騎士団やマルタ建国に関する歴史を感じれる点が大きく評価されて、世界遺産登録されました。
12世紀 | ”聖ヨハネ騎士団VSオスマン帝国”の戦いが激しさを増す。 ⇨聖ヨハネ騎士団は劣勢になる度に「エルサレム⇨キプロス島⇨ロドス島」へと拠点を変えていった。 |
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1530年 | 聖ヨハネ騎士団の本拠地がマルタになる。 |
1565年 | マルタで再びオスマン帝国と戦う(マルタ大包囲戦) ⇨最終的に勝利する! |
1566年 | バレッタ市街の建造に着手。 ⇨海上からの攻撃に備えて、堡塁(ほうるい)、防壁、堀などを整備。 |
1571年 | スペインを中心としたカトリック連合に加盟。 ⇨ギリシャ沖合での戦い(レパントの海戦)で再びオスマン帝国に勝利! |
1577年 | 聖ヨハネ大聖堂が完成(聖ヨハネ大聖堂の詳細は後述で) |
1798年 | ナポレオンに攻められ聖ヨハネ騎士団はバレッタから追い出される。 |
1974年 | イギリスの支配を経てマルタ共和国として独立。 |
用語メモ
オスマン帝国とは、14〜20世紀初頭にかけて大きく繁栄したイスラム教の国。一時はヨーロッパの脅威となったが、第一次世界大戦(20世紀初頭)で敗れ完全に消滅。上記の歴史のように、聖ヨハネ騎士団はオスマン帝国と度々争ってきました。
争いが繰り広げられる度に、バレッタを中心にマルタの街が整備され、大きく繁栄していったのです。
最終的に聖ヨハネ騎士団はマルタを後にするも、その後、無事独立することができました。
つまり、バレッタ市街の建造は聖ヨハネ騎士団がオスマン帝国襲来に備えて行なった大規模プロジェクトだったのです!
なお、バレッタを中心にマルタの歴史の詳細や謎については、下記の書籍でわかりやすくまとめられています。
今回の記事内容の参考にもしているので、ぜひ一度手に取って読んでみてください。
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理由2:美しい街並みと建造物が残る
中世の美しい街並みが広がるバレッタの中心部
前述の「理由1:聖ヨハネ騎士団の戦い&マルタ建国の歴史を感じれる」で触れたように、バレッタ市街は聖ヨハネ騎士団によって整備されました。
その結果、現在見られるような美しい建造物や街並みが誕生したのです。
もちろん、美しい街並みと建造物は世界遺産登録に大きく影響しています。
バレッタ市街の設計は、イタリアの建築家「フランチェスコ・ラパレッリ・ディ・コルトーナ」によるものです。
コルトーナは、当時ヨーロッパで流行していた”碁盤(ごばん)の目状”という、ルネサンス後期の理想的な都市づくりを目指していました。
用語メモ
ルネサンスとは、14世紀にイタリアから広まったヨーロッパを代表する文化・建築様式・時代の一つ。コルトーナの死後は、助手だった「ジェローラモ・カッサール」が街の建造を受け継ぎました。
彼は現在のバレッタでも一際目を引く、下記の巨大な建造物群を設計しました。
- 聖ヨハネ大聖堂
- 騎士団長の宮殿
- 勝利の聖母教会
聖ヨハネ騎士団がオスマン帝国に勝利したことで、マルタには莫大なお金が集まっていました。
加えて、聖ヨハネ騎士団のメンバーには裕福な家系出身者が多かったため、街の整備や建造物を建てるためのお金に余裕があったのです。
聖ヨハネ大聖堂
聖堂内部には8つの言語別の礼拝堂が備えられている
- 言語別に8つの礼拝堂を備えている
- 外観はシンプルで内装はバロック様式の豪華な造り
- 街の名前の由来となった人物「ジャン・ド・バレット」が地下で眠っている
バレッタで最も壮大で有名な建物が、聖ヨハネ大聖堂です。
豪華絢爛なデザインで知られるバロック様式が採用された建物で、内部にはなんと騎士の出身地の言語別に8つの礼拝堂があります!
