こんな方にオススメの内容!
- なぜシーギリヤが世界遺産に登録されたのか理由が気になる!
- シーギリヤロックの利用目的や歴史を知りたい!
- 教養として世界遺産に関する知識を身につけたい!
- 世界遺産検定の受験を考えている!
- スリランカへの旅行を考えている!
遺産ポイント
- シーギリヤはシンハラ王国の都として11年間のみ繁栄
- シーギリヤロックの岩肌には「シーギリヤ・レディ」や落書きなどの作品が残されている
- 王宮や「水の庭園」などの遺構が残されている
「シーギリヤ」のプロフィール
登録名称 | シーギリヤの古代都市 |
---|---|
登録年 | 1982年 |
所在国 | スリランカ |
登録ジャンル | 文化遺産 |
登録基準 | (ii)(iii)(iv) |
そもそも「シーギリヤ」とは?
かつて存在した古代都市シーギリヤにそびえる岩山「シーギリヤ・ロック」
「シーギリヤ」とは、約1600年前に存在した、スリランカを代表する古代都市の名前です。
そのシーギリヤにある巨大な岩山のことを「シーギリヤ・ロック」と言います。
そしてシーギリヤは、5世紀からスリランカがイギリスの植民地となる1815年まで続いた「シンハラ王国」の都の一つです。
このシンハラ王国の都として繁栄した時代に、シーギリヤ・ロックの上に王宮が築かれたり、周辺に市街地が整備されたのです。
ちなみにシーギリヤとはシンハラ王国の言葉で、”獅子の子孫”という意味です。
獅子(ライオン)が関係してくる理由については、後述の「シーギリヤとライオンの関係」で詳しく解説します。
シーギリヤの歴史
シーギリヤ・ロック周辺には高い山や建物は一切無い
ここで、シーギリヤの歴史をたどってみましょう。
- シーギリヤにシンハラ王国の都が置かれる前までは、数十キロ離れたアヌラーダプラに都が置かれていた。
- 当時王様だった父「ダートゥセナ」を殺害し、弟の「モッガッラーナ」も追放した息子のカッサパ1世がシンハラ王国の国王となる。
- 国王に就くも、犯した罪にさいなまれるようになる。
- 父の供養のために、もともと父が計画していた岩山(シーギリヤロック)の上に王宮を建造する。
- その後、弟が王のポジション奪還のためにシーギリヤを攻めてくる。
- 弟の勢いに耐えきれなかったカッサパ1世は自殺をした。
このようにシーギリヤの歴史をたどってみると、シーギリヤは”悲しい家族物語”の地であることがわかります。
さらに、シーギリヤがシンハラ王国の都として栄えた期間はわずか11年です。
弟に攻め込まれ滅びてからは、再度都はもとのアヌラーダプラに戻されました。
その後は、仏教寺院として人々の信仰を集めましたが、長く続かずすぐ廃墟と化してしまったのです。
一枚岩(シーギリヤ・ロック)の上に王宮が築かれた理由
岩山の頂上ではかつて存在した王宮跡の近くを散策できる
現在「シーギリヤ・ロック」の愛称で親しまれている岩山に、シーギリヤの王宮築かれた理由は下記の2つになります。
- 殺してしまった父のためにも、もともと父が計画していた岩山への王宮建造を受け継ぐため
- 弟からの反撃に備えて少しでも高い場所に王宮を建造する必要があったため
シーギリヤ・ロックは、南北約180m、東西約100m、高さ約200mの巨大な岩山です。
周囲にこれほどの高さを持つ岩山は存在しなかったため、王に就いたカッサパ1世はこの巨大な岩山に王宮を建造することを決めました。
通常なら、王宮を守るための城塞も建造する必要がありますが、岩山が天然の壁の役割をしてくれているのです。
しかし、前述の「シーギリヤの歴史」でも触れたように、シーギリヤはわずか11年という短い期間で終わってしまいました。
つまり、岩山の上に王宮を築いた形が、必ずしも功を奏したわけではなかったのです。
このことから、岩山に王宮を築いた理由が別にあるのではないかとも言われています。
なお下記の書籍では、今回紹介したシーギリヤの謎をより詳細に解説してます。
複数枚の写真でよりわかりやすくなっているので、ぜひ一度手に取って読んでみてください。
- 商品名:謎多き建造物と隠された真実 世界遺産ミステリー
発売日:2022年9月 - Amazonから購入
- 楽天から購入
- Yahooショッピングから購入
世界遺産登録理由
シーギリヤ・ロックを最も美しく見られるスポット「ピドゥランガラ」
シーギリヤが世界遺産登録された理由は、下記の2つに大きく分けられます。
- シンハラ王国の繁栄の姿が見られる
- 保存状態の良い建築・芸術作品が残されている
世界遺産登録の対象は、有名なシーギリヤ・ロックだけではありません。
「水の庭園」など、岩山周辺に整備されたシーギリヤの市街地跡も対象に入っています。
ちなみにシーギリヤだけでなく、下記の歴代のシンハラ王国の都の多くが世界遺産に登録されています。
- アヌラーダプラ:シーギリヤが都だった前後の都
- ポロンナルワ:シンハラ王国2番目の都
- キャンディ:シンハラ王国最後の都
シンハラ王国の繁栄の姿が見られる
岩山の頂上にはかつて存在した王宮などの遺構を見ることができる
前述の「シーギリヤの歴史」などで度々登場した、シンハラ王国のシーギリヤを都にした時代の繁栄の歴史が見られる点が高く評価されたことも、世界遺産登録に大きく影響しています。
シンハラ王国は、シーギリヤ以外の都市が都だった時代もありますが、シーギリヤ・ロックをはじめとする独特な形での繁栄は、他の都市ではなかなか見ることができない大きな特徴です。
- 王宮:カッパサ1世の住居
- 貯水池:岩山の上でも水を確保するための設備
- 水の庭園:市街地に整備された上下水道や噴水
- 獅子の門(ライオンの入り口):シンハラ王国の象徴であるライオンをイメージした入り口
特に「水の庭園」は、当時の庭園技術を結集させて造られたものです。
アジア最古の庭園の一つにも数えられており、当時のシーギリヤの文明の繁栄ぶりを見ることができます。
シーギリヤとライオンの関係
シーギリヤ・ロックの中腹にある「獅子の門(ライオンの入り口)」
シンハラ王国の誕生以前に、スリランカはインドでライオンを殺してしまった男が、部下を連れてスリランカに逃げるようにたどり着いた話から始まります。
スリランカ到着後、ライオンに関係している男たちの子孫がスリランカで大きく繁栄したため、スリランカはライオンと結びつきが強い国になっていきました。(※諸説あり)
実際に、「シンハラ = 獅子の子孫(シンハラ語)」という意味を持つように、シンハラ王国はライオンに影響を受けて名前が付けられています。
ライオンが名前の由来であるシンハラ王国は、シーギリヤに都を移した際にも
「シーギリヤ・ロック = 獅子の山」
このように、都や岩山の名前にもライオンにまつわるネーミングをしているのです。
保存状態の良い建築・芸術作品が残されている
シーギリヤ・ロックの岩肌には彫刻などの作品が見られる
シーギリヤには、下記のような建物・芸術作品が比較的良い保存状態で残されています。
- 王宮跡(シーギリヤ・ロックの上)
- 水の庭園
- 「シーギリヤ・レディ」のテンペレ画
- 寺院参拝者が残した685もの落書き
用語メモ
テンペレ画とは、「顔料+”何かしらの”固着剤」を混ぜた絵の具で描いた絵画を指す。時間が経っても変色しづらい特徴を持つため、古くに描かれたもので、現在でも見られる絵画に使用されていることが多い。中でも「シーギリヤ・レディ」は、シーギリヤ・ロックに描かれているテンペレ画として非常に有名です!