【礼拝堂がある言語一覧】
- プロヴァンス
- フランス
- イタリア
- オーヴェルニュ
- アラゴン
- イングランド
- ドイツ
- カスティーリャ・レオン
また、マルタにゆかりのある画家「カラヴァッジョ」の大作が内部に飾られていることでも有名です。
騎士団長の宮殿
現在は行政機関として使用されている「騎士団長の宮殿」
- 聖ヨハネ騎士団の団長が過ごした邸宅
- オスマン帝国との戦いを描いたフレスコ画が飾られている
当時の騎士団長「ピエトロ・デル・モンテ」の指示によって建てられた、現在でいうところの首相や大統領が過ごす邸宅です。
オスマン帝国との戦い(マルタ大包囲戦)を描いたフレスコ画があることで有名で、まるで美術館のような造り、装飾が特徴的です。
なお、現在は政府機関(大統領府や議会)として利用されています。
本日の確認テスト
(「世界遺産検定」の概要についてはこちらの資料を参考にしてください)
2級レベル
バレッタの街の設計を担当した人物名として正しいものはどれか。
- ヴァルター・グロピウス
- イネス・デ・カストロ
- オーギュスト・ペレ
- フランチェスコ・ラパレッリ・ディ・コルトーナ
④
答え(タップ)>>1級レベル
「聖ヨハネ大聖堂」に関する説明として誤っているものはどれか。
- 戦災などによる火災によって何度も焼失しているがその度に再建された。
- 騎士団の出身地の言語別に8つの礼拝堂が設けられている。
- 外観は質素な造りで内装はバロック様式の豪華な装飾が施されている。
- 内部にはマルタにゆかりのある画家「カラヴァッジョ」の大作が飾られている。
①
答え(タップ)>>※「3,4級」レベルのトレーニングテストは対象外になります。
まとめ
- バレッタは敵国からの攻撃に備え城壁が張り巡らされた要塞都市。
- 聖ヨハネ騎士団によってバレッタの強固な街づくりが行われた。
- マルタ大包囲戦にてオスマン帝国に勝利しマルタが本拠地となった。
- 市街地の設計は「フランチェスコ・ラパレッリ・ディ・コルトーナ」建造物の設計は「ジェローラモ・カッサール」
- 聖ヨハネ大聖堂には騎士の出身地の言語別に8つの礼拝堂が備えられている。
おまけ:「バレッタ」のプチ観光情報
バレッタ沖合には数多くの船が点在し公共交通手段の一つにもなっている
最寄り空港 | マルタ国際空港 |
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公用語 | マルタ語(英語) |
通貨 | ユーロ |
観光のベストシーズン | 4〜9月 |
時差 | 7時間 ※日本の方が7時間進んでます。 |
治安 | 非常に良い |
物価 | 普通(日本とほぼ同じ) ※モノによっては日本より安い。 |
マルタは、物価の高いイメージがあるヨーロッパ諸国の中では比較的物価は安い方です。
さらに、英語圏&治安が良いため、日本人観光客や留学を考えている学生などに非常に人気があります。
ベストシーズンには美しい海で泳ぐこともできるため、自然と歴史を両方堪能できる魅力に溢れた国なのです!
アクセス
マルタには大型豪華客船も頻繁に立ち寄る
残念ながら、日本からバレッタ(マルタ)への直行便は就航していません。
ヨーロッパ各都市や中東各都市などを経由してアクセスすることが一般的です。
- 日本各空港 [フライト時間:10〜12時間]⇨ ヨーロッパ各都市(パリ、フランクフルト、他) or 中東各都市(ドバイ、ドーハ、他) [フライト時間:1時間30分〜3時間]⇨ マルタ国際空港 [バス乗車時間:約30分]⇨ バレッタ市街地入り口(シティ・ゲート前下車)
なお、マルタはイタリアからのアクセスが最も良いため、「マルタ+ローマ」のようなイタリアとの周遊で訪れる観光スタイルが非常に人気です。
マルタのおすすめ滞在日数は「3泊4日」
コミノ島の人気シュノーケリングスポット「ブルー・ラグーン」
マルタは大きく分けて、下記の3つの島で構成されています。
- マルタ島
- コミノ島
- ゴゾ島
それぞれ違った魅力がある島なので、できれば全ての島を訪れる計画を立ててみましょう!
1日目 | バレッタ市内+スリマ地区観光 |
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2日目 | コミノ島観光(ブルー・ラグーンでシュノーケリングなど) |
3日目 | ゴゾ島観光(巨石神殿群、アズール・ウィンドウ、シタデルなど) |
4日目 | バレッタで買い物など(マルタ島北部にある「ポパイ村」もオススメ!) |
マルタの主な公共交通機関はバスと船です。
比較的安く利用することができるので、うまく使いこなして観光を満喫しましょう!
参考文献・注意事項
- 当記事の内容は「世界遺産検定1級公式テキスト<上>」と「世界遺産検定1級公式テキスト<下>」を大いに参考にしています。
- 当記事は100%正しい内容を保証するものではありません。一部誤った記載が存在する可能性があることをあらかじめご了承ください。