野菜や花などから取れる植物顔料で色が塗られており、スリランカ美術の代表作として知られています。
現在は約20体ほどの絵しか残されていませんが、シーギリヤが都だった当時は、なんと500体も描かれていたと考えられているのです。
また、シーギリヤが都として終わり、寺院として役割を果たしていた時代には、参拝者によって多くの落書きも残されました。
この落書きの内容は、カッサパ1世の繁栄と衰退の歴史を描いたもので、スリランカ最古の文学作品とも考えられています。
このように、建物跡や芸術作品が現代まで残されている最大の要因は、シーギリヤがなかなか人が出入りすることのない密林のジャングルの中にあることが影響しているのです。
本日の確認テスト
(「世界遺産検定」の概要についてはこちらの資料を参考にしてください)
3,4級レベル
シーギリヤを都にしたスリランカの王国名として正しいものはどれか。
- ヴァルダナ
- シンハラ
- シュリーヴィジャヤ
- マウリヤ
②
答え(タップ)>>2級レベル
シーギリヤ・ロックの岩肌に残されているものとして正しいものはどれか。
- 落書き
- 手紙
- 太陽暦
- 地図
①
答え(タップ)>>1級レベル
『シーギリヤの古代都市』に関する説明として誤っているものはどれか。
- 当時の王が建造した王宮を取り壊して新たな王宮を岩山の頂上に建造した。
- 岩肌に描かれている「シーギリヤ・レディ」はスリランカ美術の代表作品。
- 王宮後は寺院として使われていた時代があった。
- 岩山のふもとには上下水道の整備のための「水の庭園」が残されている。
①
答え(タップ)>>まとめ
- シーギリヤはかつて存在したシンハラ王国の都の一つ。
- カッサパ1世が当時の王だった父親を殺害してシーギリヤの王に就いた。
- シンハラ王国の都として繁栄した期間はわずか11年。
- 「王宮」「貯水池」「水の庭園」などの遺構が残されている。
- シンハラ王国はライオン(獅子)と深い関係がある。
- 岩肌には「シーギリヤ・レディ」「落書き」などの芸術作品が残されている。
おまけ:「シーギリヤ」のプチ観光情報
国際空港があるスリランカ最大の都市「コロンボ」の近代的な街並み
最寄り都市 | ダンプッラ |
---|---|
最寄り空港 | バンダラナイケ国際空港(コロンボ) |
公用語 | シンハラ語 |
通貨 | スリランカ・ルピー |
観光のベストシーズン | 1〜3月、5〜9月 |
時差 | 3時間30分 ※日本の方が3時間30分進んでます。 |
治安 | 比較的良い(シーギリヤ周辺は良いが、最大の都市コロンボは軽犯罪に要注意) |
物価 | 安い(日本の1/2ほど) |
入場料 | 3,000〜3,500円 ※レートによって変動 |
シーギリヤは、スリランカを代表する大人気観光スポットです。
そのため、日中は多くの観光客で非常に混雑します。
それでも朝一であれば比較的空いているため、シーギリヤ・ロック近くに宿を取って朝に訪れる計画が良いでしょう。
アクセス
シーギリヤ観光の拠点となる街「ダンブッラ」にある石窟寺院
シーギリヤを訪れる場合は、まずはスリランカ最大の都市「コロンボ」へ向かう必要があります。
なお、日本からコロンボへの直行便は就航しています。
- 成田 [フライト時間:約9時間]⇨ バンダラナイケ国際空港
- コロンボ [ローカルバス:4〜5時間]⇨ ダンブッラ [ローカルバス:約1時間]⇨ シーギリヤ
- コロンボからの日帰りは不可能。
- 「コロンボ – ダンブッラ」間は乗り換えの可能性あり。
コロンボ到着後は、ローカルバスを利用してシーギリヤ観光の拠点となる「ダンブッラ」を目指すことになります。
このダンブッラ、またはシーギリヤで宿を取ってシーギリヤ・ロック観光する方が多いです。
ちなみにダンブッラは、スリランカ最大規模の石窟寺院が見られることで有名で、こちらも世界遺産に登録されています。
シーギリヤ・ロック観光の注意点
岩肌に造られた狭く急な階段を登って頂上を目指す
- 岩山に登る階段は非常に急なため動きやすい服装で訪れること。
- 日陰がほとんどないため帽子&サングラスが必須アイテム。
- 首都のコロンボからの日帰り観光は困難なためシーギリヤで宿を取るのが鉄板。
シーギリヤ・ロックは、スリランカを代表する大人気観光スポットです。
しかし、必ずしも観光しやすいように整備されているわけではありません。
岩山に登る際に利用する階段は、人ひとりがやっと通れるほどの狭さに加え、非常に急です!
オシャレなどは考えず、必ず動きやすい格好で訪れましょう!
また、観光地ではあるものの、観光保護のため周辺には建物があまりありません。
加えて、赤道に近いスリランカは気温が高く、日差しも強いため、必ず帽子とサングラスは持っていきましょう。
一方で、意外にもシーギリヤ・ロック周辺にはホテルが点在してます。
よって、日帰り観光ではなく、シーギリヤで宿泊するプランで訪れることを強くおすすめします。
参考文献・注意事項
- 当記事の内容は「世界遺産検定1級公式テキスト<上>」と「世界遺産検定1級公式テキスト<下>」を大いに参考にしています。
- 当記事は100%正しい内容を保証するものではありません。一部誤った記載が存在する可能性があることをあらかじめご了承ください